三題噺「尼さん」「未完」「矛盾」

無の境地

第1話

「なぁなぁ、霧島。お前、美人過ぎる尼さんって知ってるか?」

「あん?」

 授業中、唐突に話かけられる。横目で声の方向を見ると、大岩がノートパソコンを開いて、何やらニュース記事を見ているようだった。

「お前、知らないのか?」

 無視しようかと思ったけど、反応してしまったから答えないわけにはいかない。

「知ってるよ」

 僕は正面に向き直り、板書をノートに書き写しながら適当に答えた。

 美人過ぎる尼さん。かなり前にネットで騒がれていたのは知っている。僕はテレビのニュースで取りざたされているのを見て知った。後追いも後追い。既にネット上では次の話題で盛り上がっている頃だったはずだ。

「そっか。じゃあお前、これどう思うよ?」

「どうって、何が?」

「そりゃあれだよ、この尼さんを見てお前どう思うよ?」

「んー……?」

 何が聞きたいのかよく分からない。

 別に何も、と僕が答える。

 すると大岩は、だよなー、と賛同してきた。

「やっぱお前もそう思うよな。美人過ぎる、とか持て囃されてるけど、実際見ると別にそうでもないよな」

「…………」

 ひどいな、こいつ。どう思うって、そういう意味か。別に僕は彼女達が美人じゃないとか言いたかったわけじゃないんだけどな。

「美人過ぎるっていうからには、そりゃもう女優並みに美人なんだろうって俺は思っていたのにさ。画像とか動画とか見る限り、やっぱそうでもないって思うわけよ」

「ふーん」

「期待したのによー。裏切られた感じだわ。これってあれだ、有罪無罪ってやつだ!」

「有名無実な」

「そうそう、それそれ! 噂が一人歩きしたっつーか、引くに引けないっつーか、そういう感じ?」

 知らん。

「それともあれか、尼さんにしては美人過ぎるっていうのかね。それって全国の尼さんに失礼じゃね?」

「あぁ、確かに失礼だな」

 ノートを書くのを止め、大岩に見ると、まだパソコンを弄っていた。授業中に何してるんだよ、こいつ。つーか先生も注意しろよ。ここ、高校だぞ? 数学の授業でノートパソコン開いてるとか尋常じゃねえだろ。どこまで放任主義なんだよ。隣にいて何も言わない僕も僕だけどさ。

「でもよ、そういう意味で取ると、確かに美人なのかもな。学校の成績とかの付け方であるやつ」

「絶対評価ではなくて、相対評価ってことか?」

「それだ!」

 大岩が手を叩いて、僕を指さした。どうでもいいが、リアクションでけえよ。

「つーかさー、最近、こういうの多くね? 美人とか美男とかさ」

「そう言われるとそうだな。美人時計とか、最近話題になってるしな」

「そうそう」

 美人時計は確かに美人ばっかだけどな、と大岩はにやつきながら言った。

「何だろな。みんな美人とかに飢えてるのかねー」

「そうかもな。お前みたいに」

「いや、俺は別に飢えてるわけじゃねえよ。実際さ、美人ってさ、別にいいもんじゃねえって思うわけよ」

「……お前、行動と言動が矛盾してるぞ」

「矛盾してねえよ。今回のは、これだけ持て囃されてるから、どんなもんかっていう興味本位で調べただけだっつーの」

 嘘だろ。

「でもよ、現実にさ、例えばクラスメイトとかに超美人がいたとするじゃん。そういうのって取っつきにくいっつーか、恐れ多いっつーか、そういう感じになるじゃん?」

「それは何となく分かるな」

 実際に女優みたいに奇麗なクラスメイトなんていたら、あまり近づこうとは思えない。誰だって、高嶺の花には近づかない。近づこうと崖を登ろうものなら、花に蹴落とされるかも知れないからだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず。そんな言葉を信じて、猪突猛進に突き進める人間はそうはいないものだ。ヘタレを宣言しているに等しい気もするが、僕は少なくともそうだ。

「だからさ、こうやって美人すげえ、美人最高、とかって持て囃されるのが俺には分からん」

「それは、現実は現実でしかなくって、理想とは違うってことなんだろ」

「ん?」

「女優とかアイドルとか、そういう偶像的なものは理想でしかないんだよ。理想というか妄想だな。多分、そうやって美人最高って騒いでる奴らもお前と同じで、現実じゃ美人には近づかないんだと思うよ」

 花は遠目から眺める方が、奇麗に見える。

 近づいて見ようものなら、虫がついているかも知れない。

 摘もうものなら、虫に刺されるかも知れない。

 これは、人間だって同じことだ。

「そんなもんかねー」

 大岩はそう言って笑った。

「そんなもんだよ」

 僕はそう言って溜息を吐いた。

「――では、今日の授業はここまでだ」

 不意に先生の声が耳に入ってきた。

 それに連なるように鳴る、鐘の音。

 授業の終わりだ。

 急いでいるのか、先生は僕たちの礼を待たずに教室から出て行った。

「あっ」

 つい、声を出す。気付けば大岩との会話に意識が行っていた。ノート、取ってねえよ。今からでもと、思ったけど、日直が黒板の板書を消しだしてしまった。

「……はぁ」

 やっぱり、大岩を無視しておけば良かった。

 僕は、未完のノートを見つめながら、そう思った。


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三題噺「尼さん」「未完」「矛盾」 無の境地 @faburii

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