第3話 猫(と)陰陽師
振り向くと、さきほどの美人さんはもういなかった。
影も残さず……という言い方がよく似合う。後には桜の花びらが散っているばかり。
「蓮さん、原稿は」
誤魔化すように言いながら、スマホの時計を見やると、まだ二十分も経っていなかった。
「……ひょっとして、終わったんですか?」
「あたりまえじゃないですか! 一時間も猫を奪われたら死んでしまいますから、速攻で書き上げましたよ?!」
どうやら、書いたのは本当らしい。
だったら、毎回修羅場になる前に、猫を引き離せばいいのに。
呆れて眉をひそめると、三毛猫の朱雀が庭の方に駆けていった。
四匹の中でも一番のオシャレ好きな性質だからか、薄桃の衣とばかりに、桜の花びらと戯れている。わちゃわちゃと舞い上がる花びらを見て気になったのか、今度はおっとりもののぶち猫・青龍も加わって、一緒に遊び出す。
この二匹は何かと一緒にいることが多かった。
その様子に、つい疑問が口をついて出た。
「どうして、咲いてるの」
「ふえ?」
「だって。わたしが知ってるのは、ずっと枯れてたのに」
「根が枯れてたわけじゃないですから、咲くときは咲きますよ。花は咲きたいときに咲くもんです」
それじゃ、まるで魔術だ。
まったく納得してないわたしに気づいたのか、蓮さんはああと手を打った。
「……ひょっとして五十鈴さん、視ました?」
びくっ、と肩が震えてしまった。
「何の、ことです」
「桜の精ですよ」
なんらもったいぶりもせず、ずばりと蓮さんが言う。
桜の精。
非現実すぎる表現が、あの美しすぎる女性相手には、すとんと腑に落ちた。
「蓮さんも、視たんですか」
「はは。視たというのは正確じゃないですね。ああいうのは本質的には視覚じゃなくて、感じてるものですから。――まあ、ここに住んでから、ちょっとだけ世話させてもらったんですよ。これだけ立派な桜なら、いい式になるんじゃないかと思って」
またも、非日常な単語が、口からでてきた。
「式……って式神っていうやつ?」
「一応陰陽師ですよ? まあ、本来、陰陽師は弁護士みたいな朝廷公認の天文学者や占い師であって、いわゆる呪術は使わないと仰る方もいますが」
博士号をもらわないと博士じゃないみたいな話ですね、と蓮さんは淡く笑う。
「でも、そういうのって、おまけが大事じゃないですか」
「ごもっとも」
うなずいて、ひら、と扇を上下に振る。
はしゃいだあげく、一枚の毛皮みたいにもつれあっている朱雀と青龍の真上で、花びらがゆるりと群れ集った。
「あ」
わたしの声が、花の闇に溶ける。
そこには、確かにいた。
さきほど消え失せたとばかりに見えた、振り袖の美しい女性が。
「春容(しゅんよう)と、名付けさせてもらいました。一年にこの時期だけ姿を見せる式ですよ」
蓮さんが言う。
その前で、何事か、美女の唇が震えたようだった。
「ああ、なるほど」
と、蓮さんがうなずく。
「――五十鈴さん。お爺さんが、どうかしましたか?」
不意に。
この猫馬鹿陰陽師は、核心をついた。
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