ランキングを擁護する。

阿井上夫

ランキングを擁護する。

 今回は珍しく「ランキングを擁護する」サイドから論理を展開する。

 そうしないと健全ではないように思えたからだ。

 個人的な立ち位置は最後に述べる。


 *


 小説投稿サイトにランキングに対する批判が渦巻いている。

 整理するとこんな感じだろう。

「面白くない作品がランキング上に位置し、トップページに表示されて、評価を集めている」

「しかもそれが、自作自演による評価の水増し、組織票による評価の水増しなどの不正な手段で維持されている。受け狙いの二番煎じや三番煎じも多い」

 それに対する結論も、

「これによって本当の良作が埋もれている。不正を告発せよ。同時に読者が一丸となって良作を評価していこうではないか」

 というものが多い。


 本当にそうなのだろうか、と考えてみる。


 書店の本棚を見ると、人通りの多い目立つ場所には大手出版社の本が山積みされている。

 莫大な広告宣伝費が投入されて、場合によってはTVCMまで流される。

 自分の本は本棚の片隅で縮こまっている。

 あるいは、返本作業のために書店の片隅に積み上げられている。

 それに対して貴方は、

「面白くない作品が書店の目立つところに置かれている」

「しかも、それは広告宣伝によるものである。販売部数の水増しや、ステルスマーケティング。流行の路線を狙ったものも多い」

「それによって私の本が売れないのは不公平だ。広告宣伝を止めろ。読者も声を上げようじゃないか」

 と言うだろうか。


 もう少し視点を変える。


 町工場が品質のよい製品を作っている。

 大手メーカーの製品よりも性能が良い。

 しかし、営業や宣伝広告の力が弱く、なかなか売れない。

 本社倉庫は在庫の山である。

 店には大手メーカーの製品だけが並んでいる。

 これに対して町工場が、

「自社製品よりも性能の良くない製品のほうが売り上げ好調である」

「しかも、それは品質ではなく営業力や広告宣伝費でなされたものだ。うちの製品を真似したものも多い」

「それによって良い製品が売れないのはおかしい。ユーザーサイドから声をあげていこうじゃないか」

 と言ったとする。


 一般社会ではこの「良い製品は必ず売れる」という視点は支持されない。


 町工場(プロダクト)が高性能な製品を作ったとしても、それに市場優位性がなければ、そして認知度が高くなければ、客(マーケット)は購入しない。

 無論、口コミで売り上げが伸びる商品はある。

 しかし、そのような製品はごく少数であって、大半が埋もれる。

 それが市場原理だからだ。

 個人商店が「俺は気に入らない客には売らない」と考えるのは自由である。

 それは職人の矜持だ。

 しかし、メーカーが「良い製品だからいつかは日の目を見る」と考えて、何もしないのは自殺行為である。

 さらに「広告宣伝費をかけて目立つのはおかしい」というのは、中小企業の負け犬の遠吠えにすぎず、冷笑されることになるだろう。

 売りたければ、なんとかマーケットで目立つ努力をする。

 それがプロダクト側がやるべきことである。

 品質に自信があるのならば、それを展示会で堂々と主張すればよい。

 価格競争力で勝負する手もあるだろう。

 広告宣伝費をかけない分、安価かもしれない。

 あるいは納期を短縮する。

 市場に短時間で提供することで、顧客満足度を高めるのだ。

 いずれにしても、媒体やマーケティングを駆使する大手メーカーを批判している場合ではない。


 多分ここまでの話に対して次のような批判があるだろう。

「ここは小説投稿サイトだから、リアルな書店やメーカーと比較するのはおかしい」


 本当にそうなのだろうか。


 ランキング批判を見ながら思うのは、それが作者側の視点から語られることが多いという点である。

 書き手が文章で自己主張するのは特に可笑しくない。

 ただ、それはあくまでもプロダクト側の偏った視点ではなかろうか。


 ランキングは、プロダクト側が意図しているような「性能や品質」を表示するものではない。


 ランキングは、マーケット側が「興味と感動」によって作り上げているものである。


 ここでマーケット側と呼んでいるのは読者である。

 読者視点が文章で語られることは少ないように思うのだが、これは決して軽視できない。


「面白くない作品がランキング上に位置している」


 まずはここを疑う必要がある。

 本当に面白くないのだろうか。

 それでランキングを維持できるほどシステムが脆弱なのならば、それはシステムの問題である。

 そうでなければ、ランキングは読者の興味や感動の傾向を示していると考えてよい。


「自作自演による評価の水増し、組織票による評価の水増しは不正行為だろう」


 確かにその通りで、読者不在の作者自演は不誠実である。

 ただ、これは不正行為というより自殺行為だと思う。

 そうやって力のない作品をランキング上位に作品を押し上げたとする。

 それによって人目に触れたとする。


 次に起きるのは恐らく冷笑だ。


 読者を侮ってはいけない。

 小説投稿サイトで小説を読もうとするのは、少なくとも「読書好き」である。

 そうでなければ、そもそも来ない。

 それなりの選択基準を持っているから、自作自演や組織票で上がってきただけの力のない作品を評価するわけがない。

 それでも、自作自演や組織票を継続して、ランキング上位をキープしようと試みたとする。

 その努力や労力は買えるかもしれないが、いたずらに傷口を広げるだけではなかろうか。


「受け狙いの二番煎じや三番煎じが多い」


 確かにその通りかもしれないが、最近、私は「テンプレート」を「王道」と読み替えることにした。

 どこかで見たことがある設定かもしれない。

 だからこそ、それを「面白い」と思わせるのは大変である。

 比較対象となるものが大量にあるからだ。

 いわば大量生産品の中で売り上げトップを目指すことになるのだから、ニッチな製品とは比較にならないほど競争が激しい。

 敢てその世界に打って出る精神を買って、「王道小説」と呼んでいる。 


「これによって本当の良作が埋もれている」


 作者として敢て言う。

 これは作者が悪い。

 読んでほしいと思うのならばそれなりの努力はしたほうがよい。

 また「自分は宣伝しない」と主張するのであれば、それなりの覚悟はすべきだろう。

 マーケティングによる成り上がり者を批判するのは筋違いである。


「不正を告発せよ」


 これは正論なのでどうにも批判しづらい。

 行き過ぎた自作自演はリアルな世界でも犯罪である。

 ただ、書店で平積みされている本の上に返品寸前だった自分の本をそっと載せてみたり、発売日当日に自分で大量購入したりするのは、不正とは呼ばないように思う。


 友人が多いということはマイナスではない。

 彼らが自発的に評価したからといって、批判はできないだろう。

 例えば、作者は不治の病で、それを知った周囲の人々が最期の花道を準備するために評価を大量投入したとか――かなり無理な設定だが、そのようなことが実際にあるかもしれない。

 ないとはいえない。

 いや、やっぱりないか。


 作者が相互で評価しあったとする。

 それによって読者が吸引できるかというと、恐らくそんなことにはならない。

 市場はもっとクレバーだ。

 ランキング上位をキープしたとして、それが書籍化につながるかというと、そんなことはない。

 出版社はもっとシビアである。売れ残りの被害を蒙るのは出版社だから、彼らはリアルな市場で売れる作品以外は書籍化しない。

 逆に、自分が面白くないと思った作品であっても、市場が欲している作品は書籍化される。

 それだけのことだ。


「同時に読者が一丸となって良作を評価していこうではないか」


 私もそう主張したことがある。

 ただ、残念ながらマーケットは極めて理知的であるから、それに賛同するとは限らない。

 彼らは何を言われても、自分が面白いと思った小説以外は評価しないだろう。

 ある人にとっては良作かもしれないが、それがマーケットの要求する「面白さ」に合致していなければ、やはり評価はされないのだ。

 それに、いたずらに底辺の評価を底上げしたところで意味はない。

 澱んだ水を掻きまわして還流させたところで、水辺から見えるのは相変らず水面だけである。

 全員でそこまで浚うというのは現実的ではない。

 マーケットはそんな努力をしないものだ。

 誰かが底から引き上げてくるのを、大半の者は待っている。


 話を整理する。

「ランキングは読者の「面白い」という意思を反映するものである。作品の質とは関係がないから、そこを批判しても意味がない」

「読者は作者が考えるよりドライでクレバーである。面白くなければ決して評価することはない」

「不正は確かに問題だが、力のない作者にとってはただの自殺行為である」

 また、大抵のプロダクト批判は、

 不正をしない → 作品が埋もれる → 評価されない → 底辺

 不正を行う → 作品が評価される → 書籍化で大儲け

 これが不平等だと言っているような気がするのだが、実際は以下の通りではなかろうか。


 不正を行う → 評価 → 書籍化 → 売れず → リアル底辺


 *


 以上、敢てランキングを擁護してみたが、個人的な立ち位置は少々異なる。


 私もランキングを見て、

「こんなものがどうして上位にあるのか」

 と思うし、自分では恥かしいからやらない。

 広告宣伝はするが、作品の評価を自作自演したり、評価を依頼したりするつもりはない。

 組織票も避けている。


 また、これを読んだ人に敢て言っておくが、サイト批判は作者側が、

「これで人気が出ると、他の作品が読まれるかもしれない」

 という意図でやっているかもしれない。

 従って、本論についても次の前提で疑って頂きたい。


「私は自作の宣伝のためにこれをやっているかもしれませんよ」


 作者が善意でやっていると、無条件で受け入れるべきではない。

 少なくとも、私は「その可能性がある」という前提で扱って頂きたい。


( 終り )


***


( カクヨム版のための補足 )


 本当にたちが悪いのは、作者に「面白くない」とはっきり言えない、作者を甘やかすシステムではなかろうか。

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