ロボット工学三原則

ロボット工学三原則:総論

(旧題:今日から君も三原則ものが書ける!(といいな)(そうなると俺も幸せだな)(だからこれは願い、あるいは祈りでもある))

 

 旧題が長すぎたので短くまとめました。


 ロボット工学三原則とは何か。


 もはやwikipediaにすら項があり、インターネットとはそれすなわちwikipediaであるから、これはもはや万有の知識なのでは、と思うし君もたぶんそれには賛成であろうが、そうでもないのかもしれないという出来事がいくつかあり、だからここに書いておこうと思う。


 ちなみにwikipediaはこれね。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87

 

 ていうかwikipediaも相当良くできていて、だからこっちだけ読めばいいのかもしれない、と思わなくはない。

 ただまあ、wikipediaの限界は、客観的(あるいは、そう見える)記述に留まらざるを得ないというところにあり、俺はこれから主観たっぷりにこの話をしていくことで、差別化を図ろうとそう思っている。


さて、ロボット三原則とは以下のものである。


第一条

 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


第二条

 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


第三条

 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


 一見シンプルなルールで、何しろ本文は六行だ。

 ところが、この六行のルールが、もうとんでもなく大量の物語を生み出すのである。

 だったら君だって、その恩恵に預かって悪いと言うことはなかろう。


 とにかくルールが明確に定義されている物語は面白い。


 これは君も良く分かるだろう。


 『遊戯王』とかね(TCGの前は、独自ルールのゲームの話だったんですよ)。

 『賭博黙示録カイジ』とかね(じゃんけんをあそこまでやるか、というのはみなさん良くご存じだと思う。毎週ぐにゃぐにゃ言ってるだけじゃあないんですよ)

  同作者で言えば『銀と金』の、特にセザンヌ編とかね。

 『LIAR GAME』とかね(結末については、何も言うまい)。

 『嘘喰い』とかね。

 

 もうちょっと暴力的なことが好きだったら、『ジョジョの奇妙な冒険』(「ルール」の定義にもよるが、一応「ルール」に則った戦闘を描くことを重視しており、最近は抽象的になりつつあるが、それもまあ味である。で、そこまでルールに則っておりながら、「てめーは俺を怒らせた」とか、「 ち…違う…… 凄みだ… こ……こいつ凄みで! わたしの攻撃を探知したんだ…」となるこの作品は評価されるべき、なのだと俺は思う。このあたりを非難する人間とは俺は分かり合えないと思うので、どうぞお帰り下さい)とか。


 自分でルールを作って、そのルールの中で遊ぶ。これがめちゃくちゃ面白い、というのは人間のある一側面なのであろう。

 これは本当かどうか知らないが、ラグビーかなんかを見て、いや、全身使うと人間が終わってしまうので、ルールを厳密にして、足だけでやろうぜ、となったのがサッカーであると聞いたことがあり、それが本当だとしたら、上記の説の傍証となろう。


 さてでは、この三原則を用いた物語を、アシモフ自身はどう遊んでいるのか?


 一応このロボットものの終着点は「聖者の行進」という短編集で整理されている、というのが衆目の一致するところではないか、と思うのだが、この中に、「心にかけられたる者」という短編がある。内容についてはネタバレになるので避けるが、ここで交わされている議論は、アシモフがこのルールを遊びつくした終局点に自力で到達している(だからアシモフは凄いんだと思う)ことを示唆しており、大変に面白い。


第二条

 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


 ではこのとき、二人の人間がいたとする。

 

 一人は俺、もう一人は君である。


 言うまでもなく、君の方が、俺よりも美しく、賢く、たくましく、従って俺よりも価値の高い人間である。

 ところが、ロボットは、本質的にはこの「価値の判断」ができない。正確には、そうできないように、陽電子回路のポテンシャルが設定されている、ということになっている。


 だからそう、例えば、ハーバード白熱教室みたいなことを言うと、俺は撮り鉄かなんかで、間抜けにも足がレールに挟まってしまい、動くことができない。

 そうこうしている間に列車が俺のところに猛然と進んできており、ロボットがいくらロボットとはいえ、列車を止めることはできない。(ちなみに、「より大きな危険を排除するために、小さな危険を看過することは」ということになっているので、ロボットの力でそれが可能であり、確実な死よりも危険度が低いと判断された場合には、このロボットは俺の身体を足から引きちぎる方を選択するであろう。しかし、このロボットには人間並みの力しかなく、それはできないものとする)

 この時、俺には届かないがロボットに届く範囲にはレールを切り替えるレバーがあり、これを起動することによって、列車の軌道を変えることができるとする。

 俺は何と言うだろうか?

 

 そう、こう言うに決まっている。

「このクソロボットが、さっさとあのレールを切り替えてきやがれ!」

 この命令を受けたロボットは、レールを切り替えに向かう(その最中に、レールを切り替えることによって生じる事故状況の計算をすることも怠らない。もしも、この事故によって列車側の人命が失われる事態が想定できれば、ロボットは、この命令に従うことができないか、すくなくとも、躊躇をし、その間に俺は死ぬだろう。その方が世界は平和であるが、ここでは安全に――というのは、少なくとも、列車側に被害が出ないで――レールの切り替えが可能であったと仮定する)。 

  

 ところが、レールを切り替えた先には、賢く、従って、列車が来ないことを確信したうえで、レール上でカメラを構えている君が立っている。

 レールの切り替えを行えば、君は避けることができず、死ぬだろう。

 

 さあ、「クソ」ロボットはどう判断するか?


 陽電子回路にどのようなポテンシャルが設定されているか、にもよるが、このロボットは、おそらく、のである。そして君は轢殺される。俺よりも、美しく、賢く、たくましく、長く生きるべきであった君が死に、俺は、クソロボットめ、言われねえでもそのくらいやれよ、なんて独り言ちながら、なんとか足を抜いて黙って家に帰る。

 こういう状況を、憎まれっ子世に憚る、と言う。


 君が納得いかないのは良く分かる。


 君の方が生きる価値が高い人間であるのに、何故、君が死ななくてはならないのか。お前が死ねよ、とそう思っているのだろう。良く分かる。


 しかしロボットはそう判断する。ロボットに判断できるのは、数量の大小だけであって、人間の価値ではないからだ。

 だからもしも、君がカップルで写真を撮りに来ているのであれば、その相手がどんなに愚かで、君の美貌と、知性と、金銭と、肉体にしか関心を持っていない(いや、それだけのことに関心を持っていれば、もうそれは愛と呼んでよいのかもしれないが)としても、二名の人命が損なわれる事態、となれば、ロボットは君と君のパートナを救い、俺を殺すことを選択する。


 君は孤独だった。それが何よりも許されない、罪であった。


 だから、第一条+第二条のポテンシャルを設定した俺の命令は、第一条しかない君ひとりの生命よりも重く、そうして君は、惨たらしく死を迎える。気の毒なことだと思う。


 U.S.ロボット社もこのような事象を看過する訳にはいかず、だから、基本的には、U.S.ロボット社のロボットはリース対応しかされておらず(アンドリュウは別である)、それを使う人間は基本的には賢く、厳密に定められたルールの中でロボットを用いる、ことになっている(補3)。


 「心にかけられたる者」の中で、ジョージ9/10は、この問題に対して、ある恐るべき結論に達するのであるが、それはまあ、原典に当たっていただくとして、どうですか、この話。

 少なくとも、「おかしいやろ」と思ったのではないでしょうか。

 

 想像力が豊かな君なら、このテーマで、一つ二つ、話が書けるのではないだろうか? 俺はそうであることを、強く願っているのだけれど。


 そう、実はこのルールは「」のである。おかしいからこそ、アシモフはこのルールを愛し、そしてそのルールの盲点を突いた物語――自分でルールを作って、自分で盲点を突くというこの姿勢は、もう俺は大好きというよりほかにないのだが――を、たくさん書いている。

 

 この問題を突き詰めていくと、「人間とは何か」ということになり(第0条が発生する)、「価値のある人間とは」とか、「人間の危機を看過する」というのはどういう状況か、とか、そういうややこしい事象があまた発生するのである。


 めちゃくちゃベタなところで言えば、「ロボットによって管理された社会の方が、人間によって管理された社会よりも、大多数の人間にとってである」とロボットが判断するとどうなるのか、ということであったりして、こうなるともう掘り返しつくされたテーマでは? という感じもするが、いやなに、小さい問題はまだたくさん残っている。


 たとえば、君が一日をなんとかやり過ごし、へとへとになって自宅に帰ってくる。ビールの一杯でもやりたいと思い、君のロボットに君はビールの提供を命令する。

 ところが、君のロボットはそれを拒む。

「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」からだ。アルコールの摂取は、君の精神にとってはともかく、君の身体にとっては有害であるからだ。

 さあ、君はこのロボットをどう取り扱うべきか?

 このロボットをどう『騙して』、いっぱいのビールにありつこうとするか?


 ちょっとしたコメディになったり、しないですかね。


 いやこれだって陳腐な例かもしれない。これだけ語ってきてなぜ俺がこの物語を書かないか、というと、俺にはこんな陳腐なことしか思いつかないからである。

 でも少なくとも、三原則というものは、実はロボットの物語ではなく、人間の物語を書くために存在する、ということは、分かってくれたんじゃあないかな?


 俺は君に、その物語を書いてほしいと思っている。



補1.

 さあ、良くここまでついてきてくれた。


 ロボット三原則もので押さえておきべきは、

「われはロボット」「ロボットの時代」「聖者の行進」

「鋼鉄都市」「はだかの太陽」「夜明けのロボット」「ロボットと帝国」(追記しました)

 このあたりだと思うので、このへんをまあ、買って読むなり借りるなり、ネットであらすじをあさるなり(ただ、これらに関しては「古典」として読むべき、というより、単純に面白いから読んで損はしないですよ、という感じがあるので、そうしてみてはどうでしょうか)、そういう形でこの、三原則の矛盾のようなものを考え、醸成し、君の物語を書いてほしい。できたら俺は読みに行きたいとそう思う。

 テレパシーででも、教えてくれると嬉しいと思う。


補2.


越智屋ノマ氏

君を忘れじ 【検死官×三原則】

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880206899


ほげ山さん氏

宇宙の果てで、僕が最後の一人

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880235992

→残念ながら公開停止された模様。さよならをここで告げたい。


 の話はそれらに類するもの――いや、ハード・ドライSFかと言われると、ちょっと違うんだけど――で、つまりまあ、この長い文章は、実はこれらの作品の紹介文と言えば紹介文である。



※君は今、「なんだ相互不正奴かよ」と思ったかもしれないが、ここまでやって「相互不正」と言われるのだったらもう俺は甘んじて受け入れますよ。

 

補3.

 日本人の価値観とやや異なるところであるのは、ロボットは恐怖、畏怖、(アシモフの言葉を使えば)フランケンシュタイン・コンプレックスの対象となる存在であるという前提があって、それを抑制するためにこの三原則というものは作られている。日本人は基本的ここから違いますよね。ドラえもん、初音ミク、長門有希。なんでもいいが、誰かに作成されたヒューマノイドは、基本的に人間に貢献する、という思想の方が先に立つものと思われる。

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