6 蒼天の決闘
開始と同時に、ノイエたちは自らの箒に仕込んだ機能を発動させた。
ある者は柄の先端から鉛を飛ばし、前を飛ぶ箒を撃ち落とす。
またある者は、穂の先が広がり、網状になって他の魔女に絡みついた。
そんな中で一人、他のノイエたちを置き去りにしていく魔女がいる。
ロッテーシャである。
――速い! 速い! ロッテーシャ・リヒターホルン、予選よりさらに速い速度で、文字通り最短距離を抜けていきます。
時折、彼女にも攻撃が飛んでいた。しかし、その度にロッテーシャの箒から白い塗料が剥がれ、狙いは勝手にそちらへと逸れてしまうのだ。
ロッテーシャはただ前だけを見据えながら、ぐんぐん加速する。
彼女の飛行姿勢は、予選の時とは打って変わり、より攻撃的に洗練されている。
白い箒に、蛇のようにまきつき、まさに一体となって矢のように突き進む。
追いすがろうとする魔女を力づくで引き剥がす速さ。それを支えるのは、アルトとしてギナージュに鍛えられた基礎能力の高さである。
少しばかり箒に細工を施したところで、埋まる差ではない。
土台、他のノイエたちに追いつけるはずがないのだ。
彼女を止められる可能性を持つのは、同じように自らを磨くことを怠らなかった魔女のみである。
「ずいぶんと調子がよさそうじゃないか!」
「ふ。待ちくたびれましたわ、おばあ様」
ロッテーシャのすぐ後ろに、ギナージュが張りついた。
彼女の箒には、ノイエの箒への対抗策など存在しない。とんでくる鉛の弾をかわし、網を避け、体当たりしてくる魔女を踏みつけると、その反動で加速する。
二人の飛行はまさに対照的だった。片や紺のマントと仕掛けのない箒に自らの全てを叩きつけるアルト、片や白の衣装に自らの全てを注ぎ込んだ箒を握るノイエ。
みるみるうちに、後続を突き放す。
横風にあおられた時も、二人は別々の動きを見せる。
箒に内蔵されたコンパスが、乗り手の意志とは関係なく真っ直ぐ飛び続けることを強制するのがノイエなら、風の隙間を縫って縦横無尽に飛ぶのがアルトである。
ロッテーシャが風をものともせずに強引に突っ切るのに対して、ギナージュはなるべく風に逆らわないように、進行方向を微調整する。
一時的に生じる差も、追い風を味方につけた加速で埋めていく。
町中に張り巡らされたネット、生い茂ったユマの枝、煙突に屋根。
時おり、マントの端がこすれ、焦げ臭い匂いがたつ。
障害物が多ければ多いほど、ギナージュの技術は冴えを見せた。
屋台通り、職人街を抜け、ついにロッテーシャとは横並びになる。
「さすがですわね、おばあ様! 老いたりとはいえ、迅雷の名は伊達ではないということ」
「余裕だねぇ、小娘。あたしが仕込んでやっただけのことはあるじゃないか!」
コースは中盤にさしかかる。
ギナージュを助ける障害物は消え、視界はクリアに。
眼下には森が広がり、グラヌの山肌に向かって吸い込まれるように吹く風。
ギナージュは一旦、ロッテーシャの後ろへ。
姿勢を、低くし、風への抵抗を減らす。
「孫娘の傘の下に入るなど、恥ずかしいと思いませんの!?」
「あいにく、こっちは年寄りでね。楽させてもらうよ」
ロッテーシャを壁にして、ギナージュは減速を最小限に抑える。
ノイエの箒に内蔵されたコンパスは、無駄な方向転換を嫌うため、思い切った操縦でギナージュを引き剥がすことができないのである。
――これは“迅雷”ギナージュ、老獪です! 前回の覇者を露払いに使っています!
予選と異なり、コースの途中途中にほら貝が設けられ、状況を逐一共有する。
リヒターホルンの町で、決着がつく時を待っている者たちも、その声に一喜一憂していた。
グラヌ山はもう目と鼻の先に迫っている。
ロッテーシャは、背にまとわりつく敵を引き剥がそうと、さらなる加速を試みた。
その瞬間……
「引っかかったね!」
ギナージュから罵声が飛ぶ。
背後からではない。ロッテーシャが加速を始める直前に、ギナージュは減速し、柄の角度を少し上に向けたのである。
もちろん、意味があっての行動だ。
「しまっ……!」
気づいた時にはもう遅かった。
山のふもとから、山頂に向かって吹き上げる上昇気流である。
高性能のノイエの箒といえど、それに抗って直進することは不可能だった。
柄の先端を勢いよくかちあげられ、その場で回転。バランスを崩し失速する。
対して、ギナージュは上昇気流をしっかり捕まえると、山頂へ向かって加速した。
「ふん、未熟者め……」
ギナージュは最初からこれを狙っていたのである。
まともに速度で争えば、分が悪いことは分かっていた。
ならば、背後にはりつくことで絶えず圧力をかけ、ミスを誘う。
逆に言えば、他に勝つ手段はなかったのだ。
追いすがることはできても、ロッテーシャに勝てるほどの速さが今の自分に出せるとは、ギナージュ自身思っていなかった。
山を超え、湖が視界に入る頃には、ロッテーシャとは致命的とも言える差が開いていた。
「これで少しはあの子も……」
ギナージュの顔が満足げに綻ぶ。
「さて、先を急ぐかね」
――なんということだ! ロッテーシャ、風に煽られ失速! これでギナージュが俄然有利に……い、いや、待ってください! 体勢を立て直したロッテーシャが、凄まじい勢いで加速を始めました!
実況に、思わずギナージュは顔を上げ、後ろを振りかえる。
何かが白く光っている。
「なんだい……ありゃ!?」
せまってくる……それもすごい速さで。
一直線にではない。空中で小刻みに破裂音をさせながら、その度に角度を微妙に変えながら、急加速しているのだ。
パァン、パァン、と音がする度、確実に差が埋められていく。
五回の爆発。それだけで、ロッテーシャの顔が目視できるほど急速に。
不自然な動きだ。まるで、見えない壁を蹴りながら進んでいるかのように。
「勝ったと……思いました?」
底冷えのする声だった。
「くっ!」
「本当に? あなたが私に勝てると、本気で思っていたんですの? 私のミスを誘ったと得意になって」
「この臭い……火薬……!」
「勝てるわけがないでしょう? おばあ様の考えることなんてお見通しですのよ?」
ギナージュは前を向き、全力で逃げようとする。
しかし、そう思った時には横に並ばれていた。
「もう、魔力に頼って飛ぶ時代は終わりですのよ? ほら、あなたよりも速いでしょう……ね?」
「あたしは……あたしはお前に……!」
「これで分かりましたかしら? 乗り手の力なんて、幻想だということが。圧倒的な力でねじ伏せられる気分はどうですの? 昔を思い出しますかしらね? おばあ様」
「ロッテーシャ!」
「長い間ごくろうさまでした。ごきげんよう」
別れの言葉と同時に、ロッテーシャの箒の穂が破裂する。
飛び散る火花がギナージュの箒に降りかかり、炎に変わる。
飛ぶ力を焼かれた箒は、湖に向かって落ちていった。
「……せい! ギナージュ先生!」
ギナージュが目を開けると、湖のほとりに寝かされていた。
「あ……たし、は……?」
「よかった! 生きてた……!」
泣きながらすがりつかれる。マリウスだった。
ずぶぬれの体。記憶がはっきりしない。
「先生が湖に落ちた時はどうしようかと思いました! ほんとに……ほんとに無事で良かった!」
「湖に……ああ」
「ふぇ?」
「そうか。あたしは負けたのかい」
箒ももう残っていない。握りしめていた柄の感覚を除いては。
「……ギナージュ・リヒターホルン様。あなたの戦い、しかと見届けさせていただきました」
「ふん……ま、分かってたがね」
「ロッテーシャさんは……?」
「だめだった。あの子、想像以上に芯から曲がっちまってるようだね」
「……そうですか」
「さて、あとはあんたの仕事だ」
腰を叩いてギナージュは立ちあがる。マリウスのことは見ずに。
「行くんだろう? 気を使わせちまって悪かったね」
「……先生」
「なーんとなくね。予選でお前さんが降りてくるのを見た時に、気づいてたよ。あいつの差し金なんだろう?」
「……」
「あいつが今の魔女を黙って見ていられるはずがないからね」
「えへへ、よく御存じで」
「さ、あの子の目を、全てのノイエの目を覚ましてやってくれ。そんくらい頼んだっていいだろう? これだけ遅れたんだから、さ」
「……でもでも、約束したのは私のおばあ様なんですけど」
「知ったことかい。母の不始末は子が、祖母の不始末は孫がつぐなうんだよ」
「ううう……納得いかない」
「ほら、ぐずぐずしないで行きな。というか、本当に追いつけるんだろうね?」
疑わしげな目を向けるギナージュ。マリウスは笑顔で返す。
「絶対に追いついて見せます。言いましたよね? 私は勝つために戦う、と。」
マリウスはクッションに手を掛けると、勢いよく引っぺがした。
「……? どういうつもりだい?」
「はー、重かった! えいっ!」
そのまま、森に向かって放り投げる。刹那……
ドゴォッ!
轟音と共に木がなぎ倒され、土煙が上がる。
クッションの落ちた場所には、巨大なクレーターができていた。
「……は?」
「おばあ様との約束だったんです。ギナージュ先生が負けるまでは外すなって。にしても重すぎです」
「はっ! あっはっはっはっは! 笑わせてくれるよ、まったく」
「それでは、行きます」
「……ああ。そうだ、行く前に名乗っていっておくれ。あたしの目に新しい時代の始まりを焼き付けたいんだ。もう名乗れるんだろう?」
「……わかりました」
マリウスは箒に跨ると相好を崩す。
「私の名は――」
ギナージュは、虹のかかる空へ昇っていく背中を、満足そうに見送るのだった。
そろそろリヒターホルンの町が見えてくる。
ロッテーシャは肩の荷が下りた思いだった。
倒すべき敵は倒した。これで、リヒターホルン家の当主は自分として認められるだろう。
ギナージュの退任により、後任として評議会入りも確実となった。
まずはノイエの改革から始めねばならない。
いくら相手が“迅雷”とはいえ、老いたアルトごときに負けるノイエなど、あっていいはずがない。
自分が勝たなければ、残りのノイエは全てギナージュ一人に負けていただろう。
不意に、ロッテーシャから表情が消える。
「私が倒したのよ。たった今、最強のアルト。“迅雷”ギナージュ・リヒターホルンを。私の祖母であり、師を。越えなければならなかった壁を」
あたかも、自分に言い聞かせるように。
「つまり、私は今世界最強の魔女になったの。他のどんなノイエも影を踏むことすらできない、最強の魔女に」
箒を握る手に力がこもり、色を失う。
「なのに……なのに……なぜ」
目つきが鋭くなり、奥歯がきしむ。
「なぜお前がそこにいる!」
ロッテーシャの絶叫。
ちょうど彼女を視界に捉えたマリウスは、ほんの少し唇を舌でしめらせた。
こんなことがあっていいはずがない。
ただ追いつかれただけではない。圧倒的な差があるところから追いつかれたのだ。
それはつまり……
「そんな……そんなわけがない!」
ロッテーシャは自らの箒の力を解放する。
穂が再び熱を放ち、小さく破裂するたび、爆発的な速度を生む。
「追いつけるはずが、そんなはずがありませんわ!」
「……あなたはやっぱり速いです。ロッテーシャさん」
「私が負けるはずありません! しかもアルトごときに! アルトごときに!」
「間違いなく、あなたは世界最速のノイエだと思います」
じりじりと詰まる差。ロッテーシャは焦り、絶叫する。
「なぜ! なぜ、あんな小娘一人引き離せないの!?」
「でも、ごめんなさい。あなたを最速の魔女と認めるわけにはいきません」
「……お前は! お前は一体何なのよっ!?」
「改めて、名乗ります。私はマリウス……」
息を吸い、はっきりした口調で告げる。
「大魔女アリーシャの孫娘、マリウス・メーテルリンク!」
マリウスの声に呼応するかのように、箒が力を解放する。
「な……なんですって……? きあっ!」
生じた風で、ロッテーシャは吹き飛ばされる。
「楽しかったです、ロッテーシャさん。また、戦いましょうね」
笑顔を残し、マリウスの姿が掻き消えた。
――信じられません! “迅雷”ギナージュも、最速のノイエ、ロッテーシャも、他のノイエたちも誰もが、たった一人のアルトに及ばなかったのです。彼女の名はマリウス。おそらくこれが最後の実況となるでしょう! なぜなら、もう喋るヒマがないのです!
光となってマリウスはユマの樹へと一直線に突き進む。
「あ、そうか……鐘、どうしようかな」
彼女の箒には、当然自動で金を鳴らす機能などついてはいない。
凄まじい速度で飛びながら、マリウスは考える。
「うーん、まぁ仕方ないか」
町中の者がユマの大樹を見あげる。鐘の音を求めて。
マリウスがゴールする瞬間を視界に捉えることは不可能だった。ならば、せめてその音だけでも聞かねばならない。
決着の瞬間である。
光はユマの天辺で急停止する。そして同時に、可愛らしい雄叫びが上がるのを、町中の者が聞いた。
「とおおりゃあああっ!!」
ガインッ!
西の空が一瞬きらりと輝いた時、マリウス・メーテルリンクは伝説となった。
なにしろ、蒼天の決闘に用いられる鐘を、箒で遥か彼方にかっ飛ばす魔女など、金輪際現れないだろうから。
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