第6話 猫と幽霊

 蓮さんの庭で彼女を見たとき、わたしはその美しさに呑まれた。

 あまりに綺麗で、この世のものとも思えなくて、目を離せないでいる内に、意識を失った。


 だが、こんなに恐ろしかっただろうか?

 佇んだ姿は寸分違わないのに、その微笑が私の脳へ噛みつく。柔らかな脳味噌に歯の跡を刻まれて、ぴくりとも動けない。

 ゆっくりと、春容が近づいてくる。

 まるで夏のスイカ割りのように、こちらを音だけで探すみたいにして。


 そのとき、硬直したままのわたしの目と口が、突然覆われたのだ。


(――わひゃあ?!)


 本当に動転していたのは、多分数秒のことだったと思う。

 すぐに、


「――違いますよ」


 聞き覚えのある、やたらと耳あたりのよい声音が、わたしの鼓膜を震わせたからだ。

 あまりに意外な相手に、恐怖も薄らいでしまった。


「蓮、さん」

「はい、静かに」


 と、蓮さんは繰り返して、自分の唇にそっと人差し指をあてた。

 いつのまに後ろにいたのか分からない。


「にゃあ」

「うにゃ」


 足下には、白猫の白虎と、三毛猫の朱雀もまとわりついている。


(え、え、え? なんで? なんで蓮さんがここに?)


「あれは、春容じゃありません」

「だ、だって、どう見ても――」


 恐るべき美女は、目の前だというのに、こちらを見失ったみたいにのそのそと顔を動かしている。

 自分の胸元に、白い符が貼り付けられていることに、わたしは気づいた。

 その符によって、かの美女はこちらを見失っているらしい。

 ひそひそと、蓮さんが続けた。


「五十鈴さんのそれは、見慣れない異国の人がみんな同じ顔に見えるのと同じですよ」

「……なに、それ」

「あれは確かに桜の精ですが、春容じゃないってことです」


 わけのわからないことを、蓮さんは言う。

 やがて、諦めたように偽(?)春容が身を翻し、黒服の男たちもそれについていった。


 怖々と、わたしはそれを見送って、大きく息をついた。


「今のって……霊なんですか」

「そりゃあ、あなたが霊だと思うなら霊なんじゃないですか」

「蓮さん」


 語調を強くすると、蓮さんが曖昧に笑う。


「霊なんていうのはね、所詮『属性』ですよ」


 懐から取り出した扇を持ち上げて、口元を覆う。


「雰囲気っていうでしょう。気配でもなんでもいいですけど、つまり私たちの脳が勝手に判断する曖昧模糊としたやつですね。春容にしてもあれにしても、たまたま今回の場合、『桜の精』という属性が雰囲気に貼り付いてるだけです。それを霊っていうなら霊なんでしょう」


「……そんな煙にまいた言い方する必要あるんですか」

「煙に巻くのが主眼ですから」

「蓮さん!」

「ははは、半分冗談です」


 じゃあ半分は本気なのか、と問いつめたい。めっちゃ問いつめたい。

 ともあれ、こちらが平常運転に戻ったのを確認したからか、蓮さんはのんびりと頭を巡らし、囁いた。


「……さて、追いますか」

「あれを?」

「そのために、玄武をお願いしたので。あの占いだと、多分ここなら当たると思ったんですよね」


 その言葉で、とある事実に至ってしまった。

 やたらに重かった黒猫をぐいと押しつけて、わたしは蓮さんを睨みつけたのだ。


「……ひょっとして、玄武はお守りってわけじゃないですね?」

「あ、ばれました」


 悪びれず、蓮さんが頭を掻く。


「ほら、招き猫と同じ要領です。五行思想で、金行に属する白い招き猫は邪気を払い、木行の霊を散らしますが、水行に属する黒猫は逆に吸い寄せますんで」

「蓮さんっ!」

「や、はは、許してください。ちと事情がありまして」


 都合よくこちらを利用したのか、という怒りは今更過ぎてわかなかった。


「ちゃんと、説明してもらいますからね」


 念押しとばかりに、わたしは口にしたのだった。

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