第7 しんのちから その2


 その凄惨な光景を前に、燃え盛る火炎のようだった怒りは、すっかりと消沈してしまっていた。晃輝をのぼせ上がらせていた、有頂天の熱と一緒に。

 女子の悲鳴。粉々に破砕され、血みどろになったガラス。そして傷の痛みに泣き喚くクラスメート達…。教室は、まさに阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 晃輝は、その中で、肩で息をしながら呆然と立ち尽くしていた。



 出入り口で、ちょうど教室に入ろうとしていた連中と、晃輝は軽く接触してしまった―――。

「おい、謝れよ」

 という声が背後で聞こえたが、晃輝は無視した。ぶつかってきたのはあっちだ。何人もぞろぞろと揃って入ってくるほうが悪い。それに、有象無象どもに謝る必要などない。

「いい加減にしろよ」

 それを合図にしたかのように、晃輝は肩をつかまれ、その後、取り巻きを含めた四人に包囲された。

 ―――今から思えば、因果応報というヤツだったのだろう。きっかけは些細なものだったが、彼らの堪忍袋に溜まりにたまったものを爆発させるのには十分だった。

 リーダー格は、クラスで一番の体格の持ち主だった。対して小柄だった晃輝は襟を捕まれ、そのまま軽々と、両手で喉輪をされたあとに、壁に頭から叩きつけられた。「こいつ、このままコロそうぜ」「いいねー」「ムカつくもんな」「何様だってんだよ」「何もできねーカスのくせに」「いつもの上から目線はどうしたんだよ!」。

 喉輪で動きを封じられ、そこに、膝蹴り、腹の殴打、ツバを吐きかけるなど、ありとあらゆる暴行が飛ぶ。クラスメートたちはその光景を遠巻きに見ながら、しかし誰も止めようとはしなかった。それどころか、いい気味だとほくそ笑んでいる者さえあった

 どうして、どうしてこんなことに。もちろん、普段からの行いが招いたことだとは、塵ほども思っていなかった。

 そこには『選ばれた特別な人間』であるはずの晃輝は存在せず、ただ為すすべなく、日頃の行いの報いを、惨めに受ける少年が一人居るだけだった。

 突然の凶行に、はじめ晃輝は何が起こったか、にわかには判断できず、満足な抵抗もできなかった。暴力に訴えられるという経験など、今の今までに一度もなかったから、その身に降りかかってくるとは、露ほども思っていなかったからだ。心の拠り所である『ちから』は発動させる暇もない。ただ「やめて」「やめて」と情けなく声を震わせながら泣きじゃくるだけだった。 だが、痛みが鮮明になっていくにつれ、その理不尽さと、屈辱に、とめどない怒りが噴出してきた。おれを、こんな目に合わせるなんて。許せない。そうだ。今こそ、こいつらに見せ付けるときではないのか? 自身の力を…!



 おれの『しんのちから』 今こそ出て来い


  

 こいつらにみせてやるんだ… 後悔させてやるんだ… 絶対に… 絶対に… 



 そうこうしているうちに、リーダー格の少年が放った鉄拳が、顔面に容赦なく突き刺さった。

 晃輝は床にどうと倒れ、激しく咳き込んだ。激痛にまじり、口の中で広がる鉄のような味と、異物。咳と一緒に吐き出た白く赤いそれは、他でもない、血糊に塗れた自身の前歯だった。

 その瞬間、晃輝の頭の中で、全ての思考が吹き飛んだ。それはまさに、何もかもを塗りつぶすほど白い、閃光のような、そして燃え盛る火炎のような憤怒だった―――。


 


「…そこからは、実はあんまり記憶にないんだ。実際に何が起こったか、これは事情聴取のときに警察から聞かされたことでしかないが…多分、真実だと思う」

 一会は、いつもの眠そうな瞳を全く見せずに、晃輝の話を水も漏らすまいといわんばかりに、真剣な眼差しで聞いていた。

「見ていたヤツが言うには…。俺が絶叫を上げたと同時に、リーダー格のヤツが、どうしたわけかすごい勢いで後方に吹っ飛んで、頭から床に直撃。…脳挫傷で、意識不明。一時…生死の境をさ迷ったらしい」

 晃輝は震えていた。懺悔でもしているような気持ちになってきた。

 暇つぶしにと思ってはじめた問わず語りだった。ほんの軽い気持ちではじめたはずだった。

 だが、自身の過去を言葉に出して語るのはこれが初めてだった。告白していくにつれ、当時味わった恐怖と悔恨とが鮮烈に蘇り、胸を締め付けていくようだった。だが、今更告白をやめる気も起きなかった。全部吐き出さないと収まりが付かない。そう直感していた。

「いきなりのことに驚いて、残りの連中がうろたえている。その隙に俺は二人を突き飛ばすべく、体を押した―――。と思ったら、突き飛ばすどころか、まるで投げ飛ばされたかのように、連中の体が宙に吹っ飛び、ガラス窓を突き破って外に放り出された…。割れたガラスで二人とも血まみれ。輸血と、体の至る所を何針も縫う重症…」

 ガラスで血まみれになって泣き喚くそいつらの姿は、今でも時々思い出す。忘れようと思っても、血を見るたびにまるでフラッシュバックのように蘇るのだ。

「残りの一人が逃げようと走り出そうとした。俺はそいつの左腕を掴んで…そしたらまるで、シャープペンの芯が折れるみたいに…。その時の感触だけはかろうじて覚えている。すげえ嫌な感触で…その…」

「顔!」

 一会は叫ぶように言うと、無理矢理話を遮った。晃輝は悪夢から醒めたように、その口をつぐんだ。

「顔色が悪いよ」

「すまない…いざ話してみると、まさかこんなにキツイもんだとは」

「この話、やっぱりやめにしよう。最後まで話せって言ったの、水に流すから」

「いや、いい。最後まで語らせてくれ」

「このまま体調不良で早退ってなったら、あたしが悪いみたいじゃない」

「大丈夫だ。―――あと一会、俺、ちょっと嘘をついた。情けない話だが、こんなことを話すのも結局、俺が、誰かに聞いて欲しいだけみたいなんだ。なんつーか、告解みたいな物だと思って聞いてくれ」

「…わかった。こっかい、って何のことかかわからないけど」

 晃輝は大きく深呼吸した。




 子供同士のケンカの範疇を逸脱した大事件に、クラス中、いや、学校中が騒然とした。

 校舎の出入り口前には、パトランプをぎらぎらに光らせたパトカーとけたたましいサイレンをあげつづける救急車。そして大量の野次馬の生徒達と、それを教室に押し戻そうとする教員達でごった返した。

 警察のせめてもの配慮だったのだろう、晃輝は人目につかない非常口を通って、パトカーに、そして警察署に連行された。そこには、顔色を真っ青にした、両親の姿もあった。

 保護者同伴の元、言うところの事情聴取が始まった。

 調書と晃輝の姿を何度も目にしながら、中年の警官は、ひたすらうなり続けていた。

 それもそのはずで、今回の事件と被害は、到底、小柄な少年一人が起こせるようなものではなかった。その上で、目撃情報もまさに荒唐無稽。やれ、ひとりでに人間が吹っ飛んだ、だの。しかも目撃した生徒が揃いも揃って同じ内容を証言しているのだ。

 質問の内容は「ほんとうに、きみ一人でやったことなのか」の一点に最終的に絞られた。本当はクラスの大人数で行われた犯行を、証言の口裏を合わすことで、晃輝一人になすりつけようとしているのではないか…ということだ。それが一番合点の行く真相だからだ。

 晃輝は小刻みに震えながら、最初は黙秘していた。自分がやったことだと、認めたくなかったからではない。怖かったからだ。恐怖が、口を塞いでしまっていた。



 あいつらを、すこし、痛い目に合わせて、解らせることができれば、それでよかったのに。それが、あんな馬鹿みたいなことになるなんて。

 この力は、一体何なのだろう。自分は一体何者なのだろう。

 怖い。

 怖い―――。



 自身が特別な人間であると言う矜持など、とうに消えうせていた。何もかもが―――ただひたすら、怖かった。

 クラスぐるみの犯行ではないと言うことは、被害者達の証言で後ほど明らかになったようだが、一時的にではあるが、クラスメート全員が疑われ、状況の聴取―――と言う名の取調べまでうけたのだ。これが噂にならないわけがない。

 晃輝のクラスメート達を待っていたのは、謂れなき受難だった。「あのクラスはいじめが横行する、陰湿なところ」という根も葉もない噂が、全校生徒に知れ渡ってしまったのだ。その後の彼らの学校生活に与えた影響―――という名の被害はいかほどの物だったのだろう。

 その後、晃輝たち新宮一家は一時帰宅を許された。だが、門の前で待ち構えていたのは、怒りにその顔をゆがめた、被害者の家族連中だった。

「仕方ないとはいえ……ひでぇもんだったよ。親父と母さんは土下座を強要されるし、まだ年端も行かないようなガキの俺に、よくもまあっていうくらいの暴言と…あと、その、リーダー格のヤツのひい爺さんって人がさ、俺の襟首を掴んで、グーで目いっぱい殴り倒してきやがった」

 そしてある言葉を―――ツバと一緒にはき捨てた。

「『曾孫にもしものことが合ったら、お前ら全員殺してやる。この―――』」




 ミヤツキモノどもが―――!


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ミシロの縛 天流貞明 @04110510

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