第一章 正義の鉄槌≪イビルバスター≫ 後編

「しぶやぁー、しぶやぁでございますー」

慈峰は東急東横線を乗り、30分ほどかけて渋谷へとやって来た。更に渋谷駅のダンジョンめいた構造のおかげで外に出るのに20分はかかった。神の力を使えばそのくらいへっちゃらだと思うかもしれないが、慈峰はそのような発想が出なかった。


四月にも関わらず、人から発せられる熱が多いのか、渋谷は暑苦しい。それに加え、排気ガスによる汚染がひどく、慈峰はコホコホとせきをする。

少女から渡されたマップを頼りに、古びたビルの階段を上がる。マップに書かれた番号の部屋をノックして入る。

そこは異様な部屋であった。もくもくと線香がたかれ、象の置物やら丸裸にされ電子基盤が見えているコンピュータやら鳥の剥製やらがところせましと置かれていた。


「ようやく来たな、まちわびたぞ」

慈峰が振り向くと、そこにはさっきの少女がいた。制服から着替えたらしく、ドン・キホーテで売られている量産コスプレ衣装のような安っぽい巫女服を着ている。その上、左手には包帯を巻いているしまつだ。

「わたしの名は、流未那須るみなす・アリス。イトロン秘密教団の聖なる巫女だ」


その言葉を聞き、慈峰は一瞬反応できなかった。しかし、すぐに体勢を立て直し、心のそこから馬鹿にした。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁあ! 流未那須アリス? イトロン秘密教団? 聖なる巫女!? あははははははははははは! ちょっとちょっと、あなた高校生だよね? それになんだよ、その包帯。もしかして、外すと力が解放されるとか?」

「よくわかったな、その通りだ」

流未那須は素直に応えた。

「いやいや、冷静に考えようよ。包帯をとったところで力なんて解放されないよ。キミは、アニメとか漫画とか見すぎて頭がおかしくなっているんだね。いますぐ精神病院に行くことを奨励するよ。ゴー・トゥー・メンタルホスピタル!」


これだけ馬鹿にされたにもかかわらず、流未那須は眉一つ動かさない。冷静さの見本である。

「よかろう、信じないのであれば、それでもいい。しかし、おまえは選ばれたのだ。左手に神を移植するものとして」

「いやいや、俺自身が神だから移植するもなにもないって……って、なにやってんだぁぁぁぁっぁぁぁ!」

慈峰が飛び上がって驚いたのも無理はない。流未那須は薄汚れた注射器を彼の左上に突き刺そうとしていたのだ。

「なにって、神の移植だ」

「神だかタコだか知らないが! そんなもの刺されたら破傷風になって人生さよなら即お陀仏だよぉ! もうこんなところにいられるかっ、俺は帰らせてもらう!」


捨て文句を吐き、脱兎の如く逃げようとする慈峰。それを止めるため、流未那須はついに自身の切り札を発動させる。


「出でよ! 〈熱線剣ブラスター〉!」


流未那須は、左手の包帯を解いた。その腕は異常であった。ところどころ、皮膚が角質化しており、まるで灰色の石のような塊があった。特に、指は、コウモリ傘のフレームのように、細く、曲がりくねっていた。


ぐぉんぐぉんぐぉおんぐぉおおおおん!


流未那須が慈峰に向かい、左手をかざすのと同時に、そんな音が鳴り響いた。ちょうど電子レンジが稼動する音に近い。


「ぐぁぎゃぁぁぁぁぁアツイ!?」


慈峰が悲鳴をあげる。なんと、彼のブレザーのボタンが全部解け、液体状になっていまっていたのである! 神である彼としてはあるまじき失態である。


「なんてことするんだぁー、火傷しちゃうじゃないか!」


流未那須は顔色一つ変えず、左手を慈峰が持っているカバンに向ける。


ぶわぁー! 火だ。カバンから火が出ている! なんということであろう、高校生としてのアイデンティティである制服とカバンが一日にして燃やされたのだ。

いくらなんでも、この仕打ちはひどい。慈峰もそう思ったのだろう。全力をもって抗議し始めた。


「おまえっ! 正真正銘の精神異常者だな! せっかく今日からはじめる高校生活を楽しみにしていたのに! それを、こんな風に燃やしてしまうとは! なんというか……ゴー!トゥー!ザ!メンタル!ホスピタァァル!」


あまりに急な事態に、さすがの慈峰も適切なボキャブラリーが見つからなかったようだ。


「なんとでもいえ、だが、この注射はさせてもらう」

絶対使い古しているだろうと思われる注射器を、流未那須が掲げる。


これは、焼け死ぬか破傷風で死ぬかの二者選択だ。焼け死ぬのは痛そうだし全身火傷になったら助かりっこないが、注射されてもすぐ消毒すれば大丈夫かもしれない。冷静沈着な判断をしたあと、慈峰は思い決断を下した。ここは注射のほうをとるのがよいだろう。


「わかってっいてぇぇぇぇぇぇっぇえええ!」


流未那須は慈峰が言い終わるまえに刺してきたのだ。注射器のなかの液体が左手に入っていく。猛毒であればもはや後戻りはできない! 


「ふっ、これで終わりか? たいしたことないじゃないか! あはははははははは!」

慈峰は虚勢を張って笑ってみた。内心では一刻も早くここから去りたい気分だ。

「そうだ、あとは特殊能力の目覚めを待つだけだ」

「特殊能力! そうきたか! 中二病のキミからすれば得意分野だもなっ、せいぜい黒歴史をつみかさねて大人になったとき顔を赤らめるんだなっ!」


捨て文句を吐き、慈峰はドアを開け帰ろうとする。しかし、彼が開ける前に向こう側からドアが開いた。そのおかげで、鼻をドアにぶつけてしまった。


「おいっ! なんてことするんだ! わたしは神だぞ! わたしの一突きでおまえの顔に醜い出来物ができて……んっ?」


慈峰は、入ってきた相手の姿を見て罵倒を止めた。なぜならば、その男は全身黒ずくめのどうみてもニンジャにしか見えない格好をしていたからだ・


「ふっふっふ、わたしの格好を見て驚いているようだな」

男は余裕の笑みを浮かべる。

「おっ、おまえは……」

「そう、わたしこそは泣く子も黙る公安局員だっ!」


数年前できた国家伝統復興法により警察官はサムライの格好を、公安局員はニンジャの格好をするよう義務付けられていたのだ。


「どうやら、このアジトを突き止められたようね」

後ろの方で流未那須が言う。


「その通り! 残念だな。このビルは警官隊に包囲されている。大人しく投降するんだな」

「俺は第三者だ。あいつとは何の関係もない、助けてくれ!」

慈峰は公安局員に鳴きついた。みっともない。


「残念だな、少年よ。このビルにいる者は全滅させろと指令が出ている」

「そんなぁー」

「どいて、わたしが殺る」

流未那須が前に出る。


「おっと、近づくなよ。それ以上動くと、この全自動手裏剣で大出血だ……いや大出血でござる!」

公安局員はあわてて語尾に『ござる』をつけた。国家伝統復興法により、公安局員は任務中に語尾をござるにしなければならないと決められているのだ。


しゅるしゅるしゅるるるるるる。全自動手裏剣が回転し、流未那須のほうへ向かった。この手裏剣は内部にジャイロスコープが搭載されており、自律的に目標へ向かい、その上スマートフォンで遠隔操作もできるという優れものだ。


「とりゃー!」

流未那須が気合を入れて叫ぶ。左手から熱線が発射され、全自動手裏剣が液体化する。熱はそれでも止まらない。公安局員の頭は急激に熱されてしまったため、水蒸気爆発を起こし、破裂した!

破裂した衝撃で、眼球が吹き飛び、慈峰の口のなかに入ってしまった。


「あむあむ、うぇっまずすぎる!」

慈峰はせっかくなので眼球を咀嚼してみたが、あまりのまずさにすぐに吐き出した。ついでに昼食べたものも吐き出す。


きゅるきゅるきゅるきゅりゅりゅきゅるきゅるきゅる!

窓の外からそんな音がした。全自動手裏剣が飛んできたのだ。手裏剣は窓を割った後、爆発し、部屋中に鋭い針を撒き散らした。

「とりゃぁー! 堪忍するでござる!」

サムライの格好をした警官隊が、超微小な振動により物体を分子規模で切り裂くことのできるハイテク刀でドアを切り、入ってきた。


「よし! 流未那須! 丸こげの人肉ステーキにしてしまえ!」

自分は安全だとわかった慈峰は調子に乗って流未那須に命令する。

「いわれなくても理解している」

流未那須は自然な動作で警官を焼き殺す。


二人はドアに飛びつき、それを開ける。その向こうに広がっていたのは、想像だにしなかった光景であった。サムライ、サムライ、サムライ、ニンジャ、ニンジャ、サムライ、ニンジャ、ニンジャ、ニンジャ。警視庁と公安はできる限りのリソースを費やしているようで、道路は警察官と公安局員の波で埋まっていた。


「こらー! 貴様ら! このわたし、神であるこのわたしに向かってなんと無礼なことをするんだぁぁぁ!」

慈峰は波に向かい、叫んでみた。うまくいくはずもない。実は彼自身もうまくいかないだろうとうすうす感じていた。だが、なにごともやってみなくてはわからない。失敗もまた、偉大であるのだ。


「こりゃー、どーしようもない! どうしよもなーい!」

どうしようもない状況を自らに実感させるため、慈峰は叫ぶ。

「いや、どうしようもある」

流未那須は自分の髪を撫で、クールに左手を階段にのせる。ステンレス製の階段はだんだんと白熱し、ついには液体となる。高温の液体は、川となって人の波へ押し寄せる! 阿鼻叫喚! 地獄絵図! 全身火傷! その混乱に乗じ、二人はやすやすと包囲網を突破した。


「いやー、すごいな! そのブラスター! 一体全体どのような仕組みなんだい?」

余裕が出てきたため、慈峰は疑問を吐き出す。

「奇跡だ。奇跡であるため説明できない」

そう言い切る流未那須。

「いや、奇跡なんてあるわけないじゃん。俺が起こすのは別だけど、俺が知らないところでそんなもの起こらないよ」

慈峰は見当違いの反論をする。


「よかろう、説明しよう。この左手は、ある隕石に入っていた鉱物を注射したのだ。その鉱物は一千光年離れた惑星から飛来した珪素生命体だ。その珪素生命体はある情報を持っていた。情報とは、いわば、宇宙の形而上学的欠陥だ。いまは注意深く隠されているが、宇宙には重大な欠陥があるのだ。その欠陥が露にされると、存在の根本的矛盾が明らかになり、すべての存在は非存在に裏返ってしまう。そんな情報を使って、宇宙を脅迫するのだ。この情報を公開されたくなければ、わたしに奇跡を起こせと。そうして手に入れたのがこの〈熱線剣ブラスター〉だ」


「そんなたいそうなもののくせに、たいした奇跡じゃないよな。火炎放射器で代用できるし」

慈峰は当然の感想を言った。


「わたしの情報はたいした欠陥じゃなかったから、宇宙がこんな奇跡しか与えてくれなかったんだ。だが、慈峰、おまえの左手に移植したやつは、たいしたものだ。なにしろ、わがイトロン秘密教団が数万年にわたって受け継いできたものだからな。きっと、それで史上最強の奇跡が起こせる」


「史上最強ねぇ。俺はもう神だから史上最強のはずなんだがな。けど、最強×最強=超最強だからいいな! やっぱり最強って気持ちいいもんな!」


二人はそんなのんきな会話をしながら、スクランブル交差点に来ていた。もう警察官や公安局員が追ってはこないだろうとたかをくくっていたのだ。しかし、それは大変な間違いであった!


ピカッ! ピビビィィイィィィィイイイィィィィィィィン! ピヒャァァァァアアァァァァァァァァァァァァァアアァァァァン!!


高度一万二千キロメートルの上空で、日本政府が所有する特殊軍事用最高機密人工衛星〈正義の鉄槌イビルバスター〉から紫色のビームが飛び出した。


そのビームは、渋谷道玄坂下のスクランブル交差点へと降下する。


「ぐぁぁぁあ! あぶない!」

慈峰は間一髪でそのビームを避ける。ビームは彼のとなりにいた中年男性の頭に直撃する。


「なんだこりゃ!」

中年男性が自分の頭皮をかき混ぜるのを見ながら慈峰が困惑する。


「〈正義の鉄槌イビルバスター〉! まさかここで使うなんて!」

「一体全体、なんなんだよ!」

「軍事衛星だ! 精神汚染光線を発射する。紫色の光に触れたら頭が狂ってしまう!」


流未那須は勘違いしているが、紫色の光そのものが精神を狂わすわけではない。光はあくまでも付随的な現象である。精神汚染を行う原因は、空間のうねりをメディアとした非常に高密度な情報だ。〈正義の鉄槌イビルバスター〉のなかには、小型の粒子加速器があり、そこでビッグバン並みの衝撃がともなった粒子衝突がおき、その結果、多量のマイクロブラックホールが発生する。ブラックホールはホーキング放射をしてナノ秒単位で消えていくが、そのとき空間のゆがみをもたらす。そのゆがみには非常に高密度な情報が存在する。もっとも、情報といってもそれは整然とした低エントロピーの情報ではなく、非常に乱雑な高エントロピーの情報だ。一定の空間には、最大値のエントロピーが設定されており、それ以上の情報(=エントロピー)を受け入れないという物理法則がある。精神汚染はその法則を利用して発生する。人間の脳は神経間の情報交換により働いているが、その情報交換は脳内の空間エントロピーが最大値に達したとき、意味がなさなくなる。ノイズによって音楽が消されてしまうのと同じだ。そのため、情報交換ができなくなった脳は狂気に陥るのだ。では、なぜ紫色の光線が出るのか? それは、空間からあふれ出たエントロピーがエネルギーに変換されているからだ。『マクスウェルの悪魔』の思考実験などから情報はエネルギーに変換可能であることが示されている。空間からあふれ出た情報は、光のエネルギーとなり外に放射されるのである。このとき、エネルギーの高い紫色スペクトルが放射される。


二人はそのような原理は知らなかったが、自分の生命が危機に陥っているということはわかっていた。


ピカッ!


光線はレンタルビデオ屋に落ちた。

「おお! 再生デッキがありました!」

店員は客の口をビデオデッキと勘違いし、テープを無理矢理そこに入れた。客は痙攣しながら店員の顔に胃液を吐き出す。


ピカッ!


光線はパチンコ屋に落ちた。

「ぐわー、玉がない!」

パチンコ玉がなくなった客は、しかたなしに、自分の眼球とのどぼとけを万年筆でほじくり、パチンコ台に押し込んだ。通常であれば、機械が壊れるところだが、イビルバスターの影響でパチンコ台のコンピュータも壊れていたため、大当たりが出た。


ピカッ!

光線は焼肉店に落ちた。

「人間の肉は豚の肉と非常に質感が似ているそうです」

ある店員の一言に乗せられた客たちは、表決の結果、アルバイトの少年を生きたまま鉄板のうえに乗せて食べることに決めた。


ピカッ! ピカッ! ピカッ!


紫色の光線は渋谷各所に落ち、各所に狂気を発生させていく。

その光は、慈峰と流未那須のほうへだんだんと近づいていった。


「うひょひょひょひゅぉおおおおお! 光線さん! もう俺は狂ってってマース!」

狂気を擬態し、イビルバスターの追跡を逃れようとした慈峰だが、そうは問屋がおろさない。


「なにやっているんだ、慈峰。いまこそ奇跡を起こすときじゃないか!」

流未那須にどやられる。

「けどな、宇宙を脅迫するってどうやるんだ? 全然わかんないぜ」

「とにかく頑張れ」

「なんちゅー精神論!」


しかたがなく、慈峰は頑張った。こんなときは頑張るしかないのだ。

左手に集中し、宇宙に呼びかける。


宇宙! 宇宙! 宇宙! 宇宙よ! 聞いているか!?

ここにある情報がなにかわかっているのか!?


そんなことをやっているうちに、外界の騒音が消えていく。身体の感覚も消えていく。あるのは、左手のみだ。まったくの暗闇のなかに、左手だけがぽつんと浮かび上がる。


(……)


なにかが、蠢いた。途方もなく強力にして、思い描けないほど巨大ななにかが。


(……これは?)

慈峰はそう言った。いや、言ったのではない。言語がそのまま浮かび上がった。そんな感覚だった。


(……われを呼ぶものは誰だ……)


次の瞬間、慈峰の目の前に、風が、習字が、ギターが、ウサギが、豆乳が、空が、地球が、マゼラン星雲が、線路が、格安国際航空会社が、サーモスタットが、画鋲が、クォークが、火星が、反電子が、アルファベットが、洗濯ばさみが、渋谷が、流未那須が、慈峰が、宇宙が、そしてその他すべてが現れた!


(……全てが! 全てが俺に話しかけている!)


そう! 宇宙とは! 森羅万象すべてのことなのだ! 宇宙を脅迫しようと思ったら、この全て、全てを相手にしなければならないということだ!


常人であれば、ここで気絶していただろう。だが、慈峰は自分を神だと思い込んでいる。彼は自分が宇宙全てより偉いと思い込んでいる。彼は、全てを前にしても、気絶しなかった。


(……おい! 宇宙! 俺の左手になにが握られているかわかるか?)



(……そ、それは……×××××××!)



それが、なにを意味するのか。ここでは隠しておくことにする。なぜなら、それを知った瞬間、宇宙にある根本的な欠陥にショックを受け、欝になり自殺してしまうだろうからだ。


(……どうだ! これを公開されたくなければ、俺に最強の能力を与えやがれ!)

宇宙がしょぼくれていくのを見て、慈峰は図に乗り始めた。


(……うぇぇぇん、若いときインフレーション起こしすぎたのが悪いだよぉ。なんであんな黒歴史をいまごろ……)

宇宙は若気の至りを反省した。


(……おい! 宇宙、聞いてるのか!? さっさと異能力を渡しやがれ!)


(……わかった、わかったって。えーと、とりあえず最強の能力はこれかな? これあげるからとっとと消えてね……)


慈峰の左手が、光り輝いた気がした。実感として、最強になった気がする!


(よしゃぁぁぁっぁ! これで勝った! 勝ったぞぉぉおおおおおお!)


気の早い慈峰は、すぐに勝利の咆哮をあげる。

その咆哮をきっかけに、彼は渋谷へと戻っていった。


「勝ったぁっぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ! 勝利だぁああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ!」


「うわなんだ」

突然目覚め、叫び始めた慈峰を見て、流未那須は少々驚いた。


「勝ったんだ! もはや俺の勝利! 最強の能力がこの左手にあるんだからなっ!」

自分の左手をほれぼれと眺める慈峰。

「それはすごい、で、どんな能力だ?」

「えーと……、なんだっけ?」


慈峰は大変なことを忘れていた。いくら強い能力でも、その使い方がわからなければ猫に小判、豚に真珠、まったくもって意味がない。彼は自分の能力がどのようなものかすら知らなかったのだ。


「ええい! 最強なんだから自動的に発動するんだろ! わが左手よ! 覚醒せよ! ぐぉぉおおおおおおおぉぉぉ!」

そんな悪あがきむなしく、何も起こらず。紫色の光線が二人の隣にあったビルに直撃した。

とたんに、人々が落ちてくる。平泳ぎのポーズをとりながら落ちるもの、システマティックなダンスを踊りながら落ちるもの、スマホを起動する程度の気楽さで落ちてくるもの色々だ。


「慈峰! あぶない!」

流未那須が叫ぶ。両手を伸ばし真っ逆さまに落下する会社員が、慈峰に当たりそうだったのだ。彼女の警告は結局のところ無駄に終わった。


ずっぎゅごぉーーん、じゅりゅじゅりゅじゅりゅりゅるりゅ、ぐじゅちゅちゅぢゅぢゅぢゅじゅ!


そんないやな音がして、会社員の脳髄が慈峰の髪の毛にこびりついた。慈峰自身は石頭のおかげで無事であったのだ。


「うひょー、なんだこりゃ! 汚らしい!」

さすがの慈峰も赤の他人の脳みそをぶっかけられるのは不快だ。


「慈峰! あぶない!」

流未那須は二度目の警告をした。今度は、紫色の光線が慈峰の頭上に迫っていたのだ。不憫なことに、今回の警告も無駄なものだった。


ぴかぁぁぁぁぁっぁぁぁあぁ! ぴかっぴかばりゅりばりりばりばり! じゅばばばばばば!


光線が慈峰の頭に直撃する! 高濃度のエントロピーが脳活動を邪魔し、たちまちのうちに彼は狂っていく!


……はずであった。しかし!


「ん? なんともないぞ!?」


なんともなかったのだ! それは、なぜか!? 実は、彼の頭にこびりついたたくさんの脳髄に原因がある。脳髄とは、非常に秩序だった情報を持つ存在である。その脳髄が頭にこびりついたため、いくら空間のゆがみにより情報ノイズが与えられていても、秩序だった情報がそれを打ち消してしまうのだ!


慈峰は、そのことに瞬時に気づいた。


「流未那須! 脳髄を頭にかけろ! バリアになる!」

「よし、わかった!」


流未那須は、歩道に転がっていたレンガをとると、通行人の頭蓋骨を割り、穴を空け、片手でつかみとり、頭に塗りたくった。死んだばかりの脳は、まだ、血液があるためほんのりとピンクがかったクリーム色だ。苺プリンを想像してくれればよいだろう。


その直後、流未那須にも光線が直撃した。多少、カッパの物まねがしたくなったが、それ以外は全く何の影響もない!


「よし! このまま人ごみにまぎれて逃げ切るぞ!」


二人はふたたびスクランブル交差点へ行き、そのままの勢いで東急東横線へ入っていった。

「しぶやぁぁぁ、しぶやぁぁぁ。次は自由が丘に止まります」

無事に電車は出発し、元町・中華街方面へと動き出す。

イビルバスターは二人を見失ったらしく、半蔵門線の電車に光線を当てた。脱線転覆するが、東急東横線にはなんの影響もない。ダイヤ一つ乱れない!

電車は横浜へと定時に到着し、二人は無事に家へ帰ったのだった。


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神を左手に移植する 草野原々 @The_Yog_Yog

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