第7話 猫と古屋

 蓮さんについていくと、路地裏の先から鳴き声があがった。


「にぃ~~~~~あ」


 ぴょこん、とぶち猫が顔を覗かせる。

 どうやら、さきほど唯一姿の見えなかった青龍が尾行していたらしい。主人と違って、しっかり仕事をこなす猫たちである。

 仕事をこなした結果、さっきの目にあったのかと思うと、ちょっぴり恨みがましい顔にもなるけれども。


 はたして。

 十数分ほど歩いたところで、わたしたちは古ぼけた家に辿り着いた。


(あれ……ここ?)


 妙な見覚えがあった。

 その理由を思い出して、はっと隣の蓮さんを向く。


「事情って、やっぱりじいじのことですか」

「分かりますか。ここ、多分お爺さんの持ち家のひとつですよね」

「はい」


 じいじは定期的に自分の持っている土地や家を回る習慣があり、わたしも時々連れて行ってもらっていたのである。

 この家も、そうしたひとつだった。

 扉に鍵はかかっていおらず、平然と蓮さんは踏みいって、先を行く青龍についていった。


 その足が、井戸の近くで止まった。

 地面に、さきほど見かけた男の人たちが、倒れていたのだ。


「この人たち、って……」


 言葉に詰まる。

 いずれもいかつい顔つきで、あまりまともな稼業には思えない。

 そして、彼らの服装は一様にぐっしょりと濡れていた。


「ああ、地上げ屋でしょう」

「地上げ?!」

「五十鈴さんのお爺さん、このへんはあちこち土地を持ってらっしゃいますからね」


 かなたと同じことを、蓮さんは言う。


「え、でもほとんどの土地は売れなくて、税金ばっかりかかるって」

「売れないんじゃなくて売らないんですよ。このへん、進学校が増えてきて人気ですから、マンションとかの需要高いですよ」

「あ」


 確かに、マンションが最近増えてきてるのは、わたしも認識していた。

 それと、じいじや自分とがつながってなかったのだ。


「ただ、古い土地柄ですからね。中には迂闊に触れちゃいけない場所もある。ええ、私がお借りしてる家もそうした一軒ですから。ははは。おかげで浄化がてら、格安でお借りしてるんですが」


 じいじが、人を選んでいた理由。

 倒れた男たちを、蓮さんが軽く下駄でこんと蹴る。


「あんまり相手をしてくれないもんだから、業を煮やして荒らしてやろうとか考えて、ここの主の怒りにあったんでしょうね」


「そのごく一部は、ある種の返しの風になって、お爺さんにも行ったわけですが……いや危なかった。お爺さんは風邪ぐらいですんでも、この人たちは後一日遅れたら餓死してましたよ。幸い、祟られた霊が水の性だったようで、水分はとれてたみたいですが」


 濡れている理由は、そういうことか。

 ある種の生き霊になって、彼らはじいじに救いを訴えていたのだろうか。


 不意に、桜の花弁が舞った。

 家屋の陰になっていたが、井戸の向こうには古い桜の木が植わっていたのだ。

 その根元に、振り袖の女性が現れていた。

 偽者の、春容。


 今は、その顔が別人だと、なんとなく分かった。


「……確か、ここはもともと処刑場でしたね」


 と、蓮さんが口にした。

 その顔は、別人のような鋭さを湛えていた。


「桜の根元に何百人といった血がしみた場所。そういう恨みがまだ残っているんでしょう。そうでなくても、木霊は人に影響されやすいものです」


 怒れる桜の精が、ふわりと手をあげた。

 薄桃の破片に混じって、霧が周囲から押し寄せた。

 それを迂闊に吸い込めば、わたしたちも倒れた男たちと同じ運命を辿るのだろう。

 すう、と蓮さんが一枚の紙片を取り出す。

 墨痕淋漓と、朱い墨で何事かを書かれた霊符であった。


「――急急如律令」


「……にあ」

「にゃあ」

「うにゃ」

「にぃ~~~~~~~~~あ」


 四匹の、猫が鳴いた。

 鳴き声は、呼び声だったのかもしれない。

 蓮さんと猫たちの前に、もうひとりの美しい女性が佇んでいたのだ。


 今度こそ、本物の春容であった。


「桜の精には、桜の精」


 蓮さんが囁く。

 どちらともなく、美しい女たちは滑るように歩み寄った。

 鏡写しにも似てふたつの姿が合わさったとき、膨大な量の桜の花弁が、千々に散った。


「あ……!」


 次の瞬間、霧は消えていた。

 そのときには、偽者の春容も、本物の春容も消えていたのだった。

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