巣の中の小さなキノコ

太刀川るい

巣の中の小さなキノコ

「最近一番興味深かったのは新種のアリキノコだね」

「アリキノコ? 寄生キノコのことかい?」

「まあ、寄生と言えば寄生だね。ただし、アリ単体じゃない。このアリキノコはアリの社会そのものに寄生するんだ」



--巣の中の小さなキノコ--



 薄暗いバーで静かにグラスを傾けながら彼は饒舌に語る。

「ハキリアリの巣の中のキノコのことは聞いたことがあるだろう?」

 私は頷く。ハキリアリ、中南米に住むこのアリは、木の葉を切り取って集めるという習性を持っている。彼らがなぜそんな行動を取るのかというと、切り取った葉を培地に、巣の中でキノコを栽培するためだ。そしてそのキノコを食べる。ハキリアリは人間以外で農業をする生物として、書籍などでよく取り上げられるから、知っている人も多いことだろう。


「ああ、知っている。でもあれはキノコとアリの共生関係だろう。キノコはアリに育ててもらい、代わりにカロリーを提供する」

「その通り、キノコもアリもそんな意識は持っていないだろうが、確かにあの関係は共生といえるだろう。持ちつ持たれつ、だな。だがこの前見つかったアリキノコはそこがちょっと違うんだ」

「というと、どんなふうに?」


 彼はにやりと笑うと、グラスをカウンターに置いた。

「新種のアリキノコ、まだ名前がついていないんだが、これは普通のキノコに比較するとカロリーが低いし、成長速度も遅い。しかしなぜかある巣のアリはこのキノコを好んで育てる。不思議だろう?」

「確かに……合理化されていないのか。自然界は概ね最適化される傾向にあるのに」

「そう、だからこのアリの行動は謎だった。おまけにこのキノコはある種の化合物を含んでおり、それはアリの体に悪影響を与える。そのためこの巣のアリは他の巣のアリに比べて寿命が短い」

 彼は言葉を切ると、まあアリの寿命なんてあってないようなものなんだが……と付け加え、グラスを傾けた。


「自らの寿命を犠牲にして効率の悪いキノコを育てるアリ。まったくミステリーだよな。巣全体が多大なコストを払って毒を育てている。それも普通のキノコを知らないというわけではないのだ。現に普通のキノコも育てている。でもなぜか効率の悪いキノコが巣の大部分を占めている」

「でも、君が興味をそそられるということは、その理由に何か秘密があるのだろう?」

「そう。それさ。面白いのは。理由は中毒なんだ」

「中毒?」


 彼はカウンターに肘をついて、私の目を見て言った。


「このキノコに含まれる化合物はアリの神経節に作用し、一種の中毒を創りだすのさ。アリは次第にこの化合物を求めるようになる。それでアリはこのキノコを育てるんだ」

「麻薬のような?」

「まあ、それに近いかもしれない。アリの神経なんて単純だから、別に快楽を求めているわけではないとは思うがね。ただ操られているんだ。ある種のカビに操られるように。化学物質で中毒にさせられ、それを常に求めるようにさせられてしまっている」

「なるほど……興味深いね」

「面白いのはここからさ。さて、このアリキノコは……共生かな? 寄生かな?」

 私は思わず笑みを浮かべた。彼の最初に言ったことが理解できたからだ。


「面白いね。なるほど、明らかにこれは共生ではない。アリにとってはメリットがないのだから。しかし、寄生と言ってもアリ単体に寄生しているわけではない。アリの巣という社会そのもの、超個体に対する寄生生物なんだね。社会全体を中毒にさせることによって、自らの世話をさせ、増えていく……」

「その通りさ。自然界にはまだまだ驚きが満ちている。君も研究を止めなければなぁ……」

「その話はもういいさ。後悔はしていない」私はそう言うと、グラスに口をつけて中の液体を飲み干した。


「しかし、こういう生き物が見つかったとすると、遠い未来に人間に対するそういう生き物が出てくるかもしれないな。人間社会そのものに寄生する生物がさ」

「まさか。人間はアリとは違うよ。意思がある」と彼は笑って懐をまさぐる。

バーテンダーがさり気なく灰皿をカウンターに置く。


「タバコ吸ってもいいかい?」

 私はどうぞと答えて、彼は実にうまそうに煙を吸い込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

巣の中の小さなキノコ 太刀川るい @R_tachigawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る