【MAD】

圭琴子

MAD

 手術台のような硬い寝台の上に、エドは横たわっていた。瞳は閉じられ、胸は微かに上下している。眠っているようだ。

 傍らでそれを愛おしそうに見つめていたクリフトンは、長身をかがめエドの耳元に、そっと囁いた。

「エド。起きろ」

「ん……」

 長い睫毛が震え、やがてゆっくりと開けられる。視界いっぱいにあるクリフトンの顔をしばらくぼんやりと見た後、辺りを確認するように視線が左右を彷徨った。

「目が覚めたか、エド」

「クリフトン……俺……。あっ」

 身を起こそうとして上に掛けられていたシーツが滑り落ち、自分が全裸である事に気付いたエドは、慌ててそれを胸元でかき寄せる。

 頭にもやがかかっているようで、何故どうして自分がこの状況に置かれているのか分からない。覚えているのは、クリフトンという自分を起こした目の前の男の事だけだ。

 戸惑いの表情を隠せず、クリフトンを見上げ口を開こうとすると、

「大丈夫だ。軽い記憶喪失なんだ、お前。すぐに治るって」

「記憶喪失……? 何で……」

「心配ない。俺がついてるから、エド。お前はただ、記憶が戻るのをゆっくり待てば良い」

 そう言ってクリフトンは、くしゃりとエドの髪を撫でた。


 それからエドは、クリフトンにただ安静にしていろと言われ、彼の家で過ごす事が多かった。

 クリフトンは最初にエドが目覚めた病院のような施設に勤めていて、毎朝早くに出かけては、夜遅く帰ってくる。

 そして、変わった事はなかったか、不自由な事はないかと毎回聞いた。

 そんなクリフトンとの生活が続くと流石にエドは悪くなり、せめてもと食事の支度や洗濯などの家事をこなし、彼の帰りを待つようになった。

 記憶は一向に戻らなかったが、いつしか自分を労わるクリフトンとの生活が、エドの全てになっていった。

 時々クリフトンは、食事中や洗濯ものをたたんでいる時のエドの横顔を、ジッと見つめている事がある。それに気付き、

「ん? 何?」

 と聞くと、決まってクリフトンは、優しく微笑んで、

「いや……何でもない」

 と言った。だが、その微笑みがいつも、少し切なそうなのが気になった。気になって、自分の中にある感情では名前の付けられない、不思議な気分になった。

 『何故 自分にこうも良くしてくれるのか』と聞いた事もあった。それにクリフトンは、『待っているんだ』と短く答えた。『何を?』『それは記憶が戻れば分かる』。幾ら聞いてもその繰り返しで、エドは考えるのを諦めた。

 しつこくして、今のクリフトンとの生活を失うのも恐かった。『恐い?』『何故だろう』『……幸せ、だから?』。記憶を失っているというのに、自分は幸せなのだろうか、とエドは驚いた。

 その事を考えるとまた、不可思議な気持ちが胸を支配して、苦しくなった。


 クリフトンの帰りを待ち、出迎え、鞄とコートを受け取る。それが積み重なるたび、苦しさは増していった。

 ついにそれに耐えきれなくなり、ある日エドは打ち明けた。

「クリフトン、俺……最近、何だかおかしいんだ」

 帰宅して部屋着に着替えようと、スーツの上着を脱いでいたクリフトンの背に向かい、エドは言った。その不安そうな声に、

「おかしい? どうしたんだ」

 クリフトンがすぐさま振り返る。脱いだスーツをソファに放り、エドの上腕を両手でやんわりと掴み、間近に顔を覗きこむ。

 そうされて、エドは苦しさが更に増し、そして知らずクリフトンの頬に掌を当てていた。

「苦しい……クリフトン、苦しい……。俺、クリフトンを見てると変になりそうなんだ……」

「……エド。思い出したのか?」

「分からない……ただ、苦しいんだ……」

 今まで秘めていた感情が瞳に溢れ、涙が頬を伝わった。クリフトンは同じようにエドの頬に手を当てて、その涙を拭ってやる。

 だが後から後から溢れ出して、止まる事を知らない。

 クリフトンはコツリとエドの額に自分のそれを当て、囁いた。

「エド……俺が好きか?」

「え……」

 思いもよらなかった言葉に、思わずエドが顎を上げる。二人の顔の距離は極間近だった。

「あ」

 それに気付き、エドは気恥ずかしくなり慌てて再びうつむく。

 だがクリフトンはエドの頬を両手で捉え、上向かせた。

「考えろ。俺が好きか?」

 クリフトンの瞳の色は、今まで見た事もないほど真剣だった。エドは戸惑う。

「好き……? 好きが……分からない……。でも、ずっと君と一緒にいたい……んっ」

 言い終わるか終わらないかの内に、元より近かった二人の唇が重なった。クリフトンが噛み付くように口付けたのだ。そしてゆっくりと離れ、囁く。

「……嫌か?」

 エドは涙も忘れていた。あれほど苦しかった胸のつかえが、溶け出していくのが分かった。

 この苦しさは、クリフトンに必要とされたかった、その証が欲しかったという想い。

「嫌じゃない。俺、好きって分からないけど……嬉しい……」

「エド……!」

 クリフトンは、狂おしげにその胸にエドをかき抱いた。


「っあ、あ……クリフ……クリフトン……」

 うわ言のように、エドは名を呼び続けていた。暗闇の中で愛し合う。

 エドはあの日目覚めるまでの記憶がなく、また穏やかなクリフトンとの生活を長く続けてきた為、このような行為に全く免疫がない。

 遺伝子異常により女性の出生率が極端に下がり、男性同士愛し合う事が少なくなくなったと知っていても、エドは全くクリフトンを疑っていなかった。

 見守り育てる愛と、男として奪う愛とは正反対だ。

 今まで何処までも優しかったクリフトンに急に一人の『男』として求められ、エドは最初こそ極僅かに恐怖を感じたが、今まさにそんな理性も飛んでしまう激しい快感にただ翻弄されていた。

 だからこそ、名を呼ぶ。頼んで明りを消して貰ったが、今自分を支配しているのは、クリフトンなのだと。

「クリフ……呼ん、で、俺を呼んでっ……」

「エドっ……」

 エドは何度もそう強請った。その度に、クリフトンも応える。繰り返される確認作業。

 指を深く絡ませ合って抱き合いベッドをきしませ、もうどれくらい互いに果てたか分からない。

「エド……愛してるっ……」

 何度目かの絶頂の時、クリフトンの口が滑った。

 達する際にエドの中のクリフトンの質量が増し、それに反応して、エドもひと際大きく嬌声を上げ腹の上に白濁を放った。

 きつく抱き合い繋がったまま、二人とも息を整える。エドがくぐもった息の下から、悦びに満ちた声音を漏らした。

「クリフ……嬉しい……クリフ俺も……」

「言うなエド……!!」

 途端、クリフトンが怒号した。

 更に、きつくきつくエドをかきいだく。明りが点いていたならば、激しい苦悶と悲嘆の表情が読み取れただろう。だが遅かった。

「俺も愛……し、て……るっ……」

 闇の中に、青い火花がスパークした。シュウシュウと微かに、煙とゴムの焼ける臭いが充満する。

「エド、エドっ!!」

 エドの上半身を抱き起こし、クリフトンは必死にその身体を揺さぶって叫ぶ。

「ア、イ……シ……テ……」

 もはや声ではなく、機械的な音でそう繰り返し、エドは──エドだった人型は、カクリ、と首を後ろに折った。

「エド……!」

 感情の許容量を超えた人口知能から火花を散らし、もう動かない人型を、クリフトンは泣きながら朝まで抱きしめ続けた。


 実験台の上に、エドは横たわっていた。瞳は閉じられ、胸は微かに上下している。眠っているようだ。

 傍らでそれを愛おしそうに見つめていたクリフトンは、長身をかがめエドの耳元に、そっと囁いた。

「エド。起きろ……」


 これは、愛を知らないアンドロイドを愛してしまった、悲しいサイエンティストの物語。


END.

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【MAD】 圭琴子 @nijiiro365

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