明日へ奏でる草笛の音
高尾つばき
前編 そこは、戦地だった
あと二カ月ほどで、西暦二千五百年を迎えるその日。
重力を制御できるようになった人類は、自然災害から文明を守るために空中都市を築き上げていた。
日本国土に浮かぶ巨大なコロニーのひとつにある研究所。
ここでは最新の科学を追究し、実験を行う独立機関が設けられている。
「念のために、もう一度確認させていただこうか。
この設定による実施の根拠を、信用してもいいんだね」
淡く光沢のある研究所長用の白いスーツを着た初老の男性は、後ろ手に組んだ上半身をかたむけた。
視線の先に立っているのは、黄色の研究者用スーツを身に着けた、若く美麗な女性である。
ふたりは巨大なガラス窓のある所長室にいた。
「我が国の誇る優秀な考古学者であるきみが、この装置を使用する許可を提出し、受理されたことはむろん知ってはおるがね。
なんでもインターネットなる過去の遺物を発掘中に」
「正確には、検索中に、ですわ」
女性考古学者は笑った。
そして続ける。
「老若男女問わず、わたしたちのご先祖さまたちはインターネットによる検索に夢中だった、と歴史の教科書でも小さく扱われています」
「まあ仕事とはいえ、あんな旧式のパソコンとやらを復元して毎日発掘、いや検索するなんて大変だな」
研究所長は小さくため息をつく。
「ふふっ、物好きだとお思いでしょうね。
でもそれがわたしたち、考古学者の真骨頂ですの。
五百年前の人類が何を望み、何を目的に生活を営んでいたか。
インターネット空間には、まだわたしたちが知らない古代文明が眠っている。
そう考えるだけで、ワクワクしますわ」
さらに語ろうとする若い学者の口を閉ざすように、研究所長は片手を挙げた。
「まあ、きみのたっての申し出であるからには、さぞかしとんでもない秘宝が発掘されるに違いない、はははっ。
では人類史上初めての実験を始めるよ」
ふたりはガラス窓に近寄る。
その向こう側は建物の五階分を抜いた広い空間があり、大砲のような巨大な装置が設置されていた。
一階では赤いスーツを着た十数人の職員たちが、装置の最終確認を行っているのが見える。
(さあ、いよいよだわ。
万が一にも失敗すれば、わたしたちの存在は消える!
お願い、成功して)
考古学者は神に祈った。
〜〜♡♡〜〜
少年は両目を閉じたまま、無意識に顔を歪めた。
大量の汗が顔からにじみ出している。
それが、頭を支えているシダの葉に落ちる。
ガサッ、と音を立てて右手が動き、濃い緑色の葉をつかんだ。
シダの群生している場所で、少年は黒い詰襟制服姿で大の字に横たわっていた。
周囲はヤシやゴムの木などの樹木が、互いに競うように枝葉を伸ばしている
少年の幼さの残る目元がかすかに動き、ゆっくりと見開かれた。
樹木が絡み合った空間の上に、まばゆい太陽の光が差し込んでいる。
その瞳が急速に焦点を合わせた。
少年の顔に驚愕と恐怖の色が浮かび、「ヒッ」とのどを鳴らして上半身を起す。
瞳が目まぐるしく回り、頭部が上下左右に勢いよく動いた。
開いた口がワナワナと震える。
声を出そうにも、声帯が固まってしまったようだ。
シダをつかんだ両手を伸ばし、あわてて立ち上がろうとした。
その時。
「誰かっ!」
鋭い
「動くな!
動けば撃つっ」
男のよく通る声が斜め上から聞こえる。
少年は歯を食いしばり、何度もうなずいた。
草を踏む音とともに刃先が目の前で動く。
刃の下部に筒が見える。
銃剣だ。
撃つとは、鉄砲のことであるとわかった。
座ったままの少年は震えながらも、相手をちらりと確認する。
銃剣を構えて
少年の記憶が、それは昔の兵隊の格好であると告げている。
軍衣のえりには赤地に星、略帽と呼ばれる帽子の後ろには日除けの垂布が取り付けられ、ズボンの膝下はラシャ布のゲートルが巻かれていた。
二十歳代半ばと思われる兵士は、上背はあるものの痩せ、日焼けした顔には無精ひげがのびている。
しかしその両目には、乱暴な色は浮かんでいなかった。
むしろ知的な印象さえある。
油断なく銃剣を構えながら、兵士は再度問いかけた。
「貴様、東洋人か?
日本語はわかるか」
少年は汗をぬぐうこともなく、大きく顔を上下にふった。
「ぼ、ぼくは、日本人です」
「貴様は見たところ学生のようだが、なぜここにいる?」
少年は混乱した。
しゃがんだまま頭をかかえると、知らずに悲鳴が口から放たれた。
兵士はすかさず辺りを見まわし銃剣を置くと、叫ぶ少年の口元を押さえるように頭部を抱え込む。
「おい、落ち着け。
いつ敵に発見されんとも限らん。
とにかく声をあげるな」
少年は泣き叫びながらも、若い兵士の腕の中で震え続けた。
〜〜♡♡〜〜
そこは洞窟を枝葉で巧妙にカムフラージュした、隠れ家のようであった。
薄暗い中、
奥には野営用の道具類や、木箱が幾つか置かれているが、他に兵士はいなかった。
沸かして冷ましたぬるい水を、少年はのどを鳴らして飲む。
「あわてるなよ、誰もとらないから」
兵士は笑みを浮かべて
「ここには、わたししかいない。
我が部隊は敵襲によって、ほぼ壊滅状態になってしまったからな」
苦しげに言う兵士に、少年は顔を向ける。
「本当に、戦争しているんですか?」
「妙なことを訊くな。
当たり前ではないか。
我が皇国が大東亜共栄圏を確立するために、敵国から同胞を守るために、わたしたちは最前線で戦っているのだ。
ところできみは、どこからこの島へやってきたんだい?
おっとその前に自己紹介だな。
わたしは
「ぼくは、ぼくは、
大輔はうつむいて名乗ると、顔をしかめた。
頭の中を悪夢のような日々が、フラッシュバックしていく。
〜〜♡♡〜〜
大輔は今日、自ら死を選ぼうとした。
中学生になったとたん始まった、クラスメートたちによる理不尽かつ陰湿なイジメ。
担任は見て見ぬふりであり、登校することが恐怖となっていった。
日々エスカレートするイジメに、大輔は思い当たる原因はない。
小学校時代に一緒に遊んだ友だちでさえ、大輔を無視するようになっていた。
暴力を見舞われる日も、頻繁になってきていた。
ところが両親は、大輔の身に降りかかる火の粉を払ってくれることはなかった。
共働きのうえ、仕事がすべての両親は学校に訴えるという手段ではなく、最も安易な方法を選択する。
中学二年生になった大輔を、転校させることにしたのであった。
母親の実家、大輔にとって祖母が一人で住む遠い田舎へ。
後で知ることになるが、両親はすでに離婚調停に入っており、大輔は母親が引き取ることになっていた。
母親はインテリアデザイナーとして多忙なため、田舎で面倒をみてもらう手筈であったのだ。
大輔の意向は考慮されず、両親は勝手に話を進めていった。
我が子を守ることよりも、世間体を重んじる両親の考えは大輔の
今朝も見送りはなく、独りで祖母のもとへ向かう予定であった。
駅のあるビルを見上げた大輔は、気付くと高層階から手すりを乗り越えていた。
制服のすそが風でめくられる。
大輔は決心がゆるがないように、固く両目を閉じた。
だが、そこから一歩先に進むことはできなかった。
このまま死んでも誰も悲しまない。
なんのために生まれてきたのか、せめてその答えは見つけたいと思ったから。
とたんに思考が現実へもどり、あわてて柵から戻ろうとした時。
突然目のくらむような青い光が、大輔の身体を貫いた。
意識がもどった時には、先ほどの密林の草の上であったのだ。
〜〜♡♡〜〜
大輔は膝を抱えるように座ったまま、田中から目をそらし、ぽつりぽつりと語った。
田中は途中一切口をはさまず、じっと大輔を正面から見つめて話を聴いている。
「きみ、大輔くんだったね。
今の話は、きみの創作かな?」
「ウ、ウソじゃないですっ。
ぼくは、ぼくは」
「国家総動員法が敷かれ、国民すべてが一丸となってこの戦局を乗り切ろうとしている時に、級友を寄ってたかって虐めるなんて考えられない。
ましてや両親が子供を手放すなど。
子供は親の宝であると同時に、国の大切な、かけがえのない宝なんだ」
大輔は泣きそうな顔を、両膝の間へうずめた。
田中は「まあ、待ちたまえ」と、大輔の肩に手をのせる。
「きみの話は、いったいどこの国の話なのか?
言葉や顔つき、仕草から察してきみが日本人であることはわかる。
だが敵国の諜報員であるかもしれない確率も、捨てきれない。
ただ、わたしはこの目で見たんだ。
敵国の新型爆撃かと思ったが、航空機の音もない。
雷とも違う。
なにやら妙な胸騒ぎがして、その光が落ちた地点へ向かった。
そしたらそこに、きみが倒れていたんだよ」
大輔は肩に置かれた田中の掌から、温かみが伝わるのがわかった。
「わたしは銃を持つ前はね、志があって教員になった。
一年ほど前に採用試験に合格した。
専門は理科だ。
明日の国家を背負う子供たちを、この手で育てたいという想いがあったんだな。
だが召集令状がきた」
「それ、アカガミとかって」
「ふふっ、その通り。
話をもどそう。
だからね、児童心理学なるものも学んでいるっていうことが言いたかった。
大輔くん、きみはけっして嘘をついてはいないと思う。
きみにとっての事実を、こうして話してくれたということはわかった。
それでも、どうしても
ふむ」
田中はやや細い目を宙に向けた。
洞窟の外で、密林に棲息する獣や鳥が鳴いている。
「わたしは科学を専攻した者として、目の前で起きた事象は事実として認識するように心がけている」
田中は、ぐいと顔を突き出した。
「大輔くんは摩訶不思議な光に包まれて、この戦地へ現れた。
きみの住む日本は、わたしたちのいるここに存在する祖国と違うのは明らかだ。
これをどう解釈したものか」
沈黙が洞窟を支配する。
田中は、ふっとため息をついた。
「どちらにしろ、きみを安全な場所に避難させなければならないのだが。
今すぐというわけにはいかないんだ。
この辺りは敵の部隊が散らばっていて、いつまた戦いの火ぶたが切られるかわからないからな。
幸いここには食べ物、といっても
しばらくはしのげる分くらいはあるから、安心しなさい」
大輔は、田中が努めて明るく話そうとしてくれているのがわかった。
それに胸の奥で
悪夢を全て吐き出したように、肩の力が抜けているのが実感できた。
「おじさん、すみません。
話を聴いてくれて」
大輔の言葉に田中は苦笑した。
「たしかに大輔くんから見れば、わたしはおじさんだな。
そうだ、これを」
言いながら田中は軍服のポケットから黒い手帳を取り出した。
一枚の写真を、まるで宝石でも扱うように手帳から抜いた。
大輔はその写真をのぞき込んだ。
モノクロの画像には、和服を着た若い女性が赤ん坊を抱いて椅子に腰かけている。
女性は整った顔立ちで美しく、嬉しそうに笑う赤子は、とてもかわいかった。
「これはわたしの妻と、一人娘だ」
「かわいい赤ちゃんですね」
大輔は写真と田中の顔を見比べる。
「ありがとう。
ふたりはわたしにとって、命よりも大事な存在だ。
家族を守るために、わたしは独りになってもここで戦い続ける覚悟なんだよ」
田中の力強い『家族』という言葉は、大輔にとっては辛いものであった。
それを田中に申し出るのはお門違いであることは、理解している。
「この子ももう二歳になるはずさ。
わたしのことは、覚えていないだろうなあ」
写真を愛おしそうにながめながら、田中はつぶやいた。
大輔は思った。
自分の両親はこの人のように、心から愛情を注いでくれたことはあったのだろうかと。
「そろそろ昼だね。
大輔くん、お腹は空いていないかい?」
田中は写真をもどすと、立ち上がった。
つづく
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