後編 守られた約束

 長い一日であった。


 大輔だいすけは詰襟制服を脱ぎ、シャツの袖をまくり上げて洞窟前の草の上に座っている。

 夜空には満天の星がきらめき、おぼれそうな濃い空気が漂っていた。


 周辺の偵察に出た田中たなかがもどり、ふたりは味気ない夕食をともにした。

 空腹をすべて満たすことはできなかったが、大輔は食欲がなく、それでも充分であった。


 田中は少し離れた切り株の上に腰をおろし、足元に生えている草をちぎった。


 密林ジャングルの奥から、鳥の鳴き声が聞こえる。


 田中は器用に手にした草を口元にくわえ、静かに草笛を吹き始めた。


 大輔の耳にその旋律が届く。

 小学校時代に習った曲だ。


 ~うさぎ追いしかの山、小鮒こぶな釣りしかの川。

 夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷ふるさと


 心にしみわたる旋律に、知らず大輔は涙を浮かべていた。


 日本人の心を包み込む調べを吹き終え、田中は足元の草を一枚丁寧にむしる。

 無言でそれを大輔に渡した。


戦場ここには残念ながら娯楽になるものはなくてね。

 草笛は、私の父から教わったんだ。

 きみも覚えたらいい。

 慣れればすぐに好きな曲を自由に吹くことができる。

 もしきみがいつかどこかで孤独に耐えられなくなったら、吹いてごらん。

 音楽はね、人の魂に安らぎを与えてくれるんだ」


 教師である田中は生徒に教えるように、大輔に草笛の吹き方を教えた。


 最初はまったく音が鳴らず大輔はあごの付け根が痛くなるものの、田中の説明、指導法は的確であり大輔は三十分かからずに鳴らせるようになった。


 大輔は嬉しそうに草笛をいじりながら、ふと顔を田中に向ける。

 

「おじさん」


 大輔は洞窟で独り待つ間に考えていたことを、話してみようと思ったのだ。

 田中は草笛を持ったまま振り向く。


「あの、怒られるかもしれないんだけど」


 大輔の上目づかいの表情を見て、田中は微笑んだ。


「ははっ、わたしはそんなに短気じゃないよ。

 言ってごらん。

 きみの考えたことを」


 優しくうながされ、大輔はうなずく。


「あの、おじさんはここで戦争をしているんですよね」


「うん、そうだ」


「今はですか?」


 田中は眉間にしわを寄せた。


「れいわ?

 それは何かな」


 大輔は肩を上げて、興奮を押さえようとする。


「えっと、すみません。

 もしかして、もしかして、しょ、昭和の時代、ですか?」


「ああ、そうだよ。

 昭和十九年四月だ。

 もしかして、記憶が混乱してしまっているのかな」


 田中の心配そうな顔を、大輔は大きく目を見開き正面から見た。


「昭和、本当に昭和なんですか!」


「おいおい大輔くん、大丈夫か」


 大輔は驚愕の表情で天を仰いだ。


「まさか、まさか、本当にそうだったなんて」


 尋常ならざる大輔の変貌に、田中はあわてて駆け寄る。


「おい、大輔くん、しっかりしろ!」


 突然轟音がふたりの耳に響いた。

 森の奥で、激しい爆発が起こる。


「敵襲だ!

 逃げるぞ!」


 田中は急いで洞窟の中へ走り込み、銃剣や手榴弾しゅりゅうだん等の武器を詰め込んだ背嚢はいのうをつかんで出てきた。

 頭には鉄帽をかむっている。


「さあ大輔くん、ゆくぞ!」


 あまりの急展開に、大輔の思考は空回りをしていた。

 田中は舌打ちをすると、強引に大輔の腕をつかんで走り出す。


 樹木の間から鉄砲を撃つ乾いた音に混り、重機のうなるエンジン音がいくつも聞こえてくる。


 ふたりは天の明かりだけを頼りに、音とは反対の密林の中へ走る。

 転がりそうになりながらも、大輔は叫んだ。


「おじさん!

 もう戦っても無駄です!」


「いいから急げ!」


「だって、だって、日本は負けちゃうんだもん!」


 田中は驚いて立ち止まる。


「滅多な事を口にするな!

 我が皇国が負けるなんてありえない」


「本当なんです!

 ぼくは歴史が得意じゃないんだけど、おじさん、この戦争で日本は負けることは事実なんです。

 昭和って呼んでいた時代も終わって、僕は平成になってから生まれたんです」


「馬鹿なことを言うな。

 それではきみは、未来からやってきたとでも言うのか。

 そんな空想科学小説みたいな」


 田中は言葉を切った。

 あらためて大輔を見つめる。


「そんな話を、理科の教師であるわたしは信じられない。

 しかし」


 田中の思考を邪魔するように近くで火花が散り、木の幹がはじけ飛ぶ。

 ふたりは再び走り出した。


「わたしが大輔くんを発見した時に見た青い光。

 あんな現象は、現代の科学では解明されていないはず。

 それに大輔くんの語った話の内容。

 いや、そんなことはあるはずない」


 つぶやきながらも田中は必死に退路を探し、大輔を引っ張って走る。


 戦車と思われる重たいエンジン音が、さらに迫ってきた。


 田中は急に立ち止まり、大輔の腕を離す。

 ゆっくりと大輔の顔を見た。


「大輔くん。

 きみの話は到底信じることはできない。

 だが実際に、きみはここにいる。

 わたしは兵士として、いや、同胞の大人としてきみを守る義務がある」


「おじさん、降伏しよ、ねっ!

 そしたら命は助かるから」


 大輔は田中の腕を握る。


「降伏するくらいなら、敵もろとも自決する覚悟はできている。

 ここでわたしが食い止めるから、きみは走れ。

 まさかとは思うが、もう一度あの光がきみを、その未来とやらに戻してくれるかもしれん。

 兵士であるわたしと一緒にいれば、やつらは子供だとて容赦はしないだろう。

 さあ、行きなさい」


「いやだ!

 ぼくはおじさんといる」


 大輔は出したこともない渾身こんしんの力で、田中を引っ張ろうとした。


「大輔くん。

 わたしだって死にたいわけじゃないから、心配はしなさんな。

 ただひとつだけ。

 もしきみが未来とやらに戻れたのなら、頑張って生きてほしい。

 何があっても生き抜くんだ!

 そして人間が互いに憎しみ合うことのない、そんな世界を、未来を創ってほしい」


「おじさんっ」


「さあ、行きなさい。

 仲間がやられて、わたしだけが命欲しさに降伏することはできない。

 愛する妻と我が子を、そしてわたしをはぐくんでくれた祖国を守るためにここで戦うよ。

 大輔くん、きみならできる。

 頑張れ!」


 田中は大輔をつき放すと、銃剣を構えて振り返った。

腹の底からときの声をあげると、森の中へ駆けていく。


「おじさーん!」


 大輔が追いかけようとした時、再びあの青い光が天からまっしぐらに貫いた。


 〜〜♡♡〜〜



 大輔は気づくと、駅ビルの高層階に立っていた。

 荷物をつめたバッグが、かたわらにある。


 だが家を出る時に着ていたはずの詰襟制服だけが、なくなっている。


 大輔は戻ってきたのだ。

 信じられないが、過去へ行き、そしてまた帰ってきたのだ。

 大輔のかたく握りしらめれた両こぶしは、生きている実感に震えていた。


 沈んでいた心が、沸き立っているのがわかる。


「戻ってきた、おじさん、ぼくは戻ってこれたよ! 

 ぼくは生きなきゃだめだ。

 どんなに辛くたって、絶対に負けはしない。

 それがぼくを守ってくれた、おじさんとの約束だから」


 強い決心の言葉を口にし、晴れやかな顔を上げて駅ホームへ下りていく。


 〜〜♡♡〜〜


 祖母は到着駅のホームで待っていてくれた。


 両親からどんな話をされ、どうして大輔を引き受けたのかは大輔にはわからない。

 でも祖母は穏やかな笑みで心から「いらっしゃい」と、大輔の頭を遠慮気味になでた。


 平屋の家につくと、空いていた六畳間をあてがい、荷物を置いた大輔を居間に案内した。


「大輔も色々大変だったね。

 でも今日からはおばあちゃんが、あなたの親代わりよ。

 何でも相談してね」


 慈愛に満ちた、祖母の言葉であった。


「そうそう、こちらにきて、ご先祖さまにちゃんとご挨拶しなきゃね」


 和室の居間には仏壇があった。

 大輔は正座して手を合わせる。

 ふと、壁に掛けてある額入りの写真に目をとめた。


「これはね、おばあちゃんの両親よ。

 とても美しくて優しい母だったわ。

 その隣がお父さん。

 ちょっと恐そうでしょ。

 おばあちゃんが赤ちゃんだった時に、戦争へ行って南の島で亡くなったそうなの。

 あなたにとっては、ひいおじいちゃんにあたるわね」


 モノクロの写真には軍服を着た、勇ましい若い男性が写っていた。


 口元を結んだその顔は、大輔を守ってくれた田中上等兵であった。


 〜〜♡♡〜〜


 重力を操る人類は、近年、時間という概念を覆す理論を打ち立て、実験を行っていた。


 空中都市の研究所では、考古学者の提出したタイムリープ候補者を時空旅行させ、無事に元の時間に戻し終える。


「初の実験は、成功だね」


 研究所長は満足げにうなずいた。

 かたわらに立つ女性考古学者は、ホウッと大きく息を吐きだし、肩の力を抜く。


「きみが選んだのは、二十一世紀の人間だが。

 わたしは幼いころにその人の伝記を読んで、大変感銘したことを思い出すよ。

 だから、科学者を志したのだがね」


 その後の言葉を、考古学者は引き継いだ。


「そうです。

 あの偉大なる科学者、藤見大輔ふじみ だいすけ博士ですわ。

 藤見博士が作り上げた脳型チップ『フジミ式トゥルーノース』は、あらゆる分野に革命を起しました。

  特に核エネルギーを凌駕りょうがする水素エネルギーの登場は、世界の勢力図式をかえてしまいましたもの。

 重力制御や、このタイムリープに至るまで、藤見博士の発明が無ければなしえなかった」


 考古学者は口を閉じ、ガラスに反射する自分の姿に視線を移した。


(藤見博士。

 博士は世の中から戦争を根絶しようと、多大な努力をされ『フジミ式トゥルーノース』を開発なさいました。

 残念ながら、まだ戦争は世界から消えてはおりません。

 それでも人々は未来を見つめ、懸命に生きております。

 こうして時間さえも操ることが可能となった現在、次のわたしたちの課題は博士の遺志である、永久平和。

 博士が体験された不思議な出来事がなければ、今の世界は築き上げられなかったでしょう。

 あの時は、本当に恐い思いをさせて申し訳ありませんでした。

 博士が浴びられた青い光、それこそタイムリープの時空間歪曲線)


 若い女性学者は、すこしだけ誇らしげな表情を浮かべる。


(イジメや自殺未遂のお話、そして時空間を跳んだと思われる体験は、博士の伝記には載っておりませんものね。

 博士はいつか誰かが発見するだろうと、回顧録をタイムカプセルにして仮想空間に流された。

 五百年の時を経て、インターネット上の回顧録を発見した時は、これ以上の驚きがないくらい、わたしの心臓は鳴りました)


 そして、その目に浮かぶ涙をぬぐうこともなく、心に語る。


(遠い空から見ていてください。

 博士の描かれた明るい未来を創ろうと、邁進するわたしたちを。

 ひいおじいさんと、仲良くお話されてますか?

 いずれわたしもそちらに行った時には、ぜひご一緒させてくださいね。

 命をかけた意志を、矜持きょうじを受け継いだ、からのお願いです)                                                   了

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明日へ奏でる草笛の音 高尾つばき @tulip416

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