ポイントカードを発明したやつはどうかしている。(下)
真っ青な顔をしたおじさんが、僕の部屋にやってきて、巨大な袋を僕に手渡した。
「どうしたんですか?」
「これを持って、遠くに逃げろ」
「はあ?」
「もうおしまいだ。まさかこんなことになるとは。くそ。でもお前だけはな」
「おじさん、ちょっと、どういうこと?」
「古株のやつら、提携しやがったんだ。ポイントカードが完全に廃止された」
「ええ? でもまあ、ううん、ちょっと目立ちすぎましたかね。いいんじゃあないですか、ずいぶん儲けたわけだし」
僕がまだ暢気にそう言うと、おじさんは目をつぶって静かに首を振った。
「俺はな……。俺は、ポイントカードそのものを売りさばいてたんだ」
「え?」
「高いところではな、うちの満額のポイントカードは銀貨3枚にもなっていた。ポイントカードなんて、原価ゼロだからな。ギルドの取り分もないし。だから俺はポイントを満額まで貯めたポイントカードを量産し、こっそりと売りさばいた。もちろん裏のルートで、だがな」
「そ、それは……いやそりゃあ良くないだろうけど、それがどうしたって」
「その額でポイントカードを買ったやつは、『ポイントカードを持っていれば、将来的に得をする』と思ったから買ったわけだろ」
「まあそりゃあそうですよね」
「……それが『廃止』された。どうなると思う? しかも世界中、だぞ」
「どう、なるって」
「確実に暴動だ。だから俺はもうおしまいさ。どこに逃げたって、もう世界中俺のことを知らないやつはいない。ただお前はな。俺に呼び出されただけなわけだし、そんなに顔も割れていないだろう。だから。これは俺の店、いや世界でもかなり希少な品々だ。いざとなればこれをもって、どこかの店で売りさばけば、お前の身元保証くらいはしてもらえるだろう。それから入るだけの金貨と、すぐ使えるよう銀貨もある程度入れてある。金貨は大量に使ったら目立つから、少しずつ処理しろ。早くしろ。昼に掲示が出たらもうおしまいだぞ」
「そ、そんな」
「なあに、心配すんな。暴動って言ったって、なに、命までは獲られないだろうさ。ただな、商品はたぶん持っていかれるだろうし、金も獲られるだろうからな。お前が持っててくれれば安心、ってことだ。ほとぼりが冷めたら戻って来いよ。また、一緒に店をやろう」
そう言っておじさんは無理やり口角を上げた。けれどもその口を覆う髭が逆立って、ぶるぶると震えていた。そんな状態の髭ははじめて見る、となぜだか僕はそう思った。
「おじさん、おじさんも逃げましょう。魔道具で顔を変えて」
「いや、これは俺の責任だからな。逆に言やあ、俺がつるし上げられればそれでこの件は終わりだ。お前に手が伸びることはまず、なくなる」
「そんな。まさか、僕のために」
「何気持ち悪いこと言ってんだ。俺の店の品物と、金の為、に決まってんだろうが。いいか、ちゃあんと預かっといてくれよ。いつか――いつかまた――」
おじさんが何かを言いかけたところで、一回のドアが乱暴に叩かれる音が聞こえた。
「思ったより、早かったな。坊主。お前との時間、楽しかったぜ。結構儲けられたしな。お前が来なかったら、俺はずうっとぱっとしない人生だった。それだけでも――いや、話している時間はないな。その窓から飛べ。これは聖都への『翼』だ。聖都は人も多いから、たぶんなんとか紛れられる」
「おじさん」
どん、どん。どおん。ばん、がん、がががが。
ドアをたたき破ろうとするような音が聞こえる。
「な、聞こえるだろ。悪いが悠長に話している時間はない」
そういうとおじさんは僕を窓に押しやり、そして『翼』を発動させた。
「おじさーーーーーーーーーーん!!!」
僕には叫ぶことしかできなかった。
それから。
僕は聖都でなんとか自分の住処を作り、そしてそぉっと元の街に戻ってみた。
そこは完全なる廃墟だった。僕は言葉を失った。
おじさんが例えば投獄されていれば、なんとか保釈金を積んでおじさんを出してもらおうと思っていた。命までは獲られない、というおじさんの言葉を僕は少し疑っていたけれども、それはあくまでおじさんの店だけのこと、だと思った。
そうじゃあなかった。街が、すべて、完全に、平らに均されていた。
僕は近くの街路をさまよい、なんとか隣町で、あの街から逃げてきた人を見つけて話を聞いた。
「ひでえもんだった。最初は、そう、あいつの店の周りに人が集まってな。あいつがギルドの規則だ、すまないと謝ってたけど、周りのやつらの怒号は物凄かった。それで、誰かが――魔人の角笛を吹いたんだな、あれは。何人かが完全に暴徒になって、あいつの店をぶっ壊した。びびったのはほかの店のやつらさ。多かれ少なかれ、ポイントカードに手を出していた店ばっかりだったから。それで私兵団を呼んだり、そこらの冒険者を急きょ雇ったり、そんなことで自分の身を守ろうとした。たぶんそれが良くなかった。みんなあいつみたいに、身一つで謝って、できるだけの金を払うべきだったんだ。でもほかのやつらは身を守ろうとした。それが――火種になった。
そこかしこで戦闘が始まった。ありとあらゆる魔道具が使われ、混乱は増長した。ギルドが介入しようとしたが、そもそもポイントカードの廃止を決めたのはギルドだ。暴徒の怒りの矛先はギルドにも向いた。完全な戦争状態になって、みな逃げ出そうとしたが、『風鷲の翼』は魔道具屋にしかない。その魔道具屋が渦中にあるわけで、若くて体力のあるやつはなんとか逃げ出せただろうが、子供とか年寄りは。俺も泣いてる子供を見捨ててこの街に逃げてきた。そうしないと俺もおっちんでた。
またその戦火の中、争いがあるとは知らずに、ポイントカード禁止を聞き付けた世界中の人間が「風鷲の翼」で飛んでくるんだ。ひでえもんだった。身を守るもの、逃げ惑うもの、声を荒げるもの――いろんなやつがいろんなことをしたが、結局、大体は死んだ。たぶんそうだと思う。俺が何日かして街に戻ってみると、まだそこらじゅうから火の手が上がってた。あそこにはもう、何も残っちゃあいない」
僕は呆然とした。するしかなかった。
そしてふらふらと自分の住処に帰り、寝床に倒れ伏して、おじさんのことを考えた。
僕が、いけなかったんだろうか?
安易に異世界の知識を伝えたから。それがこの世界を傷つけた。
僕にはそれがたまらなく辛かった。布団を噛んで、ぼろぼろと涙を零した。僕が、何も考えずに、ポイントカードなんて言ったから。おじさんも、あの店のあの娘も、元気だったあの坊やも、今度子供が生まれるって、『幸福の腕輪』を奮発して買っていた若奥さんも、みんな死んだ。
僕のせいで。
僕がポイントカードなんて、伝えたせいで。
僕は泣いた。泣いて泣いて泣き続けた。
どんなに落ち込んでいても腹は減る。僕は袋からいくつかの銀貨を取り出して、近くの食料品店に向かった。
パンと果物を買って、帰ろうとする。と。
「お客さん! ポイントカードはお持ちですか?」
人の好さそうな店主がそう言った。
ポイントカードだって?
「いま、なんて」
「だからその、ポイントカードは」
「ポイントカードは、廃止されたんじゃあなかったのか」
「へ? あ、ああ。なんだかしばらく前にね、それで暴動が起こったところもあるみたいですけど。ま、便利な制度ですからね。ほどほどに、ってことでお目こぼしされてるみたいですよ。作りましょうか。お得ですよ」
「いらない」
「あ、お客さん。知らないんでしょう。このポイントカードってのはね」
「ポイントカードは知ってる。でもいらない」
僕はそう吐き捨てるように言って、逃げるように走った。走って走って走り続けた。
街中に「ポイントカードあり〼」の文字が溢れかえっていた。
僕が持ち込んだポイントカードは、まるでウイルスのように世界を蝕んでいた。
「うわ、ああ、うわああああ」
僕は譫言のように声を漏らしながら、なんとか住処に戻った。どこをどう歩いたかは全く覚えていなかった。
そうして。僕は静かに決意した。
僕が蒔いたポイントカードというこの世界を蝕む病魔。それを僕が根絶しよう、と。
「それが、あンたが世界征服に着手した理由って訳かい、『魔王』さま?」
僕の長い話を聞き終えた青年は、小馬鹿にしたような口調でそう言った。
「ああそうさ、『勇者』クン」
だから僕も、せいぜい余裕があるような口ぶりでそう答えた。
「だからって、なァ。あンた、やりすぎたよ」
「そうかな? 僕はそうは思わない。一度穢れた人間どもは浄化しないと――僕の罪は拭えない」
「すっかりイカれちまってるねえ。ま、良いさ。あンたのお陰で、戦うことしか能のないオレも、名を挙げることができた。あンたを倒せばオレぁ英雄様だ。ハッ、くだらねえことではあるけどな」
「ま、君の役に立てたのなら良かった。そういうことなら、さっさと僕を殺すが良い」
「随分、ヤル気がねェんだな」
「ないさ。僕は別に、この世界を憎んでいる訳ではないからね。もうポイントカードの技法を知るものは根絶やしにしたし、今後誰かがポイントカードを発明してもそれは僕のせいじゃあない。僕はやり遂げたんだ。僕がやるべきだったことをね。今更、君を殺して生き延びようとは思わない」
それを聞くと『勇者』は静かに首をふった。そして、懐から何か金色に輝くものを取り出した。
なんだかとても厭な予感がした。
「――それは、なんだい?」
「これかァ。これはな、ゴールドカードと言って、あらゆる店での商品を五割引で買えるって夢みたいな品物さ。どうやって手に入れたか、聞かせてやるよ」
なんだ。何を、言おうとしている?
なんだか。
なんだか、とても。
「こらァ別に、オレが『勇者』だからって手に入れた訳じゃァ、ないンだぜ」
やめろ。聞きたくない。
その話は、聞いてはいけない気がする。
とても、厭な。とても厭な予感が。
「確かにポイントカードの技法は根絶された。ポイントカードを知ってる店、人からあンたは殺して回ったからな。嫌でもみんな分かったさ。なんだか知らんがポイントカードを作るのはマズい、ってな」
「さっさと、殺せよ。僕は。僕はやり遂げたはずだ」
「イイから聞けよ。ポイントカードを作るのはマズい。ところが人間ってなァ愚かなもンでな。一度手に入れた便利なモノは、それがどんなに危険で有害なモノでも、手放すことが出来ねぇのよ。だから、小賢しいやつが名前を変えた」
そう言って、また別の紙を懐から取り出す。
まるでポイントカードみたいな、薄っぺらで邪悪な紙。
「――それは、なんだ」
「福引券、ってな。結局はポイントカードさ。いや、ポイントカードよりタチが悪いかもしれん。ポイントカードは万人に平等に恩恵を与えるけどな、こいつは皆の富を集約して、誰かひとりに与えるものだ。買い物をする。一定額の買い物によって福引券を貰える。その福引券で、まあ籤を引くわけさ。アタリが出れば――たとえばこいつが手に入る」
そう言って、『勇者』はゴールドカードをひらひらと振った。
きらきらと光るそれが、なぜだかとても醜悪に見えた。
僕は全身の血液が沸騰するのを感じていた。怒りが体中に充満し、燃える血液が脈打つ。
「貴様ら、人間は――なんて、愚かなんだ」
「全くだ。同感さ、『魔王』さま」
「なぜそれを、僕に伝えた。そんな忌まわしいものがこの世に存在することをッ!」
「なぜかって?」
『勇者』は軽薄に笑ってこう言った。
「それはオレが
怒りが極限に達し、こめかみの血管が少し切れたようだ。
今まで脈打っていたそこが、じんわりと熱くなっている。
痛みは不思議と感じない。もう痛みなど、どうでも良かった。
「愚かな、人間どもめ――貴様らが改心するのならば、生かしておいてやったものの。もう貴様らは、種族ごと根絶やしだ。手始めに『勇者』、お前を血祭りにあげる」
「へッ、そうこなくっちゃあな」
『勇者』はゴールドカードを懐にしまい、心底幸せそうな笑顔で剣を握った。
"冥府の神よ、死と眠り、絶望と虚無の支配者よ。出でよ、わが体を贄とし、この世界に絶対の暗黒を齎せ"
『召喚の方陣』『冥府神との契約書』『制約の封緘』『悪鬼の門』、そして『魔人の角笛』。
すべてを使って、僕は僕の体を対価に、この世界の崩壊を願った。
意識を激痛が侵食していく。
僕は僕の臓腑が喰らいつくされるのを感じる。
痛みが僕の意識を薄暗くしていく。このまま僕が死ぬことに、最早悔いはなかった。この世界は一度、浄化されなければいけない。虚無と絶望の暴風によって。
ただ。
薄汚れた人間どもが滅びる姿をこの目で見ることができないことと――あの時、あの別れの前に、おじさんの髭を触れなかったことが、なぜだかとても残念だった。
(終わり)
腹が立ったことをなんでも異世界のせいにすることで世界が平和になりますように。 雅島貢@107kg @GJMMTG
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