猫陰陽師・猫屋敷蓮の猫日和(春)
三田誠
第1話 猫まみれ
手遅れだった。
大惨事だった。
すでに、横たわった被害者は猫まみれ。
羽織の左肩は黒猫、胴体は白猫、両足は三毛猫とぶち猫に牛耳られ、唯一右手だけがiPhoneを掴んで器用に片手でフリック操作している。
あれで原稿を書けるあたり、さすがプロと感心すべきなのかどうか。
「蓮さん、またですか」
「はい。修羅場なんです」
狐目をさらに細めて、にっこりと笑い、畳に寝転んだままの蓮さんが言う。
すでに四十近いはずだけど、その表情は悪戯好きの子供みたいだ。
「……にあ」
でぶった黒猫の尻尾が、ふわふわと揺れる。
どうやら眠っているらしい。
うっかり起こさないように、蓮さんの指がなおさら慎重に液晶画面をなぞるのを見て、わたしはなんとなくため息をついた。
「器用ですよねそれ」
「最高ですよ浄土ですよ極楽ですよ猫に包まれながら原稿が書けるなんて、文明の進歩は素晴らしい。このふわふわ! このぷにぷに! 猫臭いとしか言いようのないこのかぐわしさ! ついに弥勒は来たり、五十六億七千万年を経て救済の時代よいまここに!」
「それ、陰陽師の言うことです? というか仏教混ざってません?」
「陰陽師だから言うんです! 風水でも暦でもホロスコープでも機械に任せて、猫にかまけてられるなら、それ以上の幸せはないじゃないですか。ああ早くディープラーニングされたAIが代わりに原稿を書いてくれないものか!」
あまり真剣に嘆くものだから、こちらも返す余地がない。
猫屋敷蓮。
実にふざけた名前で、もともとはオカルトライターだったのが、ここ数年で手がけた小説があたって、作家に転身したそうだ。
というわけで、
「じゃあ、これ預かっておきます」
と、左肩のでぶ黒猫・玄武を持ち上げた。
「ひょえ?!」
「おいで、白虎、朱雀、青龍。ご飯にしたげる」
ご飯の言葉につられて、残った三匹がたちまち身をもたげる。
踵を返したわたしのあとを、すぐさま彼らが追いかけてきて、ついでに地獄から這いずってくるような畳の音が響いた。
「そんな、ちょっと、五十鈴さん。いくらなんでも……!」
「片手じゃ原稿終わらないでしょう? 終わるまで猫たちの面倒は見ておきますので、ごゆっくり励んでください」
「殺生なああああああああ?!」
背中に浴びた悲鳴の、なんと痛快だったことか。
四匹の猫たちと一緒に、鼻息もごきげんなわたしは、春爛漫な縁側へと凱旋したのであった。
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