死ぬ前にどうしても書いておきたいこと

須崎正太郎

遺書

 ただいまの時刻は午前六時。いよいよ最期の時がやって参りました。

 この期に及んで未練がましいようですが、私にも言いたいことはあります。伝えたいことがあります。どこから書いたら良いものか迷うけれど、とにかく思うままを書くしかありません。


 私の望みは、ごく普通に生きることでした。

 こう書くと、この文章を読んだ方は不思議に思うかもしれません。

 私としても自分の人生がこのような形で終わるとは、夢想だにしていなかった。自分があんな過ちを犯すとは考えもしていなかったことです。嘘だと思うかもしれませんが、本当です。私はごく平凡な幸せを手に入れたかった。


 普通の会社、中小企業で構わない、平々凡々とした地元の会社に就職し、同世代の女性と恋をして、結婚をし、子育てをしたかった。子どもに会いたかった。私は、私の子どもを育てたかった。愛したかった。抱きしめたかった。変な意味ではありません。純粋に、言葉通りの意味です。


 大金持ちになりたかったわけではありません。

 たくさんの女性にもてたいとか思ったわけでもありません。

 私は普通の、ごく小さな幸せを望む人間に過ぎなかった。

 しかし私にはそれができませんでした。


 私はとにかく要領が悪かった。

 学校の勉強はそこそこ出来たけれど、場の空気を読むとか、他人の気持ちを考えるということがとにかく苦手で、私も考えたり反省したりはしたけれど、それが実を結ばず、とにかく人間関係が不器用でありました。


 人に意見を言うのが苦手で、自分を主張するのが不得意で、しかしこのままではいけないと思い、自分の意見を主張します。しかし私が自分の意見を主張するのは、たいてい場のみんなの意見が決まったぞ、という段階なのです。


「そういう意見があるなら、もっと早く言ってくれ」


 と、人は言いました。

 もっともなことです。私はいつも言うタイミングが悪かった。

 だから私は反省した。それでは今度は早めに意見を言う。


 ですが今度は早すぎました。

 まだ皆がまともに意見を出していない段階で主張する。


「お前、ちょっと黙っていろ」


 と、今度はそのように言われてしまいました。


「自分のことばかりペラペラしゃべるやつ」


 とも言われました。

 そんなつもりは一切ないのです。

 まったくの誤解です。


 私は常に自分を抑えていました。

 ですが、そのことがうまく人には伝わらない。

 言いたいことはある。伝えたいこともある。だけども、それがどうしてもうまく他人様に伝えられない。


 私は悲しかった。悔しかった。私に注意をした人ではない。私自身が嫌いでした。自分自身に嫌悪感を抱きました。


 タイミングを見計らって、自己主張をする。

 当たり前のことではありませんか。たったそれだけのことです。ですが、ただそれだけのことが私にはとても困難だった。


 私は反省しました。そこで今度はもうとにかく、むっつりと押し黙ることにしたのです。


 人から意見を求められても、なにも言わない。笑ってうなずく。すべてをハイと答える。異議なしと発言する。

 そうすると、うまくいかないもので、


「イエスマンだ」


 と、それはそれで人々から批判されました。

 とにかく間が悪いのでしょう。私は悲しかった。どうしてこう、自己主張の仕方が下手糞なのか。自分がとことん嫌になり、やがて私のむっつり癖は、反省からではなく、自分自身の性格となっていったのです。


 なにを言っても解ってはもらえまい、なにを言ってもなにも言わなくても、どうせ万事反発を食らうだけなのだ、人から嫌われるだけなのだと思うと、私は自分をどんどん出さなくなっていったのです。


 このような私が社会に出てうまくいくはずもありません。

 やがて私は休職し、最終的には退職しました。

 こうなると世間は冷たいものです。特に親戚のとある男性が私に対してきつかった。

 家に来ると、説教をするでもなく、まるで私を無視するのです。目が合うと睨みつけてくるのです。

 ある時など、彼は、


「いい年をして実家に寄生しているやつがいる」


「隆行はちゃんと就職して働いているのに、あいつはなんだ」


 と、大声で私の父と話しておりました。

 無論、私に聞こえるように言っているのです。ご丁寧に自分の息子の名前まで出して(隆行というのは彼の息子です)。彼としては私にハッパをかけているつもりかもしれませんが、私にとっては逆効果でした。ああ、本当に自分はだめな男だと思いこむようになり、ますます再就職する気が失せていきました。


 私はこの頃、失業手当を貰っており、実家にいくらかのお金を入れておりました。

 また母の体調も思わしくなく、介護と言うと大袈裟になりますが、母の面倒も見なければいけない、そのためにもまだ再就職はできないと思っておりました。──と書くと、いかにも言い訳じみておりますが、私の気持ちはこうです。


 ですから、実家の寄生虫の如き言われようはあんまりだと私は思いました。私にも言い分はある。私にも言いたいことはある。彼に対して言いたかった。


「俺はちゃんとお金を家に入れてるし、おふくろの面倒だって見ている。寄生しているとはいくらなんでも言い過ぎだろう」


 しかし私はそれを彼に言わなかった。

 言えなかったのです。自己主張が不得意な私にそれが言えるはずもなかった。


 だから私はこうなった。どうせこの文章をあの人は見ることになるでしょう。ああ、だから今こそ言ってやる、聞いているかくそじじい! お前が毎週のようにうちに来て、俺を馬鹿にするからこうなった、こうなったんだぞ、知っているんだぞ、お前が会社で閑職に追いやられたことを。仕事ばかりしてきて家族にそっぽを向かれ、隆行が就職するというときにお前に一言の相談もなかったということを俺は知っている。その憂さ晴らしにうちにやってきて、俺を責めていたことを知っているんだぞ! わざわざ息子の名前を出して、自慢と憂さ晴らしを両方やっているんだろうが、その内心はどうだ? 息子に就職の相談さえされなかった父親とは惨めなものだ。お前の会社員人生はなんのためにあったのだ。会社員として何十年も会社に忠誠を尽くし、その結果が妻子に疎まれ、会社に捨てられ、そして親戚の俺が犯罪者とは、傑作だ! 落語にもなりゃしない。ざまあみろ!


 ──以上、私事で恐縮でした。

 私の、親戚への心をこめたメッセージです。


 それにしても私は、生来臆病であったのが、退職と親戚の頻繁な来訪によりいっそう臆病となりました。


 月日は流れ、私も年だけをとりました。

 もう私は、二度と会社員になりたくない、と思うようになっていきました。


 退職をしてから時間が経過し、会社員時代のカンが完全に鈍ったことがひとつ。そしてまたこの頃には(不思議なことに退職直後よりも)会社員時代のトラウマが頻繁に蘇るようになってきていたのです。


 会社員のころ、


「結果を出せ」


 と、耳にタコができるほど言われました。

 それは会社員ですから当然の要求なのですが、しかし結果を出してもなお評価されないのが、社会人にはよくあることです。


 上司や先輩の気分ひとつで、昨日の命令が今日変わる。昨日の指導が今日変わる。昨日の結果が今日は無意味。よくあることです。


 よくあることだけに絶望するのです。このようなことが、社会人である限り、永遠に続くのかと冷静に考えますと、ただただ絶望するのみです。


 ましてその果てが、親戚の如き、家族からの冷酷な対応かと思えば、私はなおさら絶望します。そうですとも、親戚の存在そのものが、私の絶望だったのです。


 会社員として何十年と頑張りながら、息子の尊敬と信頼を得られなかった親戚や、気分屋の先輩や上司(今思い出すだけでも身の毛がよだつ、あの連中のにやけ顔! どうして他人を馬鹿にするやつというのは、揃いも揃ってあのにやけ顔を見せるのか)。彼らが私の未来かと思うと、ただただ絶望あるのみ、将来に希望など望むべくもない。


 ああ、それにしても……今ここまで書いたらまた思ったけれど、どうしてこう、昔というのは忘れられないのでしょう。どうして私は、もう何年も前の、会社員時代に出会った嫌な上司や先輩を忘れられないのでしょう。


 さらに思えば私は、学生時代にからかわれたことさえ未だに憶えております。自己主張の失敗で批判されたことさえ未だに記憶しております。トラウマです。はっきり言って恨んでおります。


 何故でしょう。うんざりです。自分で自分の脳みそを殴りたくなります。もう今さらどうしようもないことです。


 何年も何十年も前の恨みや怒り、失敗談など、もうどうしようもないのだから、忘れてしまえばいいのに、こらえてしまえばいいのに、私にはそれができなかった。それができない。どうしてもできない。


 嫌なことです。私の脳みそは決して出来が良いほうではなく、学校の成績はごく平凡なものであったことは既に書きましたが、こういった過去の嫌な出来事だけはきっちりと憶えているのです。ああ、この記憶力。もう少し正しいことに使えていたら良かったのに。


 こういう時に、たまには昔の良い思い出、両親や友達との優しい記憶が蘇ることも、ないわけではないけれど、嫌な思い出に比べるとその回数はずっと少ない。回数が逆であったなら本当に良かったのに。


 誰か教えてください。

 人間とは誰しもこうなのでしょうか。嫌な記憶、不快な思い出をずっと引きずって生きているのでしょうか。

 それともこれは私だけで、他の人たちはそうでもないのでしょうか。


 あなたの場合はどうですか?

 過去を忘れることができていますか?

 過去の嫌な思い出はありませんか?


 なかったらいいのですが、誰でもひとつくらいはあるでしょう。


 考えてください。

 思い出してください。

 あなたが本当に嫌だったことを。


 本当に消えて欲しいと憎んだ人間のことを。

 そしてその人間が、どんな顔であなたを馬鹿にしていたかを。

 あなたの人生にとって目障りでしかなかった人間のことを。


 思い出せていますか?

 忘れてはいませんか?

 忘れているなら、それはそれでいいのです。幸せなことです。そのままで、どうか忘れたままでいてください。


 ですが、どうやったら忘れられるのでしょうか。気が付いたら忘れられるのですか。人間はそんなに便利な脳みそをもっているのでしょうか。

 そうなると私の脳みそはやはり欠陥品だったということになりますが……。


 私にはできない。

 私は、私を侮辱した数多くの人間の罵り顔を忘れられない。

 お前たちがそれほど偉いのか。頭をかち割ってやりたい、家に火を点けに行ってやりたい、思うさまいたぶってやりたいという深い深い感情がある。


 だが私はそれができない。怒る勇気がない。

 私はこれほど恨みの一念をもっておきながら、復讐をしない。

 それは思いやりとか優しさとかそういうものではなく、もっと情けないなにかではないだろうか。そう思います。


 ああ、忘れたい。

 昔の、今さらどうにもならない恨みを、怒りを、忘れたい。


 誰か教えてください。恨みを忘れる方法、こらえる方法を。

 そのやり方をどうか教えてください。私の墓前に報告してください。

 ああ、でもそうか、私は考えてみれば家族の墓に入られるかどうかも解りませんね。あれだけのことをしでかした人間が、人並みに家族の墓に入られることができるでしょうか。


 特にあの親戚が許さないでしょう。彼は意地悪ですからね。

 しかし意地が良い人間でも、普通の人であれば、私と同じ墓に入ることを拒否するでしょう。それだけのことを私はしでかした。




 既にご承知のことでしょうが、二ヶ月ほど前に起きた渡辺春香の事件、あれは私の仕業です。

 なぜ私があんな罪を犯してしまったのかその動機について、これより順を追って書いていきます。

 三ヶ月前、私は親戚や世間への怒りを常に胸に抱き、鬱屈した毎日を送っていました。


 その頃、親戚の女の子が、私の家に泊まりに来ました。この近くの高校を受験するために、遠くから来た中学三年生でした。

 その子と会うのは数年ぶりでした。子どもと言っても、既に十五歳。ときどき見せる表情や仕草やその肉体は、すっかり大人になったように見えました。


 私は暇でした。そして暇な人間はいろいろとつまらぬことを考えるものです。

 この十五歳の少女はどんな大人になりたいのか、恋人はいるのだろうか、なぜ地元から遠く離れたこの街の高校を受験するのだろうか。いろいろ考えました。

 そんな私の考えの中でも、特に膨らんでいった考えは、いま、彼女に恋人はいるのかという点、また恋愛とか性について、どこまで進んでいるのかという点でした。


 先ほども書いたように、私の生活はこのとき既に、食欲と性欲を満たすだけの生活となっておりました。

 そしてこの場合は後者にあたるでしょう。私はこの中学生の女の子が気になって仕方がなかった。


 とは言え、私は自己主張が下手な性格ですし、それに若い女性と話すことなどほとんどない生活でしたから、いかに彼女に興味をもとうと、質問したりすることはなかったのです。事実、私が彼女と会話をしたのは、彼女が家にやって来たその日、あいさつをしたときだけです。それ以降は一言も会話をしておりません。


 会話はしておりませんが、私は彼女をずっと見ていた。と言っても彼女がうちにいたのはほんの三日間だったので、そんなに長く見ていたわけではありませんが、とにかく出来る限り観察していました。


 食事をしているとき、顔を洗っているとき、歯を磨いているとき、参考書を開いているとき、誰かと携帯で電話をしているとき。ずっとずっと観ていました。

 特に彼女がお風呂から上がったあと、私はひどく興奮しておりました。


 少女の残り湯を、嗅ぎ、浴び、飲みました。自分の中の冷静な部分は、割と客観的に、自分が変質者だと判断しておりました。しかし判断しただけです。


 私は若い異性が好きです。

 笑わば笑え。気持ち悪いと思わば思え。世間のつまはじき者となった私には、もうこれくらいしか楽しみがなかった。


 少女は受験を終わらせると、地元へ帰っていきました。ついでながら、この子は高校に合格したようです。後になって母から聞きました。今は寮生活を送っているとのことです。


 もはや彼女と話をすることはないでしょうが、今後は頑張って幸せになってほしいものです。これは本心です。


 さて、話を進めます。

 親戚の少女と三日間過ごしたからでしょうか。私は街を歩いていても、制服姿の少女にふと目が行くことが多くなりました。


 あの少女はどんな生活を送っているのだろう、どんな夢をもっているのだろう、どんな恋をしているのだろう、いろんなことが気になるようになりました。

 そこには若さへの嫉妬と、おのれ自身の性欲があるわけで、極めて複雑な劣情が私の中に生まれていたわけです。

 あの少女もやがては誰かと恋をして、性を経験して、大人になっていく。


 そこには若さがある。麗しい青春がある。私が決して得ることができなかった、若者同士だけが得られる快感と歓びがある。

 しかし私はそれが得られなかった。これからも永遠に得られない。私はもうこれから先、街を歩いている美しい少女と、健やかな恋愛やセックスを経験することは、これはもう一生できない。そう思うと、ただただ絶望するのみです。


 もはや私には、未来がない。青春がない。二度と青春を送れない。

 私が何度も夢想した、あの親戚の少女の裸体を絶対に味わうことができない。なぜ、どうしてこうも自分の人生が思うようにいかないものかと思うと、ただただ涙。悔しいばかりです。


 顔が悪かった。能力が低かった。性格が暗かった。空気を読むのが下手だった。やがて希望も失った。


 自分で自分の欠点はよく解っています。だめな男だと思うばかりですが、それにしても悲しい。


 自分なりにその都度その都度、精一杯やったこともあったし、前向きに頑張ろうと思ったこともあったはずなのに、気が付けばこの体たらくである。二度と戻らない青春、期待できない恋愛、望めない出世と成功、いったい自分の人生はどこでこのように舵取りを誤ってしまったのか。悪いのは自分だと解っていても、疑念は尽きない。親戚の男を始めとする、かつての嫌な、私と敵対した者たちへの怒りと恨みの感情がまた脳を支配する。


 悲憤の念を抱きながら、私は毎日、街を徘徊しました。それで年頃の美少女を見つけては、彼女らの未来に嫉妬し、衣服の下の若い肉体を思い浮かべる。そんなくだらぬ日々を送っておりました。


 それにしても、このように文章にすると、なるほど自分は犯すべくして罪を犯したのだと気付かされます。




 渡辺春香と出会ったのは四月十六日の夕方だったと思います。

 街のスーパーで、彼女は買い物をしておりました。文房具コーナーだったと思います。ノートだかシャープペンシルだかを物色しておりました。


 彼女の制服を見て、私は、ああA女学院の子かと思いました。この学区では有名なお嬢様学校です。

 それにしても可愛い子でした。私は彼女の背後に忍び寄り、よく彼女を観察しました。

 お嬢様学校の生徒らしく、まじめそうな顔でした。私はいつものように妄想しました。


(ああ、こんな子と恋愛ができたら、どれほど楽しいだろう)


 私は彼女と手をつなぎ、キスをして、笑い合い、抱き合いました。

 もちろん妄想です。そんなことが実際にできるはずありません。

 そんな妄想に浸っていたので、私は、彼女が急に振り返ったことに気付きませんでした。このとき私と彼女の距離は五十センチもなかったと思います。ですから、彼女が急に振り返って、一歩を踏み出したところ、私と思い切りぶつかってしまったのです。


 そのときの彼女の目、声。態度。

 今でもよく、実によく憶えています。


「おじさん、邪魔!」


 吐き捨てるように彼女は言ったのです。

 私にも悪いところはあった。学生の女の子のすぐ背後に近づいて、妄想に浸るなど、確かに変質者である。だからと言って、ここまで悪し様に罵られるとは思いもしなかったことでした。

 お嬢様学校の女子生徒が、それはもう可憐な美少女が、吐き捨てるように、邪魔だと私を罵った。


 邪魔だと。

 それもおじさんと言ってきた。おじさんと。


 私の心は煮えくり返りました。ひとつは美少女が自分の想像していたそれとまったく異なる言葉遣いをしたことによる失望、そしておじさんと呼ばれたことへの怒り。私は怒った。悲しんだ。泣いた。いくつも年下の少女から、お前はもはや違う世界の人間だと宣告されたように思いました。おじさん呼ばわりされたことがそれほど私にとっては衝撃だったのです。


 それと、これは今になって冷静に思い返してみれば私の空耳であったかもしれないが、彼女は私を罵った直後、舌打ちをしたのです。


 これが、私の怒りの炎に油を注いだ。

 この小娘、よくもここまで俺を馬鹿にしてくれた。世間からつまはじきにされた自分だが、こんな子どもにまで邪魔者扱いされるとは思いもしなかった。


 少女の罵りの言葉、舌打ち。そしてあの顔。彼女の顔は、成功者が敗残者を罵るときのあの顔でした。私がもっとも嫌いなあの顔。あのにやけ顔! 少女は別ににやけてはいなかった。しかし解る、私には解りました。少女が私を邪魔者呼ばわりしたときのその顔つきは、私をこれまで馬鹿にしてきた人間達の、あの顔つきと同じ種類のものだ!


 こいつは俺を馬鹿にしている!

 そう思ったとき、私の中の何かが切れたのです。

 今まで同級生や、上司や先輩や、親戚に馬鹿にされてきたけれど、さらにこんな子どもまでが自分を馬鹿にするのか。


 許せない、なぜ、俺がいったいなぜ、こうまで他人から侮辱される人生を歩まねばならぬのかと、怒り狂いました。

 それまで溜まっていたものが一気に噴出してきました。


 この女を、私を馬鹿にしたこの小娘をぶっ殺して、この私がどれほどに恐ろしい人間か世間に思い知らせてやる、そう思いました。


 私は殺害を決意した。


 少女の後をつけ、彼女がスーパーから出たあともずっと尾行し、やがて人気のないところまで来ると、そのまま後ろから近づいて首を絞め、殺害しました。


 殺害は驚くほど冷静でした。かっとなって殺した、という話をよく耳にしますが、確かに私はかっとなったけれど、殺す瞬間は極めて冷静にことを済ませたのでありました。


 しかし今になってみれば、彼女は確かに私を侮辱したには違いないけれど、それは所詮一瞬のものに過ぎないから、どうせ殺すなら私をこれまで馬鹿にした人間の誰かを殺したほうが良かったかもしれん。


 特にあの親戚の男などは、殺してしまえばそれは愉快だっただろうし、今の私のようにかすかな後悔さえも覚えなかったでしょう。


 すまぬという気持ちをまったく感じないわけではない。いや殺したということに関してはあまり後悔はしていないけれど、それでも私は人間でありますから、心がまったく百パーセント、染まりきるということはなかなかできません。そりゃ少しは悔やみます。しかしそれ以上に、私にはやり遂げたという気持ちが強い。


 私は、この私は、もう悲しいくらいに昔から馬鹿にされてきた。そして私を馬鹿にする人間は例外なく、あのにやけ顔をする。口元をわずかに歪めたあの顔を。


 人間が、この人間は自分より下だと判断したときのあの顔。

 醜悪極まりない。


 私が殺した渡辺春香もこの顔の持ち主であったから殺されたのです。私は一生をかけて何事も達成できなかった人間だけれども、この顔つきの者を一人殺せたことは良かった、達成できたと思うわけです。


 激情に任せてあっさりと殺したことは反省すべき点であるけども、やはり私はこれで良かったのです。


 私は彼女を殺したあと、周囲に人影がないことを確認すると、そのまま公衆便所に入って排泄し、手を洗いました。なぜそういう行動をしたのか今となってはちょっとよく解りませんが、自分の中の汚い何かを洗い流し、かつ捨て去りたかったのだと思います。


 自宅に帰るとまた、あの親戚が来ていました。

 相変わらず私の悪口を聞こえよがしに叫んでおりましたが、私の頭にはまるで残らなかった。


 こんな男はいつでも殺せる。

 渡辺春香のように、すぐさま殺害できる。

 そう思うと驚くほど怒りが湧かなくなり、優越感さえ感じるようになりました。


 渡辺春香の事件は翌日の新聞やテレビで報道されました。私が渡辺春香の名前を知っているのはこの報道からです。渡辺の両親は夜になっても戻らない彼女を心配して、警察に通報し、捜索開始。彼女はその日の夜に遺体で発見された、と報道にはありました。


 彼女の両親に同情する気は起きませんでした。あんな、年上の人を馬鹿にするような女を育てた人間二人ですから、どうせくだらぬ人間でしょう。しかし渡辺春香を育てるのに時間と金は存分にかかったでしょうから、それをこの世から損失させたというのは少し申し訳なく思う。


 この文章は彼女の両親も読むだろうけれど、ご両親さんへ伝えておきます。私が彼女を殺害した理由とその後の気持ちについては以上の通りです。私の部屋のベッドの下には貯金箱が有り、これは買い物の度に発生した小銭を貯めたもので二万円くらいは恐らくあると思うので、もし良かったら私の両親からそれを貰ってください。


 それにしても私は、後悔はしていないけれど、だけどこれ以上生きても仕方無いとつくづく感じ入るのです。

 思えばつまらん人生を送ってきたものです。それが更に、あんな突然の事件で人間一人を殺めてしまった。


 渡辺春香が私を侮辱したように、これからも私は他人に侮辱されるでしょう。その度に発生する怒りと恨みを己の中に押し込めたまま生きることはできそうもないし、また俗っぽいようでありますが、もしかしたら私は刑務所に入ることになるかもしれん。それはとても耐えられそうにないので、私は死を選びます。だって、もはや死ぬしかないではないですか。


 怒り、恨み、無念、諦め。

 色々とあるけれど私のこれまでの人生で感じてきた感情と、この度の事件の顛末を記して、私はこれより世を去ります。さようなら。




 最後になりましたが、この遺書は決して決してマスコミその他、世間の人々に公表なさらぬように。

 もしかしたら私に感情移入したりして、同じような人間が世の中に出てくるかもしれん。


 ですが私はなんと言っても犯罪者です。制服の少女に欲情した挙句、逆上して殺した犯罪者です。私は平凡人でありたかったが、私は結局平凡な人間でなかった。おかしい人だ。


 もしも、私に少しでも同情する人間がいたら注意してください。

 私の気持ちも少しはわかるよという人がいたら、その人は異常者です。

 犯罪者と同じ考えをした人間なのです。どうか注意してください。


 それでは皆さん、さようなら。


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死ぬ前にどうしても書いておきたいこと 須崎正太郎 @suzaki_shotaro

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