第6話 「しんのちから」



「要は―――ケンカさ」

「ケンカ?」

「そう。ケンカをやらかしちまったの」

「晃ちゃんが? そういうのに、絶対に関わりあいにならないような顔してるのに」

「―――ま、そう思うよな。さて、どこから話したものか」

 一会が信じられないのも無理は無い。

 そしてあれは、生涯最初で、恐らく最後になるだろう。そんなケンカだった。

「今から話すのは、誰にも話したことのない、俺の秘密だ。それを一会、お前にだけ話す」

「どうしてあたしに? 男の秘密なんてのに、どれだけの価値があるかはわからないけど」

 言うね。と晃輝は苦々しく笑った。

「それくらいのことを話さないと、面白くないんじゃないかなって思ってな。それに―――」

「それに?」

 誰かに話してみたかった。聞いて欲しかった。―――などとは、一会(こいつ)には吐露したくなかった。男の見栄だ。

「―――言いふらす相手も居ないだろうし」

「…ふうん。じゃあ、いいよ。話してみてよ」





 他人に自慢できるものが何も無かった晃輝にとって、その『力』は誇りだった。誰もが知らない自分だけの力―――『しんのちから』だった。『それ』を使えることを知ったのは、今の一会と同じくらいの年の頃―――。


 その年の冬、晃輝は巷で蔓延していた流行風邪に倒れ、39度近い高熱にうなされながら、朦朧とする意識の中で喘いでいた。

 大汗をかき、焼けるような喉の渇きと痛みで咳込みつづけ、布団の中でひたすら思い浮かぶのは、机の上の、スポーツドリンクの入ったペットボトルだった。だが、喉から手が出るほど欲しいと思っていても、晃輝の体は、発熱による倦怠感のせいで、まったく動こうとはしなかった。

 喉が渇いた…。欲しい、あれが、欲しい、欲しい…でも、体が動かない…ここまで来てくれればいいのに…。ここまで来てくれれば…。

 歯噛みしながら、かなうはずも無い願望を、ボトルに向かってひたすらぶつけても、何も起こりは―――と、そのとき、奇妙なことが起こった。



 コトトト…


 

 風が吹いたわけでもない。地震が起こったわけでもない。それなのに、机の上のペットボトルが、小刻みに震動したかと思うと、パタンと倒れた。

 静寂の中のいきなりの物音に驚いて、晃輝は思わずその方向に顔を見遣った。倒れたペットボトルは、その勢いのままころころと転がり、カーペットの上に落ちたあと、動かなくなった。

 …あと数メートル、こちら側に転がってくれれば、辛うじてベッド越しでも手が届く。そんな距離だ。だが、全くもって動く気配はない。

 


(ここまで、来てくれ…!)



 晃輝は、一切の雑念を捨て、心の中で懇願した。それが起こると言う確信は、おぼろげではあるが、あった。

 すると―――まるで見えない力に押されたかのように、ピクリとも動かなかったペットボトルが、晃輝が臥すベッドに向かって、再びゆっくりと転がり始めた。そして数秒後、晃輝の手が届く位置まで来て、止まった。

 信じられない光景だった。何も知らない第三者が見れば、心霊現象そのものだ。何せ、ペットボトルがひとりでに倒れ、動きを止めたあと、さらにひとりでに自身に向かって転がってきたのだ。 



(これは、おれが起こしたことなのか…?)



 その確証を得るため、晃輝は病気が治癒すると、すぐさま「実験」を開始した。病床で夢うつつの状態だったので、晃輝自身、実は夢だったのではと、半信半疑だったからだ。

 まずは同一の現象を再現できるかの実験を行った。台の上に立たせたペットボトルに向かって、こちらの方向に転がって来いとひたすら念じまくった。

 あの時と同じように雑念を捨て、ひたすら来い、来いと心の中で命令した。

 結果は―――失敗成功半々、といったところだった。ペットボトルは、一応倒れはしたが、こちらに向かってくることは無かった。

 だが、確証は持てた。

 これは、漫画やゲームなんかに出てくる、選ばれし者にしか扱えない『能力』なのだ。自分の家が、一体何の家系で、一体何の血を継ぐのかは知らないが―――。

 そして、いまは貧弱だが、この『能力』は必ず成長する。成長して、意のままに、もっと強大なものになる。漫画・ゲームの世界から見れば、地味で、ショボい力かもしれない。だが、念じただけで物を動かすことが出来る人間が、この現実世界にどれだけいるというのか? 

 その日から晃輝は、『能力』の開発に勤しんだ。木の枝の付け根が折れるように念じる実験、立てた鉛筆を一本ずつ念力で倒す実験などなど、果ては、女子のミニスカートを捲れ上がらせる実験なども行った。

 結果は、満足に行くものから、全くの失敗だったものまで様々だったが、その幾度かの成功例で、幼い晃輝の精神を有頂天にさせるのには十分だった。

 そしてそれからの晃輝は―――一言で言うなら、調子に乗っていた。選ばれた人間である自分と、その他大勢の有象無象たち―――そんな意識が心を支配し、何かにつけて見下したような、鼻持ちのならない態度をとりまくった。



(おれは、お前らとは違う。とくべつな人間なんだ)

(おれを馬鹿にする奴らは、まだおれの、『しんのちから』をしらないんだ)



 それはまるで、自分の遠い祖先が王侯貴族だ…などとというホラを聞かされた庶民が、街道を王様面でふんぞり返り、のし歩くような―――いまから思えば、なんとも滑稽な姿だっただろう。

 気づけば、それまで普通に付き合っていた友人たちは、次第に回りから姿を消していった。直言してくれる者も居たが、有頂天の熱の覚めやらぬ晃輝には、まさに馬の耳に念仏状態で、届かない。気がつけば周囲は、あからさまに耳に届くような陰口で満ち満ちていた。

 だが晃輝は有象無象共が何かを言っているだけ、と意に介さなかった。




「悪い。自分で言っててすごく恥ずかしくなってきた。途中省略していいか?」

「どうぞ。こっちも聞いてて肌がむずがゆくなってきた。これ、あれだよね。中二病ってやつだよね。本当にいるんだねぇ、そういう男の子って」

 一会は心底うんざりした表情で答えた。

「まあ、昔の俺は、そういうお馬鹿さんだったわけさ…。さあ、こんな男子がクラスに居たとします。一会さん、あなたならどう思います?」

「少なくとも、視界に入る場所には存在しないで欲しいです」

 晃輝は上の空で、ははは、と乾いた笑いをわざとらしく見せた。しかし一会の目と表情は、いつの間にか至極真剣なものへとかわっていった。

「まあ、さておき。そんな鼻持ちならないやつがクラスにいるわけだ。当然、10歳程度の子供同士なわけだから、ガン無視、相手にしないなんていう大人な対応ができるはずもない。暴力に訴えてくる奴も当然いた…」

「…それでケンカになって、何かをやらかしたってわけね」

「なんだ。この『力』の存在は疑問に思わないのか? どう考えても非科学的」

「話して。そこで何が起こったの? ちゃんと最後まで話して」

 一会は命令するかのように、赤銅色の鋭い眼光を晃輝に突きつけた。これが本当に、8歳の少女が成せる眼力なのか―――? 晃輝は、なかば気圧されたように「あ、ああ」と吃りながら応えた。

「後頭部強打で意識不明一人、左腕骨折一人、腕と背中、胸を何針も縫う重症が二人。かたや一方は、顔面強打で鼻血、乳歯の前歯一本―――」

 晃輝は、あたかも、目の前にある惨状から目を逸らすように、その目を瞑った。

「その時のケンカの顛末だ」




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