エピローグ

ガシャリガシャリ。


鎖と鎖がこすれ合う重苦しい音が、木帰町に響く。太陽は傾き始め、カラスがカァカァと鳴いている。夕暮れの町に伸びた影が二つ並び、死体の血の染みこんだアスファルトを歩み続けていた。



___



到着した都兵達は、陛下の勅令により街の制圧もそこそこに山へ赴いたのだが、その最前線となるこの町で、よもや人がこれ程生き残っているとは思わなかったらしく、その犠牲者の少なさにやたらと感心していた。しかし、都から来た人間から見れば少ない数でも、この小さな町にとってはそうではない。皆が皆、狭い公民館の中で、家族同然の町の仲間を失ったことへの悲しみに沈んでいた。


それは当然、娘を失い、母を失った二人にとっても同じことだった。二人は、都兵に介抱され公民館まで連れてこられ、他の避難者と同じ部屋で塞ぎ込んでいた。たった一日で、彼らはあまりにも多くを失いすぎた。さめざめと泣く者や、何かを考えているように黙り込む者、色々な反応が繰り返される部屋の中。そんな中、老人の一人がこのような言葉を漏らした。


「皆、頭ァ撃たれてしまうんじゃろか。」


皆とは、逃げ遅れて転化しているであろう町民達のことである。今、外では表を歩く留人達を都の兵隊が次々と始末する音が聞こえていた。彼らは、対留人に特化した強力な銃器を使っているが、それは確実かつ迅速な働きを見せる代わりに、遺族への配慮の全くないものだった。身体を撃たれれば大穴が空き、頭を撃たれれば、そこに故人を認める痕跡など何も残らなくなってしまうのである。その老人の独り言は、波紋のように皆に伝わり、緊急下で仕方ないとは分かりつつも、どこかやり切れないと言った表情を皆に浮かばせた。


「ケイ、行くぞ。」


恐山は、その言葉が聞こえると同時、一言と共に立ち上がった。その孫、ケイもそれに続く。少し、しんと間が空いた後で、出て行く二人の後ろ姿に、泣きそうな声で、ありがとうという小さな声が投げかけられた。


それは、たまたま近所に用があり、公民館へいち早く避難することが出来た木梨の妻の声だった。彼女は、何度も外へ飛び出して行こうとするのを皆に制止され続け、ついに旦那の声が聞こえなくなってからは、ずっと魂が抜けたようになってしまっていた。その、搾り出すような感謝の言葉に続くように、皆が二人の背中に感謝の声をかけ、中には恐山を拝み出す者までいた。


沢山の感謝を背に浴びながら二人が公民館のドアを開け外に出ようとすると、おそらくここの警護を担当していると思われる年配の兵士が近寄ってくる。


「おいお前ら、外に出るんじゃあない。」


そんな神経質な面持ちの兵士を無視するように、恐山は黙って歩いていこうとする。


「聞こえんのか、止まれと言ってるんだ、民間人は中に入ってろ!」


その言葉に一瞥をくれた後、尚も進んで行こうとする恐山。なんだ貴様と無理やりにでも止めようと近寄る兵士に、それに気付いた若い兵士が慌てて駆け寄り、年配の兵士に何かを耳打ちする声が聞こえた。


「し、失礼いたしましたッ!」


背後からかけられる謝罪の言葉に、恐山は軽く手を挙げて答えた。二人は高台を下り、大通りを抜け、あぜ道を通り、彼らの自宅へ向かう。まだ床に赤黒い血の残る玄関で、恐山は鎖帷子に着替え、ケイは都からの支給品である新品の作業着に袖を通した。


そこから二人は近隣の家々を見て回っていった。悲しい予想は当たっており、公民館に居なかった面々の多くは、既に変わり果てた姿になりながらも、そこに留まっていた。中には足を噛み千切られ、まるで恐山を待っていたかのように、頭を垂れている者もある。その一人一人を人へと戻し、出来る限り綺麗な状態に整え、送り人による処置が終わっている事を示す白い布を顔にかけていった。


ケイは、何を言うでもなければ、言われるでもなく、恐山の仕事をただじっと見ていた。人の死とは何だろう、人としての死の後に待っているこれは、一体何の意味を持っているというのだろうか。答えの出ない問いが彼の頭の中を何度も往復する。しかし、恐ろしい顔つきのゾンビ達が、祖父の手によって穏やかな人間へ戻っていく姿を見ていると、母さんはもしかしたら爺ちゃんに元に戻して欲しくて山を越えてきたんじゃないだろうか、と思った。


近隣の家々を巡った恐山は、次に山側の集落へと向かう。恐山の気にかけていたことの一つが森田の安否であった。人一倍怖がりで、留人の話をすることすら恐れていた森田のじいさん。彼は公民館には避難しておらず、近所の人間も避難をする森田の姿は見ていないという。もしかすると、まだ自宅に閉じこもっている可能性があった。上手くすると、いや彼の性格からすれば息をひそめているかもしれない。そんな思いを胸に足早に向かうと、案の定、玄関の鍵は固く閉ざされ、侵入を受けた形跡もない。恐山は、緊急時の為に預かっている合鍵を使い中に入ると、大声で声をかけた。


「森田さん!終わったぞ、もう助かったんじゃ。」


しかし、屋内には物音一つ聞こえなかった。怪訝な顔を浮かべる恐山。何か思う所があったのか、ケイにここで待つように伝え、自身は静かに階段を上っていく。その階上は、かつて猟師だった森田の仕事道具が並んだ屋根裏部屋のようになっており、一つの窓だけが光源となっている。その2階の壁に寄り添うようにして、森田のじいさんは静かに座っていた。


「森田・・・」


森田 いさむは既に事切れていた。


その手には愛用していた猟銃を握り、銃口は口の中へ差し込まれ、白髪の薄い後頭部から壁へと小さな穴が開いている。足の親指で引き金を引いたのだろう。左足の靴下だけを脱いでおり、まるで銃を抱きかかえるような形で、森田は留人もならずにその確実な死を自身に与えていた。


「馬鹿・・・大馬鹿野郎!!」


この緊急下、家に閉じこもる事を選んだ彼に対して、周りが出来たことなど何もなかっただろう。しかし、恐山は後悔しつくしてもし切れなかった。森田とは同じ歳で、小さい頃から互いを知っている。名前に似合わない、どこまでも臆病な性格だった彼の最後は、全く彼らしくもない、壮絶なものとなってしまった。


「こんなとこで勇気を出すんじゃない……。」


一人冷たくなった森田の胸ポケットからは、小さなメモ紙が覗いていた。それを取り出すと、そこには震える字で皆への感謝の言葉と、死にそびれた際に備えてか、恐山へのメッセージが残されていた。


『なるべく動かねえから、しっかり殺してくれ』


その一文を認め、改めて森田に目をやると、両太ももがロープで固く結ばれていることに気付いた。それは、律儀で真面目な彼らしい、いじらしい程の配慮だった。



一通り家々を回り、最後に二人は大通りを真っ直ぐ街の方向へと進んだ。森田の家から出ると、恐山の口数は更に少なくなった。大通りの制圧は終わったらしく、あちこちで兵士達が休憩を取っているのが見える。その誰もがジャラリジャラリと鎖の音を立てながら歩く異様な恐山の姿を見て、神妙な面持ちを浮かべていた。


彼らは兵士とはいえど、対留人るじん想定の朝廷直属部隊であり、この平和な世での実践経験は皆無であった。対留人部隊は、新たな送り人を生み出すことが禁忌と化した現代の世で、高齢化しつつある送り人の代わりとなる事を期待されて設立された部隊である。ゆえに、彼らにとっての送り人とは、一般からは考えられぬ程特別な存在であり、目の前を歩く生きる伝説の姿を見る目は、尊敬や、やもすると嫉妬すら混じった複雑なものであった。そんな様々な思いを含む視線を浴びながらも、二人はただ歩き続けた。


目的地に着いたケイは、昨日までの平和な木帰町の光景を、嫌でも思い出さずにはいられなかった。目の前には、窓もドアも滅茶苦茶に破られ、陳列棚も何もかもが横倒しになった木梨商店がある。チャリチャリと割れたガラスを踏みながら、二人は店内へと足を踏み入れた。ギィギィと傾斜のきつい階段を上り、埃臭い2階に出ると、窓際で、彼は二人を待っていた。


「ヴヴ・・ヴァァ」


かすれるような音を出す木梨のじいさん、だったその留人は、仰向けになり、胸から下の原型が無い程に食い荒らされてしまっていた。逆にまだ表情が分かる程に顔が無傷であるがゆえ、そこにはとても見ていられない痛ましさがある。恐山がハリガネを取り出し、彼に近寄ろうとすると、それを後ろから細い手に止められた。


「待って、僕がやる。」


恐山は、全てを察したように頷き、これだけは手伝わせて欲しいと木梨の口に猿ぐつわをはめる。ケイは、異形と化してしまった木梨を前にしても、不思議と悲しみは沸いてこなかった。むしろ、大好きな木梨の爺ちゃんの身体を勝手に操るへの怒りでいっぱいだった。


返せ、僕の大好きだったあの人を返せ。


彼の魂だけでなく、その身体までもは好きにはさせない。


ケイは、首だけを必死に動かすソレの後頭部にハリガネを当て、恐山の指示に従って、グサリと突き刺した。想像以上に固い感触が、ヌルリとした感触に変わると同時に、木梨の身体を操る何かは消え失せた。ケイは、そこでやっと木梨の為に、今日何度目か分からぬ涙を流した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

限界集落・オブ・ザ・デッド【旧版】 ロッキン神経痛 @rockinsink2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ