最終話 だから、僕はここにいる

「見ているこっちが恥ずかしくなる」

 そう言いながら、僕はずっと腹を抱えて笑っていた。

「見ろよ、あの間抜けな顔。少女コミックでも今時あんな分かりやすい恋に落ちたような面しねえよ。ほんとにあれ、僕か? 別人じゃないのか?」

 指差して笑う先には、この世界の、この時代の僕がいた。ときめきに胸撃ち抜かれた女子かとツッコミたくなるような顔で道の先を見つめていた。

「うわあ、過去のアルバムにポエムとか恥ずかしい言葉とか書いてるよりも気持ち悪いな。自分の照れ顔なんて。あっちが胸をキュンキュンさせてるのに対して、こっちは胃がキリキリして来たんだが」

「何故だい?」

 馬鹿笑いが止まらない僕に、隣にいたレヴィアタンが笑顔で声をかけてきた。その笑顔は能面のように固い。

「何故? 何故って、なんのこと?」

「これのことさ。私はてっきり、君が彼を殺して成り代わるものかと思っていたんだけど。それが、君の願いだとばかり思っていた」

 ああ、そのことか。

「じゃあ、その考えは外れていた、それだけの話だ。訝るほどのもんでもないだろ?」

「では、君はこれで良いのか? 彼は、この時代の君は、何も知らずに、これからも生き続けるぞ。姉を失うことなく、幸せに。それでいいのか? 君は、彼から最高の幸せを奪うんだろう?」

「だから、奪ったよ?」

 何を言ってるんだ。こいつは。

「僕は、僕から幸せを奪ったよ。おそらく、僕にしか分からない方法で。それで充分、釣りが来る。違う未来を歩もうとしている世界には姉が生きている。その傍で生きている僕には考えうる限り最高の嫌がらせをしておいた。これで満足なんだわ」

 僕の事を最も理解しているからこそ出来る方法。世捨て人さながらの生き方をしていた 僕ですら心奪われ、枯れていたはずの欲望に火が付き、欲望のままに彼女を抱こうとしたのだ。初心なガキだった頃の僕が彼女を一目見れば、一発だ。もちろん、彼女は嫌がらせの一翼を担っているなどとは全く気づいていない。

「やり直さなくて良いのか。目の前に、そのチャンスがあるんだぞ?」

 しつこいな。なんだか、どうしても僕に僕を殺して欲しいような言い草に聞こえてきた。

「やり直しなんて出来るわけないだろ。馬鹿かあんたは」

「馬鹿だと?」

「僕は、もうあの頃の僕じゃない。多くの命を奪った、化け物だ。そんな化け物が普通の人の生活に戻れるかよ。戻っちゃ駄目なんだよ。そこに僕の居場所はない。普通の幸せを享受していいのは、真面目に、普通に暮らしている、普通の人だけだ」

 僕が、僕から全てを奪った連中の真似をするわけにもいかないしね。

 さて、個人的には笑うだけ笑ってもう満足したわけだが、これからどうなるのだろうか。せっかくもらった祝福をきちんと受けなかったわけだけど。その場合は、やはりこの状況がなかったことになって、死ぬ一瞬前に戻るとかかな?

「つまらない」

 ぼそりとレヴィアタンは呟いた。

「つまらない、つまらないつまらないつまらないなぁ」

 苛立った声だ。だが、その表情は明るい。底抜けに明るい。

 なるほど、これが悪魔か。納得だ。気持ちと感情と表情が連動していない。

「どうした人間。それでも人間か? 欲望は無いのか? 自分の欲望のために他者の全てを踏みにじられる生き物ではないのか? なあ?」

 いや、連動しているのか。奴の中にはいま、苛立ちと同時に、狂喜も渦巻いているのか。

「ティアマットは、殺していたぞ」

「は? どういう・・・」

 一瞬何を言っているのか分からなかった。だが、少し考えれば理解できた。

「勝ち上がり、生き残り、欠片を全て集めたのがヤマタであっても同じ。ファヴニルでも、ドゥルジでも、テュー・ポーンでもだ。いや、私から欠片を奪うのが他の何者であっても、全員が同じ結末に行き着いた」

 ティアマットは未来を見通す未来視を持っていた。それは、もともとはレヴィアタンの能力だ。ならば、彼女も同じく未来を見たはずだ。自分が死んだ後の未来も。あらゆる結末を見越していたはずなのだ。

「全員が全員、過去の自分を殺し、成り代わろうとした。どれほどの聖人君子であったとしても、過去をやり直す欲望に抗えなかった。これから起こり得る全ての過去を知っているから、より良い未来を確実に手繰り寄せることが出来るのだから。故に聖人君子だからこそ最も欲深かった。より多くの人民を救えるという大儀の為に、躊躇いもなく己を殺せた」

 まあ、自分を殺すのは大得意だろうね。皮肉が効き過ぎてスパイシーだ。

「なのになぜ、ただの人間たる君は、チャンスに、餌に喰いつかない」

「簡単な話だ。満腹の時は、餌はいらないからさ」

 とうとう、壊れたようにレヴィアタンは笑い始めた。一定の音域とリズムと音量で、笑い声というよりも、ノイズに近い。解体作業中の工事現場を思い出す笑い声だ。

「なるほど。それが君か」

「ご納得頂けて、何よりだ」

 あぁあ、とレヴィアタンは一息ついた。

「残念だよ。君が君を殺さないなんて。これで、私の計画は全てパァだ」

「計画? ここまで何か計画してたのか? 自分が死んだ後のことまで?」

「そうだよ。盛大なサプライズを仕掛けておいたんだ。今君が見ている私は、欠片が集まった時に再生されるよう仕組んだ記録映像みたいなモノだ。この私は、欠片を集めた者に祝福の内容を解説し、過去をやり直す権利を与える。かのように見せて、実は裏にはもう一つの計画があった。それは、もう一度私がこの世界に顕現する計画だ」

「もう一度、生まれるって事か?」

「その通り。自分自身を自分の手で殺した場合、例えそれが別の次元の自分で会ったとしても、少なからず自己否定による自己存在の揺らぎが生じる。自分の意識によって自分の存在が否定される事で、不安定な粒子になる。そこに私の存在が滑り込む。君という器の中に私を満たすのだ。すると、脆弱な人の、自己を自己たらしめるアイデンティティーは容易く消滅し、残るのは私、という仕組みだった」

 アジ・ダハーカ戦の後、ティアマットの分身も言っていた。一事を以て万端を知るのが奴らだ。欠片と力があれば再び姿かたちを取り戻せる化け物が奴らだった。レヴィアタンなら、意識さえ残っていれば元の姿を取り戻す事だってわけないだろう。奴の欠片は、僕の中に全て揃った状態であるのだから。

「全てを踏みにじってきた者の努力が、全て踏みにじられたときの顔が見たい。ただそれだけのために死んだ。私の未来視では、それが見られた」

 だから私は、不思議でならない。レヴィアタンはつかつかと僕に近寄り、人差し指をつきつけた。

「教えてくれ。全てを知っていたはずの私に。私の未来視に登場せず、突如として現れ、私の計画を台無しにした、君は一体何者だ」

 何者、と問われても困る。それこそ二十歳の若造である僕に、芯となる人生哲学のようなものがある訳で無し。

「ただの馬鹿だよ」

 これが答えだ。考えるまでも無い。唖然としたレヴィアタンの顔が、徐々に笑みを象っていく。

「そうか。ならば、私の計画が台無しになるのも致し方ない。計画はただの人間を対象にしていた。ただの馬鹿は対象外だ」

 レヴィアタンの人差し指から、さらさらと光の粉が舞い上がる。

「ただの馬鹿に、祝福は無用だろう。私は消え、君の中で欠片として眠ることにする。後は、勝手に生きろ」

「色んな人間を撒き込んで、散々引っ掻き回しておいて、勝手にしろとは、無責任だな」

「悪魔だからね」

 それを言われたら納得するしかないな。

「もし、生きるのに飽いたら、その時はいつでも私を呼ぶと良い。いつでも、君の存在を喰い潰し、私が成り代わってやる」

 光の粉が空に昇っていく。月に吸い込まれるように、まっすぐに。見上げていた視線を戻すと、レヴィアタンは消えていた。後には安っぽいネオンに照らされる僕が残った。

「選択肢には入れておくよ」


「戻った、けど・・・」

 戻ってきたクシナダが、視線を彷徨わせる。

「レヴィアタンは?」

「消えた」

 両肩を竦めて、端的に事実だけを伝える。

「そう。結局、彼女は何がしたかったの?」

 ん、と僕は少し悩む。色々と説明されて、自分で咀嚼してこういう事かと納得した概要は僕の中にある。が、それを上手く言語化出来ない。なので、重要なキーワードだけを上手く繋げる。

「今、僕らの中にはレヴィアタンの欠片、その全てがあるじゃない?」

「ええ、そうね」

「で、奴は、僕を依り代というか、体を乗っ取って復活しようとした」

「へえ・・・えっ? それ、不味くない?!」

 クシナダは身を守るようにして僕から距離を取った。乗っ取られたと思ったのだろうか。敵意が無い事、そもそも乗っ取られて無い事を証明するように、僕は両手を軽く前に出して、落ち着けと手のひらを下に向けた。

「ただ、計画は頓挫した。どうも、復活の鍵は、僕が、この時代の僕を殺す必要があったらしい」

 それを訊いて、彼女は構えを解いた。彼女自身が、この世界の僕が生きている事を確認している。

「もしかして、始めからそれに気づいていたの? だから、私にお姉さんを家まで送らせた?」

「いいや、全く気づいてなかった。あんたに頼んだのはちょっとした嫌がらせだ」

「嫌がらせ?」

「そこは気にするな。重要なのは、計画が失敗したと悟ったレヴィアタンが消えたという事実と、これからどうするか、という今後の予定だ」

 ひょんな事から元の世界に戻って来たが、何をすれば良いのかさっぱりわからない。戸籍はない。住む所も無い。生きるのは、これまで培った技術とか経験でなんとでもなるとは思う。サバイバルも出来るし、野生の獣程度に遅れは取らない。ミサイル直撃しても死ねやしない体一つあれば、それこそ傭兵とかで生計を立てられるだろう。だけど、全く魅力を感じない。これだけ色んな物が揃い、溢れかえっている便利な世界なのに、今の僕には窮屈で息苦しいだけとは。野生に返りすぎたのだろうか。

「どうしたの?」

 これからに思い悩む僕に、彼女が声をかけた。黙っていても仕方ないので、素直に現状に対する心情を吐露した。

「あっはっはっは!」

 大笑いされた。何でだ。

「まさか、死にたがりのあなたが、未来に不安を抱くなんてね!」

「別に、不安なんか抱いてない」

 笑いすぎて涙が浮かんだ目を擦る彼女に、口を尖らせて弱々しく言い返す。

「色々とルールが決まりすぎて、窮屈でつまらないってだけだ」

「そうね。そういうことよね。はいはい」

 なんだよその分かってますよ、みたいな感じは。

「じゃあ、帰りましょうか」

「帰るって、どこにだよ」

「もちろん、さっきまで私たちがいた世界によ」

「どうやって」

「どうやって、と聞かれても、説明に困るんだけど」

 人差し指を顎に当てて、子首を傾げている。

「ほら、私ってティアマットの能力を引き継いで、空間を操れるじゃない?」

「ああ」

「だから、出来る」

 説明になってない。感覚的な事なんだろうか。

「なんていうのかな、ここには居てはいけないみたいな、向こうの世界が呼んでるような、そんな感覚がずっとある。だから、違う空間に移動しようとしたら、向こうに引っ張られて戻れる、ような気がする」

 向こうに縁があるからか、それとも、この世界が異物を廃除しようとしているのか。

「でも、これが、最後だと思う。一度空間を移動したら、二度とここには戻ってはこれないし、多分違う世界に移るとか、そういう器用な事は出来ないと思う。だから、選んで」

「選ぶ? 何を?」

「この世界に残るかどうか。窮屈だろうけど、ここが、本来のあなたの世界だから。住んでいれば、数ヶ月もすれば向こうの生活の事なんか忘れて、慣れると思うし。この世界の方が」

「うるさいな」

 僕は少々強引に彼女の手を取った。

「帰ろう。向こうに」

 ぽかんと僕の顔を見上げていた彼女が、微笑む。

「はいはい」

 そして、僕らはこの世界から消えた。


「あ、ねえねえ」

「何だよ」

「あれだけ死ぬ死ぬ爆発するから討て殺せって大騒ぎして、ひょっこり生きて戻ってきたら、私たち、かなり間抜けじゃない?」

「かなりじゃない。酷く間抜けだと思うよ」

「皆に笑われるでしょうね」

「間違いなく。カッコ悪すぎるからね」

「それが生きる、って事なのかしらね・・・」

「カッコ良く言おうが、カッコ悪いのには代わりないけどな」

「まあ、何だっていいわ。あなたといれば楽しいから」

「・・・そうかい。ならせいぜい、死ぬまで生き足掻くか。あんたといれば、つまらない人生でも、ちっとはマシになるだろう」

 予想通り、ひょっこり戻った僕たちは、まだ残っていた全員に色んな意味を含んだ笑みで迎えられた。ミハルの第一声が「死んでねえのかよ、ダサ!」だったことが、全員の心の声を表していると思う。うるさいな。人生はままならないものなんだよ。やり直しなんて都合のいい話はないんだからな。

 それでも、僕は生きることにした。やり直しは利かないが、倍返しで帳消しは出来るからね。カッコ悪いまま死ねやしない。

「次は、どこに行くか」


--------------


 世界は理不尽だ。

 弱者は踏みにじられ、俯き、涙を溢す。二度と空を見上げる事をしない。顔を上げても希望はないと、諦める。強者はそれを見て嗤い、食い物にする。

 過去もまた、現在もまた、未来もまた、理不尽は続く。永遠に続く。

 見るがいい。

 人々を救おうとした聖人が、救おうとした人々に磔にされている。

 病を治す薬を調合した魔女が、助けた相手に虐げられている。

 平和に暮らしていた先住民が、蛮族として理由なく迫害されている。

 正義を貫こうとした若者が、巨大な権力に握りつぶされようとしている。

 年端もいかぬ子どもが、大人たちの都合で怪物の生贄にされている。

 邪悪が、理不尽が、絶望が、それらの形を取る者たちが嘲笑いながら、気分で命を刈り取り、尊厳を踏み躙り、弱者を糧として肥え太ろうとしている。

 聖人の心臓に槍の先は定められ

 魔女の足元に火は投げ入れられ

 先住民に雨のような弾丸が放たれ

 若者に暗殺の刃が向けられ

 子どもの前に邪悪と理不尽と絶望の塊たる怪物が現れ

 皆、目を塞いだ。恐怖と、諦めと、悔しさで。視覚による痛みを遮断し少しでも死を安らかなものにしようと、きつく、きつく。


 しかし。


 想像した痛みは来ない。苦しみは現れない。

 恐る恐る目を開く彼らの前に、その背中はあった。

 黒いシャツに朱色の剣を携えた男が。透明の翼を持つ矢を構えた女が。

「貴様らは一体、何者だ!」

 問いかける邪悪を理不尽を絶望を前に、彼らは笑う。

「ただの馬鹿だ」

「悪魔お墨付きの、ね」

 後に、気づく。追い詰められてようやく気づく。邪悪が泣き出す邪悪、理不尽を嘲笑う理不尽、絶望すら心へし折られる絶望が存在する事に。しかし、今は気づかない。自分たちにとって、全ては餌であり娯楽でしかないと思い込んでいるからだ。あらゆる言葉を投げかける。いつものように、相手を屈服させようと。

「ぐだぐだうっせえな」

 男は面倒そうに頭を掻いた。

「御託はいいよ。どうするんだ? 戦うか? 逃げるか?」

 剣を突き付け、獰猛に笑う。

「さっさと決めないと、僕がお前を喰っちまうぞ?」


 故にこれより始まるは、ある男の軌跡。

 弱者と強者の境目に立ち、笑いながら戦い続け、邪悪と理不尽と絶望をふん縛って叩いて潰してゴミの日にまとめて投げ捨てた、死にたがりが紡ぐ英雄譚。

 もちろん、本人の主観は一切入ってない、守られた者たちが感謝の気持ちでフィルターして美しく仕立て上げられた物語になるが。

 それでも良ければ、ぜひ。

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世界の神話・異聞 叶 遼太郎 @20_kano_16

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