温もりの鎖に繋がれて
霜月秋旻
温もりの鎖に繋がれて
本当ならすぐにでも、ここから脱け出すべきなのだろう。しかしそれはできない。何故なら私は今、体の自由を奪われている。目には見えない、厄介な鎖に…!
無情にも時間は過ぎ去り、タイムリミットは迫ってきている。早くこの場から脱け出さないと、私は絶望的状況に追い込まれるだろう。
昨夜、私が仕事から帰ってきた時の事だ。私は突然、居間で何者かに襲われた。そのまま気を失ったのか、気がつくと朝になり、別な場所に運びこまれて手足の動きを封じられていることに気づいた。何者かが私をこの場所に運んできたのだろう。それにしても今、この私を動けなくしているものは何なのか?
コチ…コチ…コチ。聞き慣れた音がすると思ったら、これは私の部屋の壁に掛けている時計の音だ。どうやら私は自分の部屋に捕らわれているようだ。早くここから脱出しなくては、手遅れになる。規則正しく動く時計の秒針の音が、私を焦らせる。
仕事に間に合わなくなる…!
なんて恐ろしいものだろうか。私はここ最近、無理をしていたのかもしれない。昨夜帰ってきたとき、私はクタクタに疲れていて、強烈な睡魔に襲われた。そして女房に私の部屋まで運ばれ、布団に寝かされたようだ。
布団の中には湯タンポが入れられていて、ポカポカしている。冬はこれが無いと、夜中にトイレに何度も起きてしまう。
この温かい布団の中。とても脱け出せない。仕事に行かなくてはならない時間なのはわかっている。わかっているのだが、体は言うことを聞いてくれないのだ。温もりという、見えない鎖につながれて…。
不条理なものだ。我々人間は何のために働いている?
収入を得るためなのは勿論のこと、充実な毎日を過ごす為だったり、平和を維持する為でもあるだろう。
しかし私は今、平和を維持できない状況に陥ってしまっている。この寒い時期、私の部屋には暖房がない。故に部屋の中はいつも寒いのだ。温かいのはこの、湯タンポの入った布団の中だけ。布団の中で温まる。これが今の私にとって、これ以上ない平和だ。しかし仕事に行くには、この平和を自ら棄てなければならない。
平和の為に働いているはずが、仕事の為に平和ではなくなる。おかしいだろう?
私は決めた。私は平和を守る。この温かい布団を、仕事から守る。誰が何と言おうと、この布団からは出ない。仕事には行かない。行ってたまるか。
しかしそういう訳にもいかないと思い、私は温かい布団から脱け出した。洗面所で顔を洗い、ネクタイをビシッと締めて家を出た。
今日が日曜で会社が休みである事に気づいたのは、電車に乗りこんでからのことだった。
温もりの鎖に繋がれて 霜月秋旻 @shimotsuki-shusuke
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