第3話
コピー機の紙を補充し、お湯を沸かし、換気を行い、新聞を取りに行く。
大澤めぐみは、そんな雑用を誰もいない事務所でこなしていた。気づいた者がやることになっているが、大抵は一番早く出社するめぐみがこの作業を行っている。掃除を行い、メールをチェックし、コーヒーを淹れ、始業時間まで他の社員と他愛もない会話を交わす。
「――そういえばさあ、土曜の夜更かし観た?」
隣のデスクの先輩、青識さんが聞いてきた。さっきからずっとしゃべりかけてくる。彼女には常に勝手に喋り続ける傾向があるが、受け身に回れるので楽と言えば楽だ。
「見ましたよー、盛りだくさんでしたね」
「もう桐谷さんが可愛くて…」
そんなくだらない会話が続く。
「――それにしても素人一人でゴールデンの2時間持たせるってすごいですよね」
「うんうん。まあ桐谷さん程のポテンシャルある人はそうそういないでしょ。」
「今回はイルマニア出ませんでしたね。」
「どうだったっけ?覚えてないなあ。でもわたしイルマニアはちょっとダメだわー」
「あっ本当ですか。実はわたし結構好きですよ」
「うわー大澤さんセンスないわー」
朝礼で今日の予定が説明される。今日は朝から監査法人が来ることになっている。めぐみ自身は作成済の資料を提出するだけで、今日の監査に関して特にやることはない。午後から別件で外出するので、それまでに今日の仕事を終わらせる予定だ。
「大澤さん、ちょっとA社の注文の処理お願い出来ますか。僕は今日監査の対応があるから」
予定が狂った。春原係長である。柔らかな物腰だが、ノーモーションで仕事を丸投げしてくる要注意人物だ。
「すみません、今日わたし午後から出なきゃいけないので遅くなっちゃいますよ?」
「うーんそれじゃ仕方ないですね…。じゃあ今回は青識さんにお願いしましょうか」
「え?あ、ああ、いいですよわたし今日は外出の予定ないので」
青識さんゴメン。
めぐみは心の中でそうつぶやいた。
――お待ちしておりました。こちらへどうぞ。
監査が来たようだ。
「今回監査を担当させていただきます○○です。本日はよろしくお願い致します。しばらく会議室をお借りしますが、どうか皆様、お気になさらず仕事を続けてください。」
監査の男はそう言うと、春原の方に歩み寄り、おもむろに組み伏せた。
「あがっ!?ゥッ―――!?!?!?」
澱みない動きで春原の動きを封じ、苦しむ春原を押さえつけながらバッグから取り出した容器詰めの液体を、春原の口に流し込む。何かの毒だろうか。春原は白目を剥いて痙攣し始め、すぐに動かなくなった。
何が起こっているのだ。
めぐみは呆気にとられていた。一つだけ確かなことは、春原係長が死んだということだ。
こんな状況どこかでみたような気がするのだわ。映画かドラマだったかしら。
脳が状況理解を拒否しているのだろうか。めぐみは妙に冷静な物思いにふける。
――さん…
――――さん!
「大澤さん!早く!逃げないと!」
青識に手を引かれ、めぐみは会社から逃げ出した。めぐみだけではない。気づけば社員全員が会社を脱出し、監査の男が春原の死体と共に会議室に立てこもる、という事態に陥っていた。
これだけの騒ぎである。誰かが通報したのだろう。事務所が入っているビルの前にパトカーが到着した。事情聴取だろうか、警察官の一人がめぐみに話しかけてきた。
「おめでとう大澤くん。春原は死んだのだ。」
…は?
「君の世界は常に君の望む姿であり続ける。春原は君の望む方法で死んだのだ。」
…すみません、意味が分かりません。あなた本当に警官ですか?
「大塚君が春巻君の死を望み、九代目監査員がハッシュドビーフ君を殺したのだ。すべては君が望んだことだ」
交差点の向こうにある商業ビルの電光掲示板に先ほどの警官が映し出され、めぐみに話かけてきた。
警官の顔は、赤かった。
めぐみの脳が急回転する。一瞬で相手を組み伏せる、そんな芸当がただの監査法人職員に出来るだろうか。男が取り出した液体は毒ではない、どこかで見たことがある第2類医薬品ではなかったか。男の顔色は何色だっただろうか。
あれは監査の男ではない。赤ら顔のラ・マンチャの男だ。
…わたしは殺して欲しいなんて頼んでない。わたしのせいじゃない。
…まずわたしは春原係長に死んで欲しいなんて思っていない。そもそも赤ら顔の歌舞伎役者が実在するはずがない。あれは2ちゃんねるの心ない住人が作ったコラ画像だ。
「君が望めばフジロック青姦ガチ勢君を生き返らせることも出来るし、そもそも彼が死んでいない世界を作り出すことも出来る。あるいは、HEY!HEY!HEY!5時には起こせよムーヴメント君が存在しない世界も思いのままだ。すべては大村 a.k.a.最悪のアンチ君の気持ち次第だ」
何かがおかしい。しかし、春原係長を死んだままにしておく訳にもいかない。
わたしが、望む世界…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます