12月のクリスマス、続。(3)


「じんぐるべーる、じんぐるべーる、すずがーなるー」

「ナア」

「きょーはたのしー、くりすますー」

「ナア」


 幼女と猫の愉快なダンスを眺めながら、おれは聞いてみた。


「……なにしてんだ?」


 いや、それが無駄だとわかっているし、答えもわかりきっているのだが、とりあえず聞いてみることでこちらの意思を伝えようという作戦だ。


「おっと、おっちゃん。クリスマスやのに辛気臭い顔しとるわー」

「やかましい。おまえらがお気楽すぎるだけだ」

「うーわ。幼女にマジ反論とか、おっちゃん余裕なさすぎぃ」


 だから自分で幼女言うな。


「で、なにしてんだ?」

「そらもちろん、ツリーの準備やろ。今日はくりすますいぶやで」


 そんなもん、見ればわかる。

 問題は、どうしておれの部屋の、おれのテレビの前でやってるのかということだ。

 さっきからバラエティが見なくて、観客の笑い声ばかり聞いている。


「仕方ないやん。お母ちゃん、急なお仕事で遅くなるんやもん」

「預かるのは承知したが、ツリーを立てていいとは言ってないぞ」

「ええやん、ええやん。うち、ツリー立てたいー。そんで、大きな靴下用意するんやでー」


 そしたらサンタさん、うっかり30男のところに来ちゃうんだがな。


「どうせ、おっちゃん暇やろー?」

「……まあな」


 時計を見ると、昼過ぎだった。

 これからチャンネルもニュースに切り替わっていき、各地のクリスマスイベントを映すんだろうな。


 去年は平日だったが、今年は土日に被ったせいで退屈だ。

 こんなことなら、先輩に誘われたホームパーティにお邪魔しておけばよかった。


 まあ、子守り猫守りってのも、平和でいいかもしれない。

 少なくとも、一人でいるよりは精神が健全だ。


「おっちゃん、やばい!!」

「なんだー?」

「ケーキ忘れとったわ!!」

「そりゃ大変だー」


 甘いもの嫌いだし超どうでもいい。


「おっちゃんー、ケーキー、ケーキー」

「引っ張るな。お母ちゃんが買ってきてくれるだろ?」

「ちゃうねん。今年は手作りケーキ作りたいねん」

「ええ。なんで?」

「そらアレよ。親子の絆を深めるためー」

「本音は?」

「プレゼントに新しいお父ちゃん欲しいって言ったら喧嘩になって、いまピリピリしてんねん。だからここは一発、ええケーキ作ってご機嫌とりたいわけや」

「おまえほんとそういうとこな」


 そういう変な気を回さずに黙ってれば可愛げがあるのに。


「はあ。まあ、暇だしな。材料、買ってくるかー」

「あ、おっちゃん。うちの鍵ないし、道具ない」

「ケーキの器材なら、そっちの棚にあるぞー」

「ええ!? なんで!!」


 目を剥くほど意外か。

 バレンタインに至っては、驚きすぎて宇宙猫みたいになってるし。


 ……いや、意外だろうな。

 おれだって、おれの部屋にお菓子作りの器材が並ぶとは思ってなかった。


「あいつと誕生ケーキ作ったんだよ。そっちにレシピ本あるから、それ見て材料メモっとけ」

「あ、うん」


 おれは着替えるために寝室に行った。


 ……そんな顔をされると、こっちまで悪いことをしているような気になるのでやめてほしい。



 ―*―



 レシピ本に沿って、ケーキを作っていく。


 まずはクリームだ。

 というかクリームしかない。

 スポンジは出来合いを買ってきたし、具はイチゴをのせるだけ。


 ケーキを作ったのは、たったの一度だ。

 それでも意外に身体は覚えているもので、思ったよりも手際はよかった。


「ナァナァ」


 クリームを混ぜていると、バレンタインが足元にじゃれついてくる。

 軽く追い払うと、つーんと拗ねたような顔でソファに戻った。

 いや、実際のところ猫の表情など、わかるはずはないのだが。


 ケーキにクリームを塗りつけるのは天使に任せた。

 べたべたと、実に風流なクリスマスケーキが出来上がっていく。


 その隣で、おれは文字を書くためのチョコソースの準備をした。

 イチゴをのせると、真ん中にメッセージを書くためにチョコソースを渡す。


 おっかなびっくり、天使は文字を書いていった。

 それは文字にしては歪みすぎていたが、それがむしろ彼女らしいと思う。



『はっぴーくりすます。おかあちゃんだいすき』



 それを迷いなく書いたのに、少しだけ驚いた。

 天使は年齢にしては少し……、かなり大人びている。

 人体実験でおっさんの魂を入れられた幼女だと言われても驚かないだろう。


 いや、ちょっとは驚くかもな。

 でも、そんなには驚かないはずだ。


 まあ、そんな彼女だから、こんな恥ずかしい言葉を書くとは思わなかった。

 もっとこう、『お母ちゃんのためなんやで』とか『お母ちゃんゆるして♡』とか、回りくどく喧嘩のことを煙に巻こうとすると思っていた。


「むっふっふ。じょーできやな」

「そうだな」

「こんな献身的なうち、可愛えやろ?」

「自分で言わなけりゃ100点満点だな」


 ケーキを冷蔵庫に入れた。

 あとは天使の母親が帰ってきたら、下に持っていけばいい。


「おっちゃんも、もうちょっと素直になれたらいいのになあ」


 おれは黙って、皿を洗うために蛇口をひねった。

 目の前に並んだレシピ本は、ぜんぶクリスマスのために買ったものだった。


 天使もお手伝いのつもりか、わしゃわしゃスポンジを泡立てた。

 バレンタインがひょいっと前のテーブルに飛び乗って、作業をじーっと見ている。


「おっちゃんなあ。理屈っぽいなあ」

「そうだな」

「でも、それってあれやで。うち知っとるよ」

「なにを知ってるんだ?」


 泡立て器の針金っぽいところを、一本ずつ洗っていく。

 前はこれを適当に済まそうとして、クリスマスにかなり叱られた。


「理屈っぽいのは、頭よさそうに見えるもんなあ」

「そうだな」

「でも、それって弱いのを隠そうとしてるんやで。だって、理屈は正しいもんなあ。誰も文句言えへんから、それに寄っかかってると安心するもんなあ」

「……そうだな」

「でも、正しいのが嬉しいとは限らんと思うんやけど、おっちゃんはどう思う?」

「…………」

「理屈としては間違っても、間違ってるのが嬉しいときもあるんやで。だって、そうやろ? うちはお母ちゃんしかおらんし、本当はお父ちゃんがいたほうがいいけど、それでも幸せやん。たまに喧嘩するけど、それでお母ちゃんを嫌いになったりせん。だって、お母ちゃんのこと大好きやしなあ」


 きれいに汚れを落とした泡立て器を、シンクの脇に置く。

 皿とかも洗おうと思ったが、それ以上、手が動かなかった。


「……はあああぁぁぁ」


 今年最後の、いちばん大きなため息をついた。


「……おまえ、そういうのどこで覚えてくるの?」

「この前、教室の絵本に書いてた」

「は? 絵本に書いてたのか?」

「そやでー。絵本はおもろいなーって読むもんやない。その話で伝えたかったことを理解せんと、意味ないんやで」

「…………」


 少なくとも、おれはそういう風に読んだことはない。

 きっと、いま読んだって、そういうことを理解できる頭じゃない。


「でも、いまさらなあ」

「おっちゃん、ほんまプライド高いわあ」

「大人は面倒なんだよ」

「それって大人の問題やないんやないかなー」


 ごもっともで。


 問題はおれ個人にあって、そのことを自覚している。

 それを大人という括りのせいにして逃げてきたツケが回っているのだ。


 いつから、こんな面倒くさいやつになったのか。

 少なくとも、さゆりと別れるまでは、もっと能天気だったと思う。


 本当に大事なものには、ひとは憶病になるのかもしれない。


「あ、すまん。電話だ」


 おれは携帯を取ると、表示された名前に息を飲む。


「…………」


 通話ボタンを押すまで、少し時間がかかった。


「……なんだ? ああ、まあ」


 ちら、と天使を見た。

 こいつなら、一人で留守番しているだろう。

 バレンタインもいるし、好きなアニメもたくさん借りてきた。


「ちょっと、外、出てくる」

「ええよー。うちのご飯はー?」

「そこのピザのチラシ、好きなの頼んでいいから」

「うわっほーい。おっちゃん、お母ちゃんの次に大好きー」


 財布から万札を抜くと、それを握らせた。

 バレンタインのために買っていた、かなり高級な猫缶を皿に開ける。


 コートを羽織ると、天使に向いた。


「じゃあ、大人しくしてて……」

「えっとなー、オリジナルハーフで、てりやきチキンとー、こんがりソーセージとー、四種のチーズとー、あ、これハーフにできんやん。まあ、ええか。二枚頼もうっと。あと、ちきんなげっとのセットでー、飲み物はミルクさんやでー。えー、ミルクさんないのー?」


 すでに聞いてなかった。

 おれはそっと、万札をもう一枚、テーブルに置いてアパートを出た。

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