7 プロローグ

 決着から三日後、大会の余韻に湧くリヒターホルン。その片隅にある空地に、ギナージュはいた。

 評議会からの脱退の話も有耶無耶になっている。それもそのはず、蒼天の決闘そのものが存亡の危機に瀕していたからである。

「で? 見つかったのかい?」

「……」

 ギナージュの顔には、不自然な位に表情がない。

「黙ってちゃ、わかんないだろ」

「……えとえと、形あるものはいつか滅びるといいますか、鐘は皆の心の中にこそあったのですといいますか」

 次第に言訳の声が小さくなっていく。

 人差し指をつんつんと突き合わせながら、マリウスはちらちらとギナージュの顔色をうかがう。

 ミシッ、という音と共に、老魔女のコメカミに青筋が浮かんだ。

「なかったんだね?」

「そ、その言い方はよろしくないです! 地上のどこかにはありますよ、きっと!」

「ほう? そうかい」

「ううう……」

「泣きたいのはあたしの方だよ、この馬鹿!」

「で、でもでも、先生の弟子として優勝したわけですし、チャラってことに……」

「なるか! お蔭であたしゃ、魔女中の笑いものだよ! あの日から、どんだけ嫌味を言われたことか! 誰のせいだと思ってんだい!」

 怒声を浴びて、マリウスは涙目になった。そのままうずくまると、地面にのの字を書き始める。

「……だって、鐘のことなんて頭になかったですし、大体私の箒じゃああするしかなかったですし、たまたま力が入っちゃっただけで飛んでったのはわざとじゃないですし、見つからないのも全力で探した結果ですし」

「ええい、うっとうしい!」

 ギナージュは、その様子に頭を抱えてため息をつく。

 やがて、かぶりを振ると気を取り直したように口を開いた。

「……ま、お前みたいな奴が優勝したってのも良い機会だ。いずれにしろ、これで魔女も少しは変わるだろうさ」

「?」

 怪訝そうに首をかしげるマリウス。ギナージュは苦笑する。

「出直しってことさ。世界中の魔女達が、今後はお前を倒すことを目標にするだろう。かつてのアリーシャのようにね」

「おおお……、緊張しますね」

 言葉とは裏腹に、マリウスの瞳は楽しそうに輝いている。

 本当にアリーシャに似ている、とギナージュは思う。

「性格はまるで違うのにね……」

「ふぇ? 何が違うんです?」

「はっは! なんでもないよ。さ、そろそろ行きな。後は上手くやっておいてやる。これまでのことを伝えるべき相手がいるだろう?」

 ギナージュはマリウスの背中を二度叩くと、頭を撫でた。

 本来であれば、優勝したその日に帰してやるつもりだったのだ。

 正直なところ、鐘の行方なんてどうでもよいのだ。

 ただ、ノイエを名乗りながら、くだらない所で伝統にこだわる魔女達が大騒ぎしていたので、名目上の師であるギナージュが矢面に立つ羽目になった、それだけである。

 未だ、評議会を抜けられずにいるのは、そのせいでもあるのだった。

「……会った時にも言ったが、あたしが手助けをするのは今度だけだ。ま、今後はあたしに頼らずとも競技への参加に困ることはないだろうがね」

「先生……」

「ふん。湿っぽいのは苦手でね。今生の別れってわけでもあるまいし、その今にも泣きそうなツラをどうにかおし。探し足りないなら、いつまででもここにいていいんだよ?」

 言われて、慌てて鼻をすするマリウス。

 ぐしぐしと目を拭うと、笑顔になる。

「はい! また近いうちにお会いしましょう。次回は是非、先生とも戦いたいです」

「……生意気な。十年早いよ。あの性悪にも言っときな。この借りは必ず返す、とね。先にくたばってもらっちゃ困るんだ」

 マリウスは一つ頷くと、土産が入ったことでさらに大きさを増したザックを軽々と背負う。

「それでは、先生。また」

「……ああ、またね」

 箒に跨り、空へ。

 丸い影はあっという間に見えなくなる。

 後に残ったのは、弟子を失った老魔女一人。そして……

「いつまでそうやって隠れてるつもりだい?」

 ギナージュはよく通る声で、声をかける。ある意味、マリウス以上に頭を抱える存在へ向けて。

「……」

 間をあけて、木の影から白い衣装の少女が進み出た。

 複雑な表情。決して、ギナージュとは目を合わせようとはしない。

「ふん。やっぱりかい」

「……何故?」

「分からいでかい。お前を仕込んだのは誰だと思ってる」

 再び大きなため息。ギナージュは帽子を取って、前髪をかきあげる。

 ロッテーシャに向きあうのは、蒼天の決闘以来であった。

 ゴール直前でマリウスに抜きかえされ、ロッテーシャは行方をくらませていたのである。その間、彼女が何を考えていたのか、ギナージュには手にとるように分かるのだった。

「悔しかったかい?」

 祖母の質問に孫娘は答えない。ギナージュは、表情を変え、再度問いかける。

「勝ちたいかい?」

 師としての質問に、元弟子は睨みつけるような視線を返した。

「……愚問だったね。あたしも悔しいよ。曲がりなりにも、ノイエはあたしが作ったんだ。アリーシャ本人にやられるのならいい。だが、現実はひよっこの孫娘一人に完敗したんだからね」

「……あなたに」

「あん?」

「あなたに何がわかりますの!? 勝手にノイエを作って、勝手に見切りをつけて出ていったあなたに!」

 余裕も誇りも剥がれ落ち、剥きだしの思いをぶつけただけの叫び。

 ギナージュは正面から受け止める。

「私にはこれしかなかった! これが正しい道だと信じていた! だって、あなたに教わった方法では速くなれなかったから! あなたが捨てた物を必死に拾い集め、磨き上げるしかなかった! 分かりませんわよね!? あの子に負けた時の私の気持ちが分かるはずがないですわ!」

「……そうだね」

 ギナージュは帽子をかぶり直し、つばを下げる。

「あの子はまだまだ速くなるだろう。今ですら、私は愚か、お前ですら手におえない魔女だ。アリーシャと同じ、いやそれ以上の怪物になる。勝てるはずがない」

 ギナージュの言葉に、ロッテーシャの肩がわななく。

「今のままじゃ、ね」

「……なんですって?」

 ロッテーシャは顔をあげ、祖母の顔を見る。

 そして、背中に鳥肌が立つのを感じた。

 老魔女の瞳には燃え盛る炎、口元には獰猛な笑み。先程諦めの言葉を口にしたのと同じ人物とはとても思えない。

「おばあ……さま?」

「あたしが作り、お前が磨いたノイエは負けた。なら、また一からやるしかない。魔女を束ね、技を磨き、知恵を絞る。勝つために、速くなるために」

 ギナージュの声には、燃えつきぬ情熱が戻っている。

「さぁ……お前はどうする?」

 ギナージュは、孫娘の答えを聞く前に歩きだす。

 リヒターホルンの中心部……奇しくもマリウスが飛び去ったのとは反対の方向へと歩を進める。

 少しして、その後ろを躊躇いがちに一つの足音が追った。

「……借りは返すよ、アリーシャ」

 箒を握り直し、呟く。

「あたしたちは、お前たちを必ず打倒する」

 嬉しそうな声音。

 北から吹く風は、老魔女の言葉を飲みこむと、春の熱を帯びた。



―了―

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