5 開幕

 出場が決まってからはあっという間である。

 マリウスはギナージュと共に、本戦の準備のため慌ただしい日々を送る。

 家を修繕し、本戦への参加手続きを行った。

 結局、あれから二人が落ち着いて話ができたのは、本戦を明日に控えた夜のことだ。

 ささやかに祝杯をあげ、英気を養う。

 それも、本戦に影響が出ないように、そこそこで切りあげた。

 マリウスを床に就けると、ギナージュは暖炉の前で箒の手入れを始めた。

 手垢で色がくすんだ箒。ギナージュの最も長く愛用している箒である。

 ロウソクを消すと、暖炉の火を明りに浮いた錆を落としていく。

 それが終わると、次は穂の修繕だ。半ばで折れてしまった枝を引っこ抜き、予選前に買いこんだ新しいものに付け替えていく。

 懐かしい作業だ、とギナージュは思う。現役時代は毎日のように行っていた、彼女なりの気分転換を兼ねた日課である。

 作業を始めた頃は窓枠の中にいた月が、ギナージュが顔をあげる頃にはいなくなっている。

 思いのほか集中していたことに苦笑する。

 白湯でも沸かそう、と考える。

 高ぶる自分を押さえこむためにも、白湯を……


 バキッ

――ひああっ、またやっちゃった!


 仕事が増えたことを察し、ギナージュは盛大に息を吐いた。

 無言で書斎の戸を開く。

「あ、あうう……先生」

 案の定、そこにはクッション付きの箒を抱きかかえて、半泣きのマリウスが立っていた。

「……何事だい?」

「えっと……あの、眠れなくて……箒のお手入れでもしようと思って……」

「で?」

「せ、先生を起こさないように、忍び足で居間のロウソクを取りにきたんですけど……」

「なるほどねぇ。それで床板を踏み抜いた、と」

「でもでも、仕方ないんです! 先生を起こしちゃいけないから、つい力んじゃっただけなんです!」

「だまりなっ! 昨日直したばかりなのに、また壊したって? お前あたしの家に何か恨みでもあるのかい!」

「違います! 上手く言えないけど……好きだからこそ力いっぱい抱きしめて傷つけてしまうというか」

「何をわけのわからないこと言ってんだい! 少しは、自分の馬鹿力を自覚して行動しな! ……ったく」

 肩を落とすマリウス。

「……はぁ。あんたといると、ため息が止まんないよ。……で? 眠れないって?」

「ううう……はい」

「部屋入って待ってな。今お湯を沸かすから」

 そう言ってギナージュはマリウスを書斎に招き入れた。


 ポットを手に書斎に戻ると、マリウスはさっそく暖炉の前で作業を始めていた。

「ほれ、飲みな。温まるよ」

「あ、ありがとうございます」

 箒を弄る手を止め、湯気の立つカップを受け取る。

 ギナージュは、親子以上に歳の離れた魔女が、同じ競技会に出場する前夜、似たようなことをしていることが感慨深かった。

「ふわぁ……おいしい。ただのお湯なのに……」

「たまにお前は驚くほどずうずうしいね」

 呆れながら自分の分を淹れると、揺り椅子に身を預ける。

 少しずつお湯を含みながら、マリウスの横顔を見つめた。

「一つ聞いてもいいですか?」

「ん……何だい?」

「なぜ、見ず知らずの、しかも無茶苦茶なお願いをしている私を、受け入れてくれる気になったんです?」

「……さてね。なぜだろうね」

「私がノイエじゃないからですか?」

「いや……懐かしかったのかもね」

「懐かしい?」

「あんたを見てると、思いだす奴がいるのさ。そのせいかもしれないね」

「それは、一体?」

「……アリーシャ・メーテルリンク」

「……!」

 マリウスは思わず顔をあげた。ギナージュは窓の外に目をやる。

「知ってるかい? 《蒼天の決闘》の由来を」

「……はい。大魔女アリーシャと“迅雷”ギナージュ……先生の最後の一騎打ち、ですよね?」

「あれが終わった後にね、奴と話をしたのさ」

「……話?」

「『もう、十二分に空を楽しんだ。これを最後に引退する』そう言ってたよ」

「……」

「あたしは止めたんだがね。勝ち逃げする気か、ってさ。悪戯っぽく笑って……」


――そのうち帰ってきてやる。それまでに腕を磨いておけ


「そんな……」

「あの当時、アリーシャはまさに無敵だった。速さ、上手さ、美しさ、戦ってるこっちが見惚れちまうくらいにね。並び称されちゃいるが、正直あたしとはものがちがった。でも、だからこそあたしはあいつを倒したかった」

 ギナージュは箒を手繰り寄せ、柄を握る。

「あいつが引退すると聞いた時、そしてすぐ戻ってくると聞いた時、次こそ絶対に打ち負かしてやるって燃えたもんさ」

「先生は、すごいです」

「……?」

「ロッテーシャさんは、速さではなく強さが他人を屈服させる……そう言っていました。でも、私はそれが強さとは思えません。本当の強さって……先生の、そういう意地みたいなものだと思います」

「……あの子がそんなことを」

 握る手に力がこもり色を失っていく。ギナージュの眼差しにほんの少し苦渋の色が混じった。

「その後、アリーシャに勝つためには、個人の力じゃ不可能だとあたしは考えた。他の魔女の技術も結集しなければならない。埋められない魔力の差は道具で埋めるしかないとも。そしてあたしは、ノイエを組織した」

「……え?」

「個人の力で勝てないのなら、組織の力で勝つしかない。もともと“ノイエ”ってのはアリーシャ・メーテルリンクただ一人を打倒するための『組織』だったんだよ」

「ええええええええええええっ!? そんなこと一言も……」

 はっと、口をつぐむマリウス。百面相をしたあとに、疑問を口にする。

「じゃ、じゃあ、この世界で最初のノイエって、まさか」

「そ。このあたしさ」

「えええええええええっ!?」

「それだけ盛大に驚いてもらえると嬉しいね」

「でもでも、先生はアルトを名乗っているじゃないですか!」

 ギナージュは口元のしわを深くする。口をついて出たのはせせら笑いだった。

「理想と信念を持って、あたしはノイエになったつもりだった。ところがどうだい? 結局アリーシャは帰らず、ノイエもその理想を捻じ曲げちまった」

 手の中の箒に目を落とすギナージュ。

「会った時にも言ったろう? 今のノイエは箒一本じゃ空も飛べないロクデナシさ。その上、服の色を変え、自分たちが特別な存在であるかのように振舞っている。ばかばかしいと思わないかい? 道具を操るのは人なのに、それをないがしろにしちまってるのが現状だ」

「……それは」

「あたしがアルトに戻ったのはね、マリウス。罪滅ぼしでもあるんだよ。不要なレッテルを貼り、魔女の未来を歪めちまった。ま、かといって何かできるわけでもなかったがね」

「……先生」

 諦めと後悔と無力感。老魔女は一体何年の間、それと戦い続けてきたのだろう。

「それだけじゃない。あたしがアルトにこだわりすぎたせいで、今度はロッテーシャまでおかしくしちまった。私の意向でアルトとして育ったあの子は、自分より実力で劣る者に負けることを強いられ続けてきたからね」

「それでも、私は先生がまちがっていたとは思いません」

 慰めでなく、本心からマリウスはそう感じていた。

「アリーシャ・メーテルリンクに勝とうとしたこと、ロッテーシャさんを立派な魔女として育てたこと。すれちがいがあって、おかしくなっちゃったけど」

「……ふん、知ったような口を利くじゃないか。そういえば、お前はどうなのさ。一体なぜ、こんな無茶をしても《蒼天の決闘》に出ようなんて考えたんだい?」

 聞かれた途端、マリウスの歯切れが悪くなる。何を言おうか迷った挙句……

「ある約束を果たすためです」

「へぇ、そうかい。そりゃ、一体何だい?」

「それは……すみません。言えないんです」

「言えない? なぜ?」

「蒼天の決闘が無事終わるまで、言ってはいけないことになっているからです。……ごめんなさい」

「ふぅん……ま、いいさ」

 くしゅん、とマリウスが可愛らしいくしゃみをする。ギナージュのカップの中身も冷えて、水になっていた。

「しゃべりすぎたね。そろそろ休みな。明日になれば敵同士だ。手加減はしないからね」

「はいっ!」


 空は快晴。風は東南から西北へ微風。

 リヒターホルンは住民だけでなく、競技会の観戦目当ての旅客や、魔女たちで活況をむかえている。

 普段なら絶えずたちのぼる煙突のけむりも、今日ばかり職人たちと共に休みを満喫している。

 スタート位置は予選を行った噴水広場にあった。すでに出場する魔女の大半は揃っている。

 コースはそこから町を一周し、グラヌ山へ。さらにふもとの湖の中央にある浮島でターンし、引き返す。

 最後は、リヒターホルンの象徴であるユマの樹の、天辺に備えつけられた鐘をならすのである。

 ノイエたちの箒にはこの時に備えて、横を抜けるだけで鐘が清んだ音色を立てる仕掛けが組み込まれているため、決着がついたことを知らせるのだ。

「……素敵ですね、先生」

 頬に手を当て、うっとりするマリウス。

 鐘の音による決着がよほどお気に召したらしい。

「まぬけな顔してないで、ほら、こっちだよ」

「あ、待ってください!」

 予選よりさらに多くの視線が二人に注がれる。

 ノイエたちからは蔑み、旅客たちからは好奇、そして職人たちからは羨望。

 様々な感情を背に受けて、二人は進む。

 噴水の前には、倒さねばならない相手が待っていた。

「ごきげんよう」

 ロッテーシャは予選の際にまとったマントを脱ぎ捨てている。

 脚は太ももから、腕は二の腕から先が大胆に露出した、純白のビスチェドレス。

 手には、やはり白のグローブをはめ、口元は巻いた布で隠している。

「さ、さむそうですね。ロッテーシャさん」

「まったくだ。悪趣味もここに極まれりってやつだね」

 彼女の後ろには、あの不思議な形をした箒が置かれており、その周りを複数のノイエが忙しなく動いている。

「一人じゃ、箒の手入れもできないのかい?」

「軽口につきあう気分じゃありませんの」

 ギナージュの言葉をさえぎるロッテーシャ。彼女の目はこの前とちがい、完全に据わっている。

「……お望み通り、直接叩き潰してあげますわ。覚悟なさって」

「こっちの台詞だよ」

 その言葉を最後に、三人の魔女は別れ、別々に歩きだす。


――ただいま、《蒼天の決闘》の開幕を宣言します。参加される魔女の方々は、所定の位置についてください!

 ほら貝に干渉して大きくなった声が、会場に響いた。

 ギナージュの箒を握る手が、少し汗ばんでいる。

 競技として飛ぶのは久しくなかった。一体、どれほどの力が自分に残されているのだろう、と考える。

 ふと、マリウスへ目をやった。

 自分はなぜ、あの少女の頼みを聞いたのだろう?

 正確なところは彼女自身にも分からない。

 ただ、箒について語る小さな魔女の顔にみなぎっていた自信。

 実力など、一緒に飛んでみなければ分かるはずもないが、見てみたいとギナージュに思わせるだけのものがあった。

 それこそ、ロッテーシャに自分が求めていたものだったのだと、あの子は分かっているだろうか?


 スタートが近づいたことを知らせる声を聞き、マリウスは自分の胸に手を当てる。

「……すごい。今までにないくらいドキドキしてます」

 少女は楽しくて仕方がなかった。

 次に地を蹴った時、今まで味わったことのない至福の時間がやってくるのである。

 真鍮を握る手に魔力の血を流すと、箒は少女の願いをいつも叶えてきた。

 今度もきっと同じはず。マリウスは慈しむようにお尻の下のクッションを撫でる。

 スタート位置のちょうど中央。空中で制止した魔女が、旗を手にする。

 マリウスは目を閉じ、全神経を耳に集中する。


――それでは、位置について


 勝てば、今以上の戦いが待っている。ならば負ける理由はない、とマリウスは思う。

 それに、少女には果たさねばならない約束があった。


――用意!


 ギナージュのことを考える。

 自らの頼みを聞き入れ、チャンスをくれた魔女。

 マリウスは、彼女の戦いを見届ける義務があったのだ。


――バサッ


 旗が振られ、箒は空へ。

 ついに賽は投げられた。古き魔女と新しき魔女の戦いの幕が、今あがる。

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