4 予選会

「起きな」

 布団を剥がされ、肌寒さでマリウスの意識は一気に覚醒する。

「……うゅ」

「ひどいツラだね。裏に井戸があるから行ってきな」

「うぃ」

 家の外には霜柱が立っている。冷たい水で顔を洗ってから居間に戻ると、出来立ての料理が湯気を立てていた。

「おおお……おお」

「その顔をやめな。全く意地汚いねぇ」

 いそいそと食卓につくマリウス。ギナージュもエプロンを外して席についた。

「さて、今のうちに言っておこう。今日はお前さんの力をみせてもらう……っておい!」

「ふぁい?」

 口につめこめるだけのパンを詰めこみ、くぐもった声で返事をするマリウス。

 彼女の頭にコブが一つ増えた。

「ううう……」

「分かってんのかい? 今日は予選会だ。最低でも上位三〇名に残らなきゃ、本戦にも出られないんだよ?」

「……はい。痛いです」

「予選を突破できたら、本戦はどうにかしてねじこんでやるから頑張んな」

「……一つ、質問してもよろしいです?」

「何だい?」

「順番が変だなって。推薦をもらった人が予選に出るんじゃないんですか?」

「ふん、どうやら頭は回ってるようだね」

 ギナージュは咳払いを一つして、説明を始める。

「そもそもその推薦ってのが曲者でね。予選で好成績をあげた奴を、評議員が自分の推薦枠として登録しちまうのさ。知っての通り、蒼天の決闘の勝者には名誉と莫大な利益が約束されているからね」

「ということはつまり……」

「そう、実態は賭け事と縄張り争いなんだよ。予選を見た7人の魔女たちは順番に“馬”へ自分の鞍をつけるのさ」

 くだらないだろう? とギナージュはため息をつく。

「もちろん、中には予選の前から評議員の肝いりだったりする魔女も何人かいるがね。そういうのは仮に予選で何かトラブルがあっても、推薦を受けて本戦に顔を出すこともある。ま、大半は少しでも好成績を残して、拾いあげてもらうのを待ってるもんだがね」

「ほえぇ……なんか、面倒くさいんですね」

「ちなみに、今回のあたしがそれさ。予選に出なくても、本戦出場が決まってる。ま、ちょっとした特権ってやつさね」

 マリウスは難しそうな顔で、うんうん唸っている。

「ふふ。安心おし。アルトを拾いあげようなんて奇特な魔女は私くらいのもんさ」

「自分自身を推薦する奇特な魔女も、先生一人……ですね?」

「ふん、言うじゃないか」

 ギナージュはスプーンを口に運ぶ。

「食ったら出るよ。外は寒い。もらったマントを持っていくんだね」

「はい!」


 リヒターホルンから少し離れたグラヌ山。

 その山頂の、少し開けた草原に降り立つと、魔女たちは一斉に二人に注目した。

 何しろ、紺色の魔女は、ギナージュとマリウス以外いないのだから当然である。

「申込はあたしがしてこよう。お前はその辺でイメージトレーニングでもしておきな」

「はい、分かりました」

 ギナージュはマリウスの頭をくしゃくしゃと撫でると、奥に設営されたテントへと歩いていく。

 参加者は総勢で三〇〇人ほどだろう。もっと多いと思っていたマリウスは、少し物足りない気持ちになる。

 場所が場所とあって、観客はそれほど多くない。というより、別にわざわざここまで来て、見る必要はないのだ。

 予選のゴールは例の噴水であり、リヒターホルンの町を一周するコースになっているため、住民たちは家の窓を開けるだけで、特等席からの観戦が可能となるのである。

 これは、本戦のクライマックスも同様であり、リヒターホルンの町が賑わう要因でもあった。

 生まれて初めて参加する競技会を前に、マリウスの胸は早鐘を打ち始める。

「ごきげんよう、お人形さん」

 不意に背後から声がかけられる。振り向くと、そこに立っていたのは、ロッテーシャだ。

「昨日はよく眠れたかしら? あの家の客間は、少し狭いから心配していたの」

「とんでもないです。数週間ぶりに、お布団でぐっすり眠ることができたので……って、あれ? ロッテーシャさん、ギナージュ様の家のことをご存知なんですか?」

「ふふふ、当然でしょう? 仮にも孫娘なのだから」

 口元を隠し、優雅に笑う。

 同じつくりのマントを羽織っているが、その印象は全く異なる。

 つまさきがどうにかマントの下から覗いているだけのマリウスと違い、ロッテーシャは白い脛まで見えている。

「そのマント、かかしみたいでとても可愛いくてよ? 惜しむらくは色が悪いけれど」

「本当ですか? えへへ、嬉しいなぁ。ロッテーシャさんもよくお似合いですよ?」

 嫌味をあっさり受け止められ、ロッテーシャは少しだけ不愉快そうに口元を歪める。

「あまり性根の腐ったことばかり言ってると、ムコがとれなくなるよ?」

 マリウスの背後から、ギナージュが意地の悪い笑みを浮かべて戻ってくる。

「もしリヒターホルンの家がお前の代で途絶えたら、ご先祖様に申し開きができないねぇ」

「あら、私は何の心配もしておりませんわ? なにしろ、おばあ様が結婚できたのですもの」

 ロッテーシャは強引に話を切りあげる。

「邪魔者もいらしたことですし、失礼いたします。箒の調整もありますので。後程またお会いしましょう」

 白いマントを翻し、人の波に消えていくロッテーシャ。

 その姿が完全に見えなくなってから、マリウスはギナージュに問いかける。

「あの、先生。箒の調整って何です?」

「……さぁね。ノイエの箒はデリケートなもんさ。想像するに、飛ぶ前の点検をするってことじゃないかね」

「そういえば、他の方の箒も面白い形をしているものが多いですね」

 ノイエ達が抱える箒は、どれもこれも一瞥で箒と分からないことがほとんどだ。

 箒より傘に近い外見をしているもの、穂が上下についていてバトンのようになっているもの、金色のもの、真っ黒のもの。様々である。

「ぽつんとその辺に転がってたら、箒と気づかれずに捨てられちまうかもね。はっはっは」

「うふふ」

「……だが、油断するんじゃないよ? 見た目の不格好さには理由がある。ノイエってのはそういうもんだ」

「なるほど……昨日から思っていたのですが、先生はノイエにお詳しいですね」

 マリウスの発言に、ギナージュは複雑な笑みを浮かべる。

 そして何かを言おうとしたが、結局飲みこんだ。

「さ、そろそろ始まるよ。ゴールで待ってるからね、お嬢ちゃん」


 予選開始の合図の旗がひるがえる。

 風を抱きとめる、ばふっ、という音を聞いた瞬間、魔女達は一斉に地を蹴った。

 お互いを牽制しあいながら、魔女の群は空を白く染める。

 マリウスにとっての初めての競技飛行は、彼女が思っていたよりもはるかに穏やかに始まった。

「驚いているようですわね」

 真横から声をかけられる。声の主には見おぼえがあった

「ロッテーシャさん! ……面白い形の箒ですね」

 ロッテーシャの箒は、穂に当たる場所に三角錐の箱がくっついていた。

 他のノイエと同じく、独特の形状をしている。

「私に言わせれば、あなたの箒のほうがよっぽど面白いのだけれど」

「えへへ、それもそうですね。そういえば、なんかすごく密集してますけど、いつもこんな感じなんですか?」

「ふふ、今だけよ。ごらんなさい」

 ロッテーシャが右前方を指さす。

 二人の魔女が互いを罵っているようだ。やがて、興奮したのか、一人が箒ごとぶつかっていった。

「見えるかしら。 ああやって小競り合いを繰りかえしながら、弱い者、遅い者は淘汰されていくの」

「はぁ……ちょ、ちょっと怖いですね」

「ところで。この辺りはいくぶん静かだと思いませんこと?」

 彼女の言葉通り、ロッテーシャ以外の魔女がすぐ傍から消えている。

 マリウスは聞き返した。

「これ、もしかしてロッテーシャさんが?」

「ふふふ、正解。私が他の魔女たちにお願いしたのよ。あなたとゆっくり話をさせて、と」

「私と話を?」

「というよりはお願い、になるのかしらね。おばあ様にも関わることなのだけど」

 紺と白。同じ形をした二つのマントが並んで広がっている。

 周囲のノイエたちは、遠巻きに二人を眺めながら、様子をうかがっている。

「今、こうして飛びながら、彼女たちが寄ってこないのはなぜだと思う?」

「え……? 今、自分でそう頼んだって……」

「聞き方を変えましょうか。なぜあの子たちは、私の言う通りにすると思いますかしら?」

「えっと……、あ、分かりました!」

 マリウスは笑顔で断言する。

「ロッテーシャさんが速いからです」

「それは事実だけれど正解ではないわね」

 箒を撫でながら、ロッテーシャは続ける。

「強いからですわ」

「……? 強い……?」

「私は確かに速い。けれど、それだけでは人は屈服しませんのよ。強さがなければ」

 今一つ分からず、マリウスは首をかしげる。

「速さと強さは別なんですか?」

「別、とは少し違いますわね。速さはあくまで強さの一部でしかないということ。速く飛ぶことが強さなら、速い箒を作ることも強さ、頭の良さも、権力も、財力も、ついでに……」

 若さも、と付け加える。

「例えば、私が手をあげて合図を送る、それだけで、今こちらを遠巻きに囲んでいるノイエたちは、一斉にあなたに牙を剥くことでしょうね」

「……それも強さだと。そう、おっしゃるんですか?」

 ロッテーシャはうなずく代わりに、笑みを浮かべる。

「さて、話を戻しますわね。あなた、ここで降りてくれないかしら?」

「……えっ」

「はっきり言って邪魔なの。イライラしますの。あなたみたいに何もわかってない人を見ていると」

 穏やかな仮面を脱ぎ捨て、本性を露わにするロッテーシャ。

 抱える憎しみを眼光に変え、全てぶつけようとするかのように。

「古き時代にしがみつき、今を受け入れない。あの老いた魔女とそっくりですわ。道具で劣ることが負ける言いわけになると思いますこと?」

 彼女の感情は、マリウスではなく、全てのアルトへ向けられていた。

 マリウスは、ただ黙ってそれを受け止める。

「もちろん、ただとは言いませんわ。あなたが私のお願いを聞いてくれるなら、私はあなたを雇ってあげる。ノイエとして教育を施し、素晴らしい箒を与えてあげてもいいですわね」

 ロッテーシャは無邪気に哄笑した。

「“迅雷”ギナージュは私が本戦で直接叩き潰す。その時こそ、私は胸をはってリヒターホルンの当主を名乗るのよ。素敵だと思わない? それは全てが可能になることを意味するのだから。全ての魔女が私にひれ伏すわ。あのアリーシャ・メーテルリンクのように!」

 恍惚とした顔で中空を見つめるロッテーシャ。自らの想像に酔っているのだろう。

「嫌です」

 だが、マリウスの声が彼女を強引に現実へと引き戻す。

「……なんですって?」

「お断りします。ロッテーシャ・リヒターホルン」

 優しい、しかし真っ直ぐな瞳でロッテーシャに笑いかけるマリウス。

「聞き違い、ではありませんわよね?」

「はい。私はあなたを否定します。ロッテーシャ」

 俯くロッテーシャ。白い箒の柄を握る指先が、小刻みに震えている。

「……そう、残念ね」

「そうですね。残念です。あなたの考えには、とても賛同できませんから」

「言っておくけれど、これであなたはもうノイエにはなれなくてよ? 最先端の箒をどぶに捨て、そのガラクタを選んだのだから」

「どっちにしろ、私に新しい箒はあつかえません。それに、私はあなたの乗っている箒がうらやましいとも思えません。だって……」

 自らの箒を愛おしみながら

「だって、その箒じゃ掃除ができないじゃないですか」


――あら、おばあ様。だって箒をいじってしまったら、掃除もできなくなってしまうじゃありませんこと?


 遠い昔、幼い魔女が口にした言葉が、ロッテーシャ・リヒターホルンの胸に去来する。

「私にとって、空を飛ぶことは特別な何かじゃないんです。朝起きて、家の前が汚れていたら、手に持った箒で掃く。そんな、ごく普通の、自由なことなんです」

「……もういいわ。交渉は決裂というわけですわね」

 ロッテーシャは片手をあげる。

「あなたは恐らく、生涯この選択を悔やむでしょうね、お人形さん」

「……戦っては、もらえないんですか?」

「あいにく、この場で私が愚かな魔女を打ち負かす意味はなくてよ。そんな役目は、あなたがいなくなると得をする子たちに任せることにいたしますわ」

「……そうですか」

 マリウスは少しさびしそうに微笑む。

 ロッテーシャは加速を始めた。同時に辺りにいた魔女たちが、マリウスめがけて突っ込んでいく。

 もはや振り向くことはなかった。背後では、「無数の白鳥についばまれる小さなカラスの悲劇」が演じられていることが分かっていたからだ。

 群の形は崩れ、そこからいち早く抜けだすロッテーシャ。

「……バカな子」

 つぶやく彼女の眉間に一筋、しわが浮かんですぐ消えた。


 予選の決着の場である噴水広場には、戦いの行く末を見守る者たちが集まっている。

 その一人、ギナージュもパン工房の屋根の上で、弟子の到着を待っていた。

 遥か遠くで歓声が上がる。

 恐らく、予選の一位の者が、近づいてくるのだろう。

 町に入った魔女たちは、ユマの樹の周りを一周し、最後にこの噴水広場に降りたつことになっていた。


――来ました! 先頭は……ロッテーシャです! どうやら前回大会覇者、ロッテーシャ・リヒターホルンが、最初の通過者となりそうです!


 町のいたるところに設置されたほら貝から、実況を担当する魔女の声が聞こえてくる。

「……ふん、本当になっちゃいないね」

 ギナージュは悪態をつく。しかし、その顔は心なしか、誇らしげでもあった。

 ロッテーシャはユマの樹の上で、方向を変え、雲を引く。

 きっかり五秒で勝利の儀式を終えると、町へ降りてくる。

 リヒターホルンの住民たちは、みな窓を開けて最速のノイエに手を振った。

 ロッテーシャも自分を出迎える者たちに感謝の意を表し、笑顔を見せる。

 かなりの余力を残しているのだろう。彼女の顔には、いささかの疲れも見えなかった。

 

――やはり速い。後続はまだ一人も見えていません! ああ、ロッテーシャ様ァ! 素敵ィ!


 町中に自分の存在を存分に示してから、ロッテーシャは広場へと降りてくる。

 くるん、と前方に一回転、箒にぶらさがるようにしてゆっくりと。

 噴水の前に着地すると、大歓声が彼女を包んだ。


――ロッテーシャ・リヒターホルン、予選を一位通過! 本戦への出場も決定的でしょう!

そしてここで、ようやく後続の姿も見えてきました。……あれ?


 不意に実況が言いよどむ。

 自分の目が信じられないようだった。


――えーと。……うそ。あれは、紺色のマントです! ってことは……アルトなの? そんな、まさか。


 その瞬間、ギナージュは破顔し、ロッテーシャは目を見開く。

 そんなことがあるわけがない、共にそう思いながらも、二人の反応は対照的だった。


――名前、名前……あった、これか。次に姿を見せたのは、なんとアルトの少女のようです! その名もマリウス! 今入ってきた情報によれば、あの“迅雷”ギナージュ・リヒターホルンの秘蔵っ子とのこと!


「まさか! 本当にあの子なの!?」

 ギナージュにも聞こえるほど、明らかに動揺した声でロッテーシャが叫ぶ。

 自分を祝福するため囲んでいた者たちを跳ねのけ、事実を確認しようとする。

 それはギナージュも同じだった。

 屋根から飛び降りると、噴水の前へ急ぐ。

 やがて、空中に影が映る。ノイエではありえない色だった。

 観衆からどよめきが起き、それは次第に歓声へと変わっていく。

 

――こんなことがありえるのでしょうか!? ここ五年、二位は愚か、予選を通過したアルトなど皆無でした。ノイエであることが競技会に参加するための最低条件となりつつあったのです。

これは奇跡、奇跡としか言えません!


 紺色の影はロッテーシャと同じようにユマの樹の上で一周すると、こちらは空に雲でハートマークを描く。

 そして、そのハートを貫くように一気に降りてきた。

 空気の割ける耳障りな音を残し、マリウスは噴水広場に着地する。

 ふわっ、と空気が持ちあがり、すぐさま爆風に変わる。

 見ている者はみな、目をつぶらざるを得なかった。それほどまでに、強い衝撃だったのだ。

 空に残ったのは、矢の刺さったハートの絵。

「ふぅ……楽しかった!」

 開口一番、笑顔でそう言ったマリウスは、ロッテーシャ以上の歓声に飲み込まれた。


「中々やるじゃないか。これなら本戦出場に異を唱える者も出ないだろう。合格だ」

 ギナージュはそう言って、マリウスの頭をなでる。

「えへへ……がんばりました」

「にしても、お前本当にアルトかい? その箒に何か仕掛けでもしてあるんじゃなかろうね?」

「しし、してないですっ! そんな難しいことできませんってば!」

「あっはっは! 何をそんなに慌ててんのさ」

 照れくさそうにはにかむ少女を見て、ギナージュは不思議とある魔女のことを思い浮かべていた。

「それにしても、他のノイエたちはどうしたんだい? いくらなんでも遅すぎだろう」

「それは……えっと、なんかみんなで喧嘩を始めちゃって。私は巻き込まれないように、そっと抜け出してきたんです」

「……喧嘩?」

 訝しむギナージュ。

「……いい気にならないことね」

 二人の前に、明らかに不愉快そうな顔で、今度はロッテーシャが現れる。

「あ、ロッテーシャさん。予選一位、おめでとうございます。今度こそ戦えそうですね」

 マリウスはやはり、嬉しそうに言う。

「……あなた、どうあっても私を怒らせたいようですわね」

「そりゃ、こっちの台詞さね」

 マリウスを庇うように、ギナージュが前に出る。

「お前のことだ。裏で手を回してくだらないことをしたんだろう? いくらなんでもこれは異常だ。他のノイエたちが、揃いも揃って、団子だなんて、別のことに気を取られてた証拠だろ」

「……役に立つと思っていた道具が、錆びて壊れていた。それだけのことですわ」

 ロッテーシャの顔から感情が抜け落ちる。

 マリウスとギナージュを交互に見ながら、小さく舌打ちする。

「こうなった以上、仕方ないですわね。本戦では、二人まとめて私が倒すことにいたしましょうか。考えようによってはちょうどいいですわ。手間が一度ですむわけですから」

「……」

「それではごきげんよう。おばあ様、お人形さん。せいぜい本戦まで仲良くなさってくださいな」

 去っていくロッテーシャを目で追いかけながら、ギナージュは嘆息した。

「……どこまで腐れば気が済むんだろうねぇ、あの子は」

「ロッテーシャさんは腐ってしまったわけじゃないと思います」

 マリウスの言葉に、ギナージュは少し驚く。

「むしろ、きっかけを欲している、そんな気がしました」

「……分かるのかい?」

「どうでしょう? でも、本当に腐っている人はあんなに速く飛べません」

 マリウスの顔には、ロッテーシャへの敬意と好意が満ちている。あれだけのことをされたのに、彼女が速い……それだけで許せてしまうのだった。

 ギナージュは肩をすくめ、もう見えなくなった孫娘の背中を探す。

「……ふん。なら、あたしがやらなきゃね」

「はい、先生」

 マリウスの本戦出場が正式に通達されたのは、予選から三日後のことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る