第5話 猫と同級生と――

「――それで、その猫連れてるの?」


 同級生の桐野かなたが、すいと眼鏡を持ち上げて訊いた。


 休日なのだが、なにせお隣さんなので、家を出たところを見つかって、とっつかまってしまったものである。

 まあ、向こうからすると、つい呼び止めてしまうぐらいには妙ちきりんな格好だったろう。


 でも、仕方ないのだ。

 なにせ、このでぶ猫、なだめてもすかしても歩かないのである。

 わたしの腕の中で、太平楽に玄武は瞼を閉じている。というか寝てるか欠伸してるところしか、見た覚えがない。

 しかも、一歩ごとに黒猫の重みは増してくるようだ。

 子泣きじじいかお前は。


「蓮さんって、確か、五十鈴が昔住んでた家に間借りしてる?」

「そう。その蓮さん」

「ふうん。五十鈴のおじいさん、このへんでいっぱい土地持ってるもんね」


 納得したように、かなたがうなずく。


「持ってるだけよ。どれも売れなくて税金ばっかり払ってるって、お父さんしょっちゅうため息ついてるし。たまーに売れそうなのがあっても、じいじが気に入った相手にしか売らないんだもの」

「いしし、それで気に入った相手が蓮さんだったわけだ」

 

 歯を剥いて、かなたが笑う。

 ちょっと齧歯類っぽい笑みに、眼鏡が似合って、可愛らしい。

 わたしと対照的な相手だと思う。

 なぜだか小学生から友達を続けてくれているので、たまに拝みたくなるんだけど、一回やったら「お布施払いなさいよ!」って恫喝されたから、もうやらない。


「だって、ほら、一回遠目に見たけど、蓮さんって結構な美形だったじゃない! 美形は常に正しいよ!」


 まあ、顔は悪くない。

 後、声はいい。

 あの奇矯な行動と言葉とを抜いて、純粋に声だけを聞いてられるなら、多くの人間が相当な幸福感を覚えるのではなかろうか。陰陽師なんかならず、声優でも目指せばよかったのに。


「で、その猫連れてるってことは、これから病院?」

「うん。じいじから好物の竹羊羹買ってきてとも頼まれてるしね」


 検査入院でしばらく食事制限されていたのだけど、やっと今朝から解禁らしい。甘味がなければ死ぬと言っていたじいじを思い出して、つい唇をほころばせてしまう。

 毎週のように甘味をネット通販してるじいじはダイエットの大敵なのだが、まあ退院したら少しはつきあってあげよう。


「じゃあ、また」


 そう言ってかなたと別れて、商店街のアーケードを抜ける。

 最近増えてきたマンションとかの間を抜けると、すぐに病院が見えてきた。

 もう数十メートルという距離で、異変が生じた。


「……にあ」

 

 不意に、腕の中のでぶ猫が鳴いたのだ。


「どうしたの、玄武?」

「にあ」


 今度は、はっきりと身体をもたげて、黒猫が鳴く。

 病院のすぐ近くの、路地裏の方向であった

 何か、視えているのか。そういえば、あの路地裏は病院からの方角だと北東にあたるんじゃないかと思って、ぞくりと寒いものが背筋をよぎった。


 いや。

 わたしにも、視えたのだ。


「え――っ!」

(な、に――あの男の人たち――)


 黒服の男たちだった。

 凄まじく悪い顔色で、病院の一部屋を――ああ、じいじの部屋を見つめている。

 その足下に、水たまりができていた。

 男たちのスーツは一様にぐっしょりと濡れていたのだ。

 ばかりか、たまさか降り落ちた数枚の桜の花弁が、すうと空気のように、ひとりの肩を突き抜けたのである。


(――――っ!)


 まずい。

 昔から、こういうのとわたしは妙に縁がある。

 とにかく、目を合わせないようにしないといけない。

 気づいていることに、気づかれないように――そうっと、そうっと――


 ――なのに。


 もうひとり、男たちの後ろに佇んでいたのだ。

 こちらは女性であった。

 男たちよりも遙かに暗い、昏い空気を纏う美女を見た途端、わたしの自制は弾け飛んでいた。


「――春容?!」


 蓮さんの家で見た、桜の精。

 あまりに美しくて、何事かを蓮さんに忠告してくれた振り袖の美女。


 しかし、今の彼女は。


 ぐるん、と振り袖の上の首が回った。

 まともな人間の骨格なら、あまりにも不自然な曲がり方。意外と気の小さいかなたとかなら、それだけで気絶してしまいそうなぐらいの。


 にたあ、と朱い唇を引き裂いて、春容は笑ったのだ。

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