3 アルトとノイエ

 リヒターホルンの中央にそびえる巨大なユマの樹は、そろそろ収穫の時を迎えようとしている。

 町全体を覆うほどに張り出た枝葉が、毎年この時期になると、自らの体を揺すって、不要な枝を払い落とすのだ。

 それらは職人の手によって、箒をはじめとした様々な道具に生まれ変わる。

 硬くしなやかで、木目に独特の光沢があり、なおかつ加工しやすい。

 リヒターホルンは元々、ユマの加工品によって財をなしてきた町なのである。

 その影響力は、上を見あげればおのずと分かる。

 落ちてくる枝から建築物を守るため、また効率よく枝を集めるため、建築物の屋根より高い位置に、縦横無尽に張り巡らされたネットが目に入るはずだ。

 そんなリヒターホルンの中でも、飛行箒を産みだし、優秀な魔女を多数輩出してきたリヒターホルン家は、町の名を冠するほどの大富豪であり、名家だった。

「よう、カミナリばあさん。今日はどうしたんだ?」

「うるさいね。サボってないで働きな!」

 このギナージュ・リヒターホルンも、町に知らぬ者はない魔女の一人である。

「あら、カミナリさん。珍しいですね。今週分の買いだしは、もうすんだはずでは?」

「なぁに、でかい猫が居ついちまってね。そいつの分さ」

 通りですれちがう職人たち、商人たちは、みな気さくに声をかけてくる。

 小麦の焼ける香ばしい香りや、肉を焼く炭火の匂いが、通りに充満していた。

 立ち並ぶ屋台には、服装も言葉もまちまちな者たちが列を作っている。

 ギナージュの後ろをついて歩きながら、マリウスは町の様子を観察した。

 規則正しく敷きつめられた白い石畳の隙間は、ところどころ苔むして、何とも言えない風情を醸しだしている。

 ユマの傘の下にある、この町特有の景色だ。

 限られた陽のさす場所に、緑があつまる。見渡せば家々の、漆喰塗りの壁にも蔦が這っている。

 だというのに、不思議と景観が陰気臭くならないのは、町に活気があるからだろう。

「ぼやぼやしない。こっちだよ」

「はい!」

《蒼天の決闘》が近いとあって、人通りが激しい。

 その中で、二人……特にマリウスに周囲の視線が集まっていた。

(今時、紺色の外套だなんて)

(よっぽど貧乏なのね、かわいそうに)

 ひそひそと交わされる会話。

 彼女たちはみな、二人の服装を興味深く眺めている。

「……?」

「どうかしたのかい? お嬢ちゃん」

「あの、先生。来るときも思ったのですが、なぜ白い服を着ている方がこんなにも目につくのです?」

「あ? あー、お前はハーネスから来たんだったね。この町じゃ、魔女といえば白と相場が決まってるのさ」

 周囲を見回すと、確かに白をまとっている者の多くは、魔女らしき出で立ちである。

「でもでも、先生は紺色を召してらっしゃいますよね?」

「そりゃそうだ。あたしはアルトだからね。白を着てるのはみんなノイエとその仲間なんだよ。だからあんたみたいなのは珍しいんだろうさ」

「ああ! なるほどです」

 合点がいったのか、マリウスは笑顔を見せる。

 そして、目が合った魔女たちへ無邪気に手を振った。当然、反応は薄かったが。

「おかしな子だね。じろじろ見られて平気なのかい?」

「気にしても仕方ないことですから」

 こうしてあっさり答える辺り、意外に大物なのかもしれない、とギナージュは思った。

「ところで、その先生ってのはなんだい?」

「今日から教えを乞うわけですから、必然的にギナージュ様は私の先生です」

「はん。推薦状が目当てのくせに何言ってんだい。おべっか使ったって、評価は負からないからね」

「はい、分かってます。先生」

 屋台通りを抜けると、工房の立ち並ぶ職人街に入る。

 レンガ屋根の吐きだす煙に、金属の焼ける悪臭が混じりはじめるのだ。

 二人は通りを少し進んでから、脇道へと逸れた。

 この辺りは幹の真下とあって、丸一日陽が射さない。そんな裏通りの一番隅にある店の前まで来ると、ギナージュは足を止めた。

「先生……ここは?」

 構えは小さいが、手入れの行き届いた小奇麗な店だ。

 慣れた手つきで、軒先に吊るされた呼び鈴を箒の柄で叩く。

「邪魔するよ」

 そのまま、返事を待たずに戸をくぐった。慌ててマリウスも続く。

 店内は外観とちがって薄暗く、かび臭い。そこかしこに埃が積もり、クモの巣も張っている。

「……ほぉ、こいつは珍しいの」

 暗闇からしゃがれ声が出迎える。

「久しいね、景気はどうだい?」

「ぼちぼちじゃよ、ギナ。お前さんが次にここに来るのは、アリーシャが戻ってくるときかと思っておったがの……それで、後ろのおチビさんは誰じゃな?」

「最近飼いはじめた猫さ」

「ひゃひゃ。また弟子をとることにしたんかいの?」

 カウンターの奥から、店主が姿を現した。青い長衣を着て椅子に腰かけている。フードを被っており顔は分からない。

 よく見ると、椅子の足には車輪がついていた。座ったまま移動するための工夫だろう。

「マリウスと申します。よろしくです……えっと」

「ああ、あいさつはいい。わしの出番は今限りじゃからな」

「相変わらずだね、そういうところ」

 ギナージュは中身のぎっしり詰まった布袋を取りだすと、店主のひざに置く。

「おうおう、心地よい重さじゃ。それじゃおチビちゃん。ちょいと手伝ってくれんかの」

「え、わ、私ですか?」

「だめかの?」

「いいえ! 私でよければ喜んで」

 マリウスは店主の指示に従い、棚から品物を引っ張りだしていく。

「すまないのう。近頃じゃ、目も悪くしちまって、店番するのも一苦労なんじゃ」

「気にしないでください。とっても楽しいですし……そういえば、あなたもノイエなんですか?」

「ひゃひゃ。わしは中立じゃ。紺を白で薄めたら青になるじゃろう? ま、勝手にそう名乗ってるだけじゃがな」

 ギナージュは、マリウスがカウンターに並べた品物を、一つ一つ確かめていく。

「例によって出所は聞かないよ」

「聞かれたって言うもんかい、ギナ。ひゃひゃ」

 鼻を鳴らし、手早く買ったものを一まとめにするギナージュ。おおよそ自分の頭と同じ大きさまで膨らんだ布袋を、マリウスへ投げる。

「ひゃぶ! ……あだだ」

「どんくさい子だね。落とすんじゃないよ?」

「うう……はい」

 鼻で受けとめた荷物を抱えなおすマリウス。楽しそうに店主が声をかける。

「ちょいと待つんじゃ、おチビちゃん。カミナリババアの現場復帰を祝って、贈り物があるんじゃよ」

「贈り物?」

「右から三番目の棚にあるものを二枚もっといで」

「は、はい……えっと、これかな? よい、しょ。……うわぁ!」

 マリウスは思わず感嘆の声をあげる。

 手の中にあるのは、きめ細やかでさわり心地のいい、真新しい紺のマントだった。

「すごく綺麗ですね。それにとっても軽い」

「ひゃひゃひゃ。気に入ったかの? おチビちゃん」

「はい、とっても!」

 ギナージュはそのマントを一目見て、眉間にしわが寄る。

「ふん。どういう風の吹き回しだい? カラバル豆のツルのマントじゃないか。オマケにしちゃあ、ちと度を超えてやしないかい?」

「なぁに。絶望の戦いへと挑む旧友に選別じゃ」

「……気に入らないね。何か他に理由があるだろう?」

「ひゃひゃひゃ」

 店主は嬉しそうに肩を震わせた後、答える。

「この前、ロッテーシャがそれの白を買ってったんじゃよ。片方だけじゃあ収まりが悪い。そう思わんかの?」

「……!」

「わしがこうして青を着ているのは、こんな時のためじゃからな。紺と白、混ざれば美しい青になるじゃろうて。ひゃひゃ」


 店を出た後、ギナージュは自然と速足になっていた。荷物を抱え、マリウスも懸命に後を追う。

 老魔女は、職人街をあっという間に抜け、食料品店の並ぶ通りを歩く。

 時々立ち止まって食料を選んでは、次々にマリウスへ向けて投げる。

「わ! と! ほ! や!」

 器用に受け止めながら、老魔女の後を追うマリウス。

 やがて、リヒターホルンの憩いの場所である、噴水広場が見える頃には、マリウスの抱える荷物は先程まで背負っていたザックと同じくらいまで増えていた。

 広場の中央にある噴水は、四方を四種の怪物を象るモニュメントで飾りつけられた立派なもので、町のシンボルの一つである。

 その手前まで歩いてきて、不意にギナージュが立ち止まる。

「ふぇ? きゃっ!」

 勢いあまって老魔女の背中につっこんだマリウスは、荷物を抱えたまま尻餅をつく。

 ギナージュは微動だにしない。複雑な感情のこもった目で噴水のすぐ脇……白い人だかりを見つめている。

「あの……先生?」

 返事はなかった。マリウスは荷物を落とさないよう気をつけて立ちあがり、ギナージュの視線の先へ目をやった。

『やっぱり、もう少し柄の先を削った方が』

『でもそれだと』

『ロッテーシャ様はどうですか?』

 人だかりには二つの特徴があった。まず、みな白を着ているということ、そして人だかりを作っているのは同い年くらいの少年少女だということだ。

 彼らは噴水に腰かけた何者かを中心に円を作っている。

 その中の一人が、視線に気づく。と、いっせいに彼らはギナージュたちへ振りかえった。

「先生……なんかあの人たち、こちらをにらんでますけど」

「頼りない木に小鳥が群がってるだけさ」

 ギナージュが吐き捨てるのとほぼ同時に、人だかりが二つに割れた。

 道を開けたのだろう。そこを通って、一人の少女が進みでる。

「小鳥とはご挨拶ですわね」

 鳶色の長い髪に黒い瞳、着ている外套にはシワ一つなく、顎の右側にはホクロがある。

 肌も衣装も雪のように白く、儚い。すらりと伸びた手足も含め、全体的に洗練された容姿だ。

「ごきげん麗しゅう、おばあ様。まだ生きていらっしゃったとは、喜ばしいこと」

 低く落ち着いた、冷たい声だった。ギナージュに向けるまなざしと同じく。

 祖母と呼ばれ、老魔女の表情が一瞬苦しそうに歪む。しかし、口を開く時にはいつもの不敵な笑みが戻っていた。

「おかげさまで、この世にゃ心配事が多くてね。おちおち寝てもいられないのさ」

「まぁ……! 大変ですわね。おばあ様に心労を与えるという、その有能な人物を、我が家に一刻も早くお招きしなければ」

 繰り広げられる嫌味の応酬に、困惑するマリウス。視線が自然と二人の間で往復する。

「……そうだった。あんたにも紹介しておかなきゃならないね」

 ギナージュはかぶりを振ると、箒の柄の先で白い少女を指す。

「こいつはロッテーシャ。あたしの不肖の孫娘にして、前回の《蒼天の決闘》の覇者だよ」

「……! あなたが!?」

「あら? 可愛らしいお人形さんですこと。ごめんなさいね。小さすぎて気づかなかったわ」

 マリウスの反応は素早かった。

 嫌味など聞き流し、瞬時に間合いを詰めると、ロッテーシャの手を両手で握る。

「あのあの、一昨日の朝……見てました! 空に描いた勝ち名乗り、かっこよかったです!」

「こいつっ! ロッテーシャ様に気安く触るな!」

「いいのよ、大丈夫だから」

 いきり立つ取り巻きたちを制し、ロッテーシャは嫣然としてマリウスの手を握りかえす。

 はっきりと見下しながら。

「ところでお人形さん。あなた、ずいぶんと古めかしいなりをしているけれど、一体どこからいらしたの?」

「はい。ハーネスから来ました、歩いて」

「ハーネスから、歩い……て?」

 一瞬きょとんとしてから、吹きだす。

「ふふふふ、あはははは!」

 笑いは周りにも伝播し、噴水広場に響きわたる。ギナージュは苦虫を噛み潰したような顔になる。

 当のマリウスは、というと、笑われていることなど気にも留めず、というより耳にも目にも入っていない様子で、目を輝かせている。

「ああ、おかしい。おのぼりさんというわけね? であれば、その格好にも納得だわ」

「格好?」

「そう。この町では、というか一般的に……優れた魔女たらんとする者は、白を身にまとうものなのよ? ノイエの証として」

 目線はギナージュに向けたまま、マリウスの肩に手を置く。

「紺は負け犬の色。時代にとりのこされ、前に進むことを諦めた者の色。すぐに着替えた方がいいわね」

「……それが、その」

「もし買い換えるお金がないのなら、私が買ってあげるわ。遠慮なさらないで? 私、その色を見ているだけで不快なの」

「いえ、ちがうんです。元々、私ノイエじゃないから、この色がふさわしいんです」

 恥じる様子もなく答えるマリウス。ロッテーシャは目を見開いた。

「まぁ! そんなに若いのに、歩みを止めようと言うの?」

「そういうのはよく分かりませんけど……今の新しい箒を扱うことができないので、仕方ないですね」

 照れくさそうに舌を出すマリウス。

 ロッテーシャは、その態度に半ば呆れながら、ギナージュをにらみつける。

「悪趣味ですわね、おばあ様。生まれたばかりの仔馬に、立つなと教えるなんて。また私の時のような愚を繰りかえすおつもり?」

「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ。失敗作を改めて作ろうとするバカが、どこにいるんだい?」

「目の前におられますわ、おばあ様」

「……ふん、話にならないね。行くよ、マリウス」

 ギナージュは踵をかえす。

「あ、はい! それでは、ロッテーシャさん。あなたと戦うのを楽しみにしてますね」

「……戦う?」

「はい。私もギナージュ先生と一緒に、《蒼天の決闘》に参加する予定なんです」

「一緒にって……」

 ロッテーシャの顔が憎しみで歪む。ギナージュの背中目がけて、言葉を突き刺した。

「どういうことですの? おばあ様。事と次第によっては、ただではすまさなくてよ?」

「おやおや、その歳でもう耳が聞こえないのかい?」

 ギナージュは振りかえることなく続ける。

「そいつの言った通りさ。あたしらも出るんだよ」

「……なぜ今さら? これ以上、リヒターホルン家の名に泥をぬるおつもり?」

「毛も生えそろってないひよっこがほざくじゃないか。負けるのが怖いのかい?」

 ロッテーシャは歯噛みする。

「……おばあ様。色々思うところもありますけれど、私は、貴方の魔女としての実績にだけは敬意を表しておりますのよ? 晩節を汚すような真似はなさらないで」

「心配してくれてんのかい? ありがたくって涙が出るね」

 二人の間でおろおろするマリウス。気まずい沈黙が訪れた。

 まさに一触即発といった空気である。

 周りの者も、息を飲んで見守る中で、先に言葉を発したのはロッテーシャだった。

「……止めても無駄のようですわね」

「当たり前だろ?」

「……いいでしょう。いずれにせよ、私が家名を継げば、おばあ様の出番も終わりです。あなたの“迅雷”の名も私が引き継ぐのでご安心なさって?」

「悪いがね。情けない二つ名でも、今のお前に背負わせるほど軽くはないんだ」

 ロッテーシャの顔から完全に表情が消える。

「それではごきげんよう、おばあ様。明日の予選会でまたお会いしましょう」

「ふん」

「あ、あの。失礼します!」

 マリウスの声には答えず、取り巻きを率いて歩き去るロッテーシャ。

 ギナージュも歩きだす。その顔にはわずかに疲れが見えていた。

 結局この後、二人はほとんど口を開かなかった。

「この部屋を使いな」とマリウスを客室に案内し、書斎に閉じこもるギナージュ。

 マリウスはといえば、久々のベッドに横になると長旅の疲れが出たのか、すぐに寝てしまったのである。

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