12月のクリスマス、続。(終)
「さあむい」
当たり前だが、とんでもない人混みだ。
駅前はイルミネーションで飾られ、まるで世界すべての祭りのようだった。
……いや、実際に世界の祭りだったか。
駅前の広場には大勢のカップルや家族連れがいた。
その中を歩いていると、そういえば去年、あいつに声をかけられたときもこんな感じだったと思い出す。
その人混みの中に、目当てのうしろ姿を見つけた。
「……よう」
隣に座ると、里村は悪びれることもなく笑った。
「ごめんねえ。わざわざ呼び出して」
「ほんとだよ。勘弁してくれ」
「アハハ。小路くん、ほんと素直だよねえ」
「なんで外なんだ? 向こうに喫茶店でもなんでもあるだろ」
「ここじゃないと、駅前が見えないからねえ」
「なにしてるんだ?」
はい、と温い缶コーヒーを渡してきた。
「生徒の見回り」
「ええ。クリスマスだぞ?」
「クリスマスだからだよ。ハメ外した馬鹿がいないかチェックしてるの」
「学校の先生って大変だなあ」
「学校によって違うかなあ。うちはほら、いいとこのお嬢ちゃんが多いからねえ」
「じゃあ、家族がいるやつは大変だな」
「いや、押しつけられた何人かだけだから。わたし生徒指導だし、毎年、無条件でやらされてる。すごく面倒くさい」
「それ適当すぎないか?」
「親へのアピールだけだから。うちは生徒のこと考えてますよーってさ」
「そんなにする必要あるのか?」
「さあねえ。どんなに厳重に守っても、結局、やらかす子はやらかすしねえ」
そう言って、自嘲気味に笑った。
「こういうの、どうしても断れないんだよねえ」
「おまえは真面目だからな」
「おかげで、今年も彼氏と喧嘩しちゃったよ。普通、そういうの女のほうが気にするものじゃない?」
「さあ。どうだろうな」
「はあーあ。小路くんくらいドンと構えてくれてたら、安心できるんだけどなあ。いい加減、結婚とか切り出したいし」
缶コーヒーを開ける手が止まる。
「……もしかして口説いてるのか?」
「アッハッハ。それだけはない」
急にマジトーンになるのはやめてほしい。
別に好かれたいと思っちゃいないけど、普通に傷つくんだぞ。
「別にいいじゃないか。それだけ、おまえといっしょにいたいってことだろ?」
「うわ、恥ずかしー。それ、もしかして口説いてんの?」
「……それだけはない」
いてっ。
なんで蹴るんだよ。
「というか、呼び出したのって、暇つぶしのためか?」
「そだよ。どうせ暇でしょ?」
「失礼な。おれも予定が詰まってたんだぞ」
「へええ。どんな用事?」
「幼女と猫とプリキュア見ながらピザ食べる予定だった」
「え、なにそれ事案? 警察、行ったほうがいい?」
「近所の子を預かってるだけだ」
「それ、どんな関係?」
「アパートの下の階のシンママが、いつも仕事で遅くてな。仕方ないから、帰ってくるまで預かってるんだ」
「ご、ごめん。じゃあ、帰らないとまずくない?」
「ああ、大丈夫。……ええっと、もう帰ったあとだったから」
天使の異常さを説明しても、たぶん伝わらないだろうしな。
ふうん、とつぶやいて、里村は遠い目で言った。
「小路くんも、いろいろあんだねー」
「おまえもな」
「でも、ちょっと意外だな。小路くんって、もっとこう、なんていうの?」
「つまらん人生、送ってそう、って?」
「そこまで言ってないけど」
「おれも同意見だよ」
「わたしはどう?」
「はあ? ううん、まあ、順調そうだな」
「なにと比べて、順調っぽく見える?」
「少なくとも、おれよりはマシだろ」
「小路くんだって順調そうだよ」
「馬鹿言え。いつクビになるかわからんし、この歳で見事な独り身だ。おまえの人生と交換してほしいくらいだ」
「でも、栗栖と仲いいんでしょ?」
「おいおい、もう出ていったぞ。まさか知らないのか?」
「知ってるよ。でも、わたしが変なちょっかいかけなければ、いまも暮らしてたでしょ?」
そう言って、里村はタバコを取り出した。
それに火をつけると、うんざりしたような口調で言った。
「たぶん、ただの嫉妬なんだよね」
「嫉妬?」
里村はライターを向けてきた。
おれが「持ってない」とジェスチャーすると、自分のタバコを差し出してきた。
それをもらって、火をつける。
二人分の煙をふかしながら、彼女との会話を続ける。
「もし、わたしが高校行かなくなってさ、別の人生を歩んでたら、どうなってたと思う?」
「アマゾンの奥地で、先住民にバンド披露してたかもな」
「なんだ、覚えてるじゃん」
そう言って、彼女は苦笑した。
「たぶんね、いまよりずっと不幸だったと思う」
「そうとは限らないだろ」
「かもしれないね。でもさ、この歳になると、よくわかるんだ。間違った選択して、それでも幸せになれるやつなんて、本当に一握り。結局、大人の敷いたレールが、わたしたちを守ってるんだってさ」
「…………」
「間違った選択をしても、あんたに楽しそうに笑ってるのを見るのが嫌だった。自分の人生を否定されたような気がして、許せなかった。小さい人間だよねえ。こればっかりは、どんなに年とっても変わらないや」
タバコを空き缶の中に入れた。
「結局、わたしに度胸がなかっただけなのにね」
「おれだってそうだろ」
「別に、きみに未練があったわけじゃないから。その点はよろしく」
「わかってる。いちいち口に出すなよ」
げんなんりしていると、里村がこっちを見た。
「……小路くんさ、いま幸せ?」
「どうかな。仕事は面倒だし、やりたいこともないしなあ」
「じゃあ、たぶん幸せだよ。本当に幸せなときって、自分ではわかんないからさ」
「はあん。いまがそうだからか?」
首を振った。
「小路くんと生徒会、残らされてたとき、かなり幸せっぽかったし」
思わずむせた。
慌ててタバコを空き缶に押し込むと、隣を睨んだ。
「……それ、男としては口説かれてるのに入るからな」
「マジかあ。じゃあ、もう二度と言わない」
できれば、墓まで持っていってほしかったよ。
と、里村が駅のほうに目を向けた。
「さて、厄介そうなのが来たな」
「なんだ?」
「ああ、こっちの仕事の話。遊んでるならここだろうなって思ってたけど、どんぴしゃだったね」
ぴんと鼻を指ではじかれた。
「今日だけは見逃してあげる」
「……な、なんだよ。どういう意味だ?」
里村は意味深に笑った。
途端、向こうから騒がしいのがやってきた。
「わーお。オッサンじゃーん」
「え、なんでさとちんといっしょにいるの?」
「これ、やばくない!?」
「彼氏いるのに別の男といちゃついてるとか、まじフギミッツーだわ!」
……ええっと、なんだったか。
マリコと黒髪ショートとお団子と金髪。
里村はそれに応えるように、その場で立ち上がった。
「こらあ、おまえらあ! 高校生はさっさと家に帰れ!!」
「わあ!? さとちん、マジこえー!」
女子高生どもは四方に散っていった。
その動きたるや、洗練された盗賊団のようだ。
里村はマリコを追いかけて、人混みへと消えていった。
「……え、なに? なにがしたかったの?」
おれが呆然としていると、ふと背後から声をかけられた。
「……ねえ、オジサン。今夜、暇?」
その声に、どきりとした。
一月ほどしか経っていないのに、もう何年も聞いていないような錯覚すらあった。
「ま、まさ……」
振り返った瞬間だった。
クリスマスが鞄を掲げ、にやっと笑っていた。
目がマジだった。
ぞっとしたのもつかの間、べしべしべしっと鞄で殴打される。
いや、まったく痛くはないのだが、いや嘘、ちょっと痛い、たぶん参考書の角が当たってる。たぶんコレわざとだ。
攻撃を止めると、クリスマスは晴れ晴れとした表情で隣に座った。
「あー、すっきりした」
「…………」
それがあまりに自然な仕草だったので、おれは呆気に取られてしまった。
で、沈黙が下りる。
クリスマスは携帯をいじりながら「あー、まったく」とか「またマリコは余計なことを」とかぶつぶつ言っている。
話しかけるのも悪いかと思い、おれは黙っていた。
いや、見栄を張った。
実際は言葉が出なくて、ただ黙っているだけなのだ。
「で、オジサン。なんでさとちん先生と?」
「え? あ、ああ……」
声が裏返った。
もはや会話の主導権は完全にあっちだった。
「……世間話をしてた」
「うわ、言い訳、下手すぎ!?」
「ほ、本当だ。ちょっと、買い物の途中でそこで会ってな」
横目で見ると、彼女の視線は相変わらず携帯に向いていた。
「……最近、どうしてた?」
「学校、行ってたけど」
「そ、そうか」
そうか、じゃねえよ。
そんなん、おれだって会社行ってたわ。
ごほん、ごほん、と咳をする。
くそ、さっき空き缶は吸い殻入れにしてしまった。
「ていうか、オジサン。またタバコ吸ってたでしょ」
「い、いいじゃねえか」
「ハァ。ちょっとは健康に気をつけないと、そのうちぽっくり行っちゃうよー」
「うるせえな。おまえには関係ねえだろ」
はたと目が合う。
彼女は一瞬、微妙な顔になった。
「……ま、関係ないけどね」
しまった、と思ったが、すでに遅かった。
クリスマスの視線は再び携帯に落ちている。
腰を上げないのは、マリコたちを待っているからか、それとも別の理由か。
な、なにか会話を。
くそ、一か月前は、こいつとなにを話していたか。
「あ、あー。こんなとこ、いていいのか?」
「ええ。オジサン、門限守れとか言うタイプだっけ?」
「そ、そういうことじゃなくて、クリスマスだしな……」
「クリスマスだけ門限守れってこと? ちょっと意味わかんないんだけど……」
すうはあ、と深呼吸する。
「お、男のところに、泊まってるんだろ?」
「……は?」
すうっと、クリスマスの表情から温度が消えた。
「なに、それ?」
マジ声だった。
なぜ、おれが怒られている感じになるのか。
「いや、だって、マリコが……」
彼女は眉を吊り上げると、携帯を構えた。
ちらちらとこっちを見ながら、面倒くさそうに話す。
「マリコ。オジサンになに吹きこんだの?」
『…………』
「ダメだよ。そういう冗談、ぜんぜん通じないんだって」
『…………』
「ハア。このひと、これでけっこう独占欲強いんだからさー。胃に穴、空いたらどうするの?」
『…………(けたけた笑う声)』
なんか、すごく恥ずかしいことを言われている気がする。
「はーい。じゃあ、気をつけて帰ってねー」
『…………』
「うるっさい。また初詣のときね。うん、わたしずっとシフト埋まってるから。はーい、ばいばーい」
『…………(遠くに里村の怒鳴り声)』
……シフト?
通話を切ると、クリスマスは面倒くさそうにため息をついた。
「オジサン、勘違いしてる」
「え? なにを?」
「コンビニのバイト」
「はあ?」
鞄から化粧を落とす魔法のシートを取り出す。
それで目元を拭うと、くっきりとしたクマが現れた。
「家に帰りたくないからさー。でも、お金ないしさー。それなら深夜シフト入れば、宿もあってお金も稼げて一石二鳥じゃんって思ったんだけどさー。もう、ダメ。ほんときつい。死ぬ、死んじゃう」
「……そ、そうだろうな」
「ていうか、店長がオジサンに電話つながらないって言ってたよ」
「電話ってなんだ?」
「ほら、高校生が深夜シフト入るの、ほんとはダメじゃん? だから、一応、連絡入れようとしたらしいだけどさー」
……そういえば最近、知らない番号からの着信があったな。
「つーか、ダメならやらせるんじゃねえよ」
「いや、ほら。いくらダメでも、ひとがいないものはしょうがないからねー。ビジネスパートナーとして、お互い目をつむりましょーってさ」
……難しい言葉を使うのは天使の専売特許だぞ。
「……ハア。でもショックだわー。わたし、オジサンにそういう女だって思われてたんだねー」
クリスマスが重いため息をついた。
椅子の上で膝を抱えると、眠そうに顔をうずめる。
「い、いや、そもそも、おまえが最初に声かけてきたんだろ」
「そうだけどさー。でも、さすがにこう、信頼関係にかかわるっていうかー」
「おまえだって、おれのこと色欲魔みてえに言ったことあるだろ!」
「それは本当のことじゃん」
「違えよ!?」
しょうがないだろ。
男は定期的にガス抜きしないと生きていけないんだよ。
……あれ、あながち間違ってないな。
「す、すまん。いや、確かに考えればそうだが、その、なんだ。おれなりに、悪いことをしたとは思ってるんだ。そりゃ、勝手に追い出したのはおれだが、あのときは、それが一番いいと思ってて……」
「…………」
クリスマスは黙ったままだった。
あまりにリアクションがないので、ついその顔を覗き込んだ。
「えっと、雅子?」
「…………」
クリスマスは肩を震わせていた。
それから、こらえきらないという風に声を上げた。
「アハハハハハハッ!!」
爆笑である。
ベンチに寝転がって大声で笑うものだから、通行人の視線が痛かった。
「ちょ、いまの笑うところか!?」
「いや、笑うでしょ! オジサン、ちょっとらしくないっていうか、ああ、いや、むしろオジサンらしいのかな。あー、ウケる」
涙を指で拭いながら、本当に可笑しそうに言った。
「オジサン。わたしのこと好きすぎじゃない?」
あまりに核心をついた言葉に、おれはつい視線を逸らした。
「……そうかもな」
おれが素直に答えたのが、よほど意外だったのだろう。
彼女は目を丸くすると、くすくすと笑った。
「でも、わたしのほうが好きだからね」
「…………」
……敵わねえなあ。
そうは思ったが、認めるのも負けた気がして、その背中を叩いた。
「卒業したら、うちに来るか?」
「いいの?」
「ちゃんと卒業したら、里村も文句はねえだろ」
「いまからじゃダメ?」
「いまはダメだ」
「でもさ、さとちん先生の言うこと、大人の意見の押し付けじゃん」
「そうだな。でも、それは正しいことなんだよ。おまえたちは自由かもしれないけど、その責任を取るのは大人なんだ。だから、大人が責任を取ってやれる範囲で生活しなきゃ、いざというときにおまえたちを守れない。わかるだろ?」
むう、と唇を尖らせる。
「卒業すれば、おまえの責任を、おれのものにできる。他の誰にもやらない。だから、それまでは我慢してくれ」
「……じゃあ、寂しいときは電話してくれる?」
「女子かよ」
「女子ですけど」
……そうだったな。
「面倒くさがらずに」
「わかった。善処する」
「ぜったいに」
「……わかった。ぜったいする」
まあ、たぶん三日と持たない気はするが。
「だから卒業するまでは、ちゃんと叔父さんのところで生活すること」
「…………」
「約束できるか?」
小指を差し出すと、彼女は迷わずに自身のそれを結んだ。
「する」
そう言って、ようやく安心したように息をついた。
が。
「で、今夜は?」
「…………」
その期待の目に、おれは苦笑した。
「里村が、今日は見逃してくれるってさ」
「やった! 久しぶりにまいえんじぇるに会えるー」
「あいつ、うちで照り焼きチキンとこんがりソーセージのピザ食ってるぞ」
「わ、ほんと!? わたしの分、ちゃんと残ってる!?」
「また注文すりゃいいだろ」
そう言って、おれたちは歩き出した。
……寒かった。
もう12月なのだから当然だ。
いよいよもって30代に差し掛かった人生は、いまだに迷うばかりの日々だ。
なにが正しくて、なにが間違っているのか。
そんなことを偉そうに説教しながらも、本心では自分に言い聞かせているようなものだ。
自分がこれまで得たり捨てたりしてきたものが無駄であってほしくないと、みんなが願っている。
見栄とか後悔とか、そんなしがらみさえなければ、もっと単純に生きていけるにもかかわらず。
最近、ふと思うことがある。
一年前の今日、もしさゆりの手を掴んでいたら。
去っていく彼女を、自分の本心をさらけ出して引き留めていたら。
それでも尽きた愛想は戻らなかったかもしれないし、あるいはもっと身の丈に合った幸福があったのかもしれない。
クリスマスだって、もっといい縁があったのかもしれない。
それでも、いまの瞬間が、おれたちにとって正しいものであると願ってやまないのは――。
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