第5話 対等に




「ほら、お茶」

 晃輝は無造作に、一会の目の前にコップを置いた。「晃ちゃん、喉渇いた」のリクエストに答えたものだった。

 一会は文句は言わず、代わりに、眠たげな瞳で不満げに一瞥くれると、それを手に取り、こくこくと飲みはじめた。

 午前の授業が終了し、昼休みになると、晃輝は弁当を持って真っ先に郷土研究会の部室へと足を運んでいた。

 郷土研究会の部室は、各部活動・サークルの部室が一同に集う『部活動棟』には無く、校舎内にあり、使われていなかった小教室を改装してつくられたせいか、やたらと広い。

 というより、幽霊部員が跋扈するような部活が使うには、いささか大きすぎるくらいだ。これに加えて、錠前で硬く封印された、何らかの準備室・資料室と思しき部屋も存在し、全部あわせると授業用教室まるまる一つ分の面積がある。

 周囲には、漫画や小説が満載された本棚が並び、三種類もの据え置きゲーム機が収納されたテレビ台。薄型テレビが二台。パソコン一台。冷蔵庫一台。木目の収納器具には、ティーセットと、買い置きのコーヒーの瓶、コーヒーメーカー、紅茶のティーパックが収納されており、他にも菓子等が引き出しの中に詰め込まれている。他にも雀卓、将棋盤、オセロ、トランプなどの暇つぶしのための遊具は数え切れない。極めつけは、吊りカーテンで仕切られた仮眠所まであるという有様だ。

 初見では、一体、何の部活なのか、そもそも、これは部室なのか、誰もが首を盛大に傾げるだろう。実際、晃輝がそうだった。

 一体誰が備え付けていったのかはさておき、図らずしも、子供一人を密室に置いておくのには最適な空間となっている。


「意外に律儀だね、晃ちゃん」

「あー?」

 突然一会から会話を投げかけられた。晃輝は白飯を頬張りながら返答をした。

「休み時間になると、必ず一回は来るんだもん。そんなにあたしが心配?」

「…んぐっ。ああ、心配だ。広い教室とはいえ、人間一人閉じ込めてるわけだからな。換気とかはしてるか? 空気が篭ってるぞ」

 晃輝が窓を開けると、春の涼やかな空気が一斉に、篭った室内に飛び込んできた。



 晃輝が謎の白金の髪の幼女を校内に連れ込んでいるという話は、わずか一日にして学内に広まっていた。是非もない。想定していた事態だった。

 後から知った話だが、何名かの生徒や父兄が、この由々しき事態を看過できず、教師連中に報告していたらしい。だが一会の件は市政公認。なら、当然のことながら教職内でも公認の件である。多分納得は行かなかったろうが、訴えは全て棄却されたという。

 糾弾はできない。となると噂だけが一人歩きし、それに尾ひれ背びれがついていく。

 やれ不幸な事故の後遺症で心に傷を負いあんな頭髪になった、だの。やれ「刷り込み」のようなもので、晃輝にしか懐かず離れることができない、だの。許婚説だの。果ては、既成事実を作られて脅迫されている、という人間性を疑うような説まで飛び出す有様だった。

 教室に入ると、まずクラスメイト達の疑念に満ちた視線を浴びる。

「あいつが…?」「らしいよー…」「八歳の子たぶらかしてるって…」「それどころかもうヤッちゃってるらしいよ…」「マジで?」「最低…」「警察…」「手出せないみたいよ…」「弱みかなんか…」

 などという陰口を背中で聞き

「よーう! 晃ちゃん! 愛しのお姫様との進展は…って痛ぇな!」

 と、宇呂の茶化しに付き合わされる。こんな風にして、晃輝の一日は始まるのだ。

 こんなにクラスメイトから注目を浴びてしまい、本当に、くそくらえだ。お蔭様で宇呂以外の人間とまともに会話が出来ない。まあ、クラスの連中との会話がほぼなかったのは、小中学の時代も同じなのだが―――。

「んで、お姫様はやっぱり部室においたっきりか?」

「校内に託児所でもあるならそこに預けるんだがな」

 晃輝は単語帳を捲りながら、気だるげに言う。

「これ、面倒を見ているうちに入ンのかね」

「知らん。本人がこれでいいっていうんだから。一応休み時間に、生存確認ぐらいはしに行くけど」

「そんなに等閑なおざりにしてると、知らないぞー。ガチなそっち趣味の人が、姫様を攫いにくるかも知れんぞ。そうなったらお前…」

「施錠は怠らないように言ってあるし、何かあったら携帯に連絡入れるようにも言ってある。あいつの携帯はGPSも完備だし、あと、部室の外と窓の外を写せるよう、防犯カメラも増設したみたいで、映像は共有で警備と市とで二重の監視が行われている。俺より先に、市が動く。そういう仕組みになっているらしい」

「うっへ。マジかよ。そこまでするかね。あの子に対してもそうだけど、お前に対しての配慮も結構なものだな」

「それ位してもらわないと、俺が一方的に損する図式だからな。だいたい、ただでさえおかしいんだよ。見ず知らずの女の子を校内で面倒見ろなんて。進路希望に教職や保父って書いた覚えはないんだがなぁ」

「あれあれ? まだそんな煮え切らない台詞吐いちゃうわけ?」

「ど阿呆。周囲を見てみ。覚悟はしてたが、今やすっかり俺は」

 と、周囲を一瞥し、目が合った連中を片っ端から睨みつける。視線の合った連中はそそくさと陰口を中断させ、わざとらしい所作で、単語帳なり参考書に視線を落とす。

「―――ロリコンの誘拐魔さ。お前も、笑えよ」

 がたん、と椅子を傾げて天井を仰ぐ。

ぁー鹿。しねーよ、そんなこと」

 意外な答えが返ってきて、晃輝は思わず宇呂の顔を見返した。

「同じ部員同志じゃあねぇか」

 呆気にとられる暇も無く、宇呂は相変わらずニヤけた表情で言う。

「結構期待してるんだぜ? 俺は。あのひねくれたお姫様をお前がどう調教…じゃなくておい、そう睨むなよ。そう、お前がどうやって懐かせるのかをさ」

「お前ってさ…本当に変わってるよな。何か、いろいろと」

「いやぁ~、実は女からもそう言われてる。昔からそうなんだが、何か普通じゃない、新鮮な体験が欲しいんだよね~俺って。そういう意味じゃお前は今までにつるんだことの無いタイプの友人ダチだからよ。しかもこんな面白そうな案件抱えているわけだろ? いろいろ気に入ったんだよ。あーっと、決して深い意味は無いからな。その辺はヨロシク」

「―――馬っ鹿じゃねぇの? どれだけ暇人なんだよ」

 つい憎まれ口で返してしまう。ありがたい、とは、こいつの前では表情にも口にも出したくは無かった。

 だが、味方が一人居ることが、こうも心強いとは思わなかった。

 そして同時に、今度こそ晃輝の腹も決まった。どうせ底辺からは抜け出せないのだ。ならばせめて、あの生意気なひねくれ姫の相手役を、水も洩らさぬくらい、とことん本気でやってやるまでだ―――と。




(懐かせる、ねぇ……)

 何となくだが、晃輝は直感していた。

 変に取り繕って懐かせると言うより、彼女が求めているのは、取り繕わない『対等』な関係だ。昨日、本人が自らの口で言っていた。

『あたしは最初から懐を開いて喋ってるんだから―――』

『そんな猫撫で声で喋らないで―――』

『あたしを可哀想な人を見る目で見るのもやめて―――』

 昨日はいきなりの暴言にカッとなってしまったが、冷静になって彼女の言動をつぶさに思い返してみれば、偏見の無い、対等な関係を求めるような台詞が、随所に見られる。

 だが彼女はこの見た目とやたら大人びた精神年齢と性格だ。同年代の子供ではいささか荷が重すぎるだろう。

 だとすれば、餅は餅屋。児童相談所とか、臨床心理士カウンセラーとかの出番ではないかと考えてしまう。いや、もう既に試したのかもしれない。

 昨日、一会の案内で彼女を家まで送り届けたのだが―――彼女の実家とは、この周囲では最大級の神社、白耶麻神社であり、彼女はその宮司の娘だった。

 到着すると、石階段の前の鳥居には既に何人もの神官や巫女が出迎えに立っており、それはそれは傅かしずかれながら、石段を登っていった。その時見せた、気だるげな表情は忘れられない。彼女は常に、取り繕った大人に取り巻かれた生活をしているのかもしれない。

 神社の内部や家庭内で何が行われているのかは想像も付かないが―――彼女が『大人のようにならざるを得なくなった』原因を作った環境が、そこにはあるような気がしてならない。

 


「で、晃ちゃん。校内での評判はどう?」

 唐突に意地の悪い質問だ。自虐の意味もあるのだろうか? どう答えるか迷ったが、彼女は既に晃輝の現状を予想しているだろう。変に嘘をつくのはだめだ。ここは、包み隠さず、ありのままを答えるべし。

「ああ、そりゃあもうお蔭様で。注目の的だよ俺らは。サインでも考えておくかい?」

「どんなあだ名が付いた?」

「あいにく、今日はまだ宇呂ツンツンあたまとしか喋れてない」

 そのあと、一会は黙った。表情からはうかがい知れないが、柄にも無く、悪びれているのかもしれない。晃輝はあわてて付け加えた。

「まあ、ぼっちは慣れっこさ、ガキの頃から」

「どうして? 晃ちゃん、結構面倒見よさそうなのに」

「昔、ちょっと『やらかした』経験があってな…」

 そういえばその発端となったのも、一会くらいの学年の時だった。

 そして意外だったのは一会が食いついたことだ。「何をやらかしたの?」と興味を秘めた視線で晃輝の目を見てきたのだ。

 当時のことを思い返すのには抵抗があったが、やっとでてきたマトモな会話の種を無駄にはしたくなかった。

「―――暇つぶしにどうだ? 聞いてみるか?」


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