【短編】初雪のユキ

紙男

【短編】初雪のユキ

 冷たい。見上げると、陰鬱とした空から、白いものがヒラヒラと舞い降りてきた。

 雪だ。初雪だ。

 刹那、彼女は現れた。いや、降ってきた。

「やっほー! ユキだよー!」

 避ける間もなく、僕は彼女に追突され、倒れた。痛みを恐れて目をつぶったが、感じたのは柔らかさと冷たさだった。

「一年ぶりだねトーマ! ねぇねぇ、元気だった? 元気だった?! ユキはねぇ、チョー元気だったよー!」

 ユキの抱擁ほうようを振り解いて起き上がる。周囲に目をやると、一面の銀世界だった。いつものことだから、もう驚かない。

 雪に埋もれた彼女だったが、器用にジャンプして立ち上がった。途端に大笑いする。

「スゴーい! トーマ、いつの間にそんな力持ちになったの!? 」

 空気砲のような溜め息が口から出た。お前はホントに変わらねぇな。 

 ユキは僕の手首を掴んだ。

「ねぇねぇ、早く遊ぼ! 冬が終わっちゃうよ!」

 手袋越しにユキの手の冷たさが伝わる。グイグイと手を引っ張られ、足場の悪い中を無理矢理に走らされた。

 雪は嫌いだ。ひたすら冷たいし、歩くのが大変だし、バスや電車は遅れるし、雪かきするも面倒臭い。いいことなんて一つもない。そもそも寒いのが嫌いだ。

 でも、ユキのことは……。


 親の仕事の都合でこの町に引っ越してきた。もみじが色づきはじめた、十月下旬の頃だった。かなり中途半端な時期だ。

 元来の人見知りな性格のせいもあって、一向にクラスに馴染むことができなかった。二学期が終わろうとしていても、僕は友だちができなかった。ゆえに暗澹あんたんたる気持ちでクリスマスを過ごし、大晦日を浪費し、新年を迎えた。

 三学期になっても、当然友だちはできなかった。余所者を警戒するクラスメイトたちの目も、遂に向けられなくなっていた。無関心という言葉さえ生温く感じるような具合だ。道端の石でさえ、もっと存在感があっただろう。

 友だちなんかいなくたって……。そんなことを考えはじめていたある日、僕は彼女と出会った。

 先週までの雪模様が嘘のような、春めく暖かい陽気だった。どす黒く汚れ、岩のように硬く凍っていた雪も、ほとんど溶け消えようとしていた。

 こんな日は、とっとと帰って外で遊ぶのがいいのだろう。でも僕はいつものように、下を見ながら独りで学校から帰宅する。

「よっしゃ、当たった当たった!」

「オレも当たったぜ」

「うぁ、マジで汚な~い」

「いいぞー、もっとやれ!」

「アハハハぁ!」

 公園に差し掛かった時、そんな声が聞こえてきた。見ると、同級生以上の子どもが複数人いた。何かを取り囲んで、それに向かって雪玉を投げている。隙間からその正体を確認できた途端、僕はゾッとした。

 子どもだ。重油をかけられたかのごとく、全身が真っ黒に汚れた状態でうずくまっている。その子には手足がなかった。正確には、肘から先の右手と、太股から先の左脚がない。その断面は、赤黒い肉と白い骨が見えている、というわけではなく、崩れた石像のようになっていた。

 さすがに体が動いた。急いで駆け寄る。

「おい!」

 冷たい目がいくつも向けられた。

「や、止めろよ、可哀想だろ」

 一時の間があった。そして彼らは大笑いした。

「こいつは化け物で、オレたちはそれを退治してたんだ。全然可哀想じゃねぇよ」

「化け物?」

「見ろよ、これ。手とか脚がなくなったのに血が出てないんだぜ。化け物だろ」

「……だ、だからって、そいつが何か悪いことしたのかよ。寄って集って攻撃するのは、卑怯だろ」

「は? 悪いことされてからじゃ遅いだろうが」

「オレたちはヒガイをミゼンに防いだんだよ」

「そうよそうよ。逆に感謝してほしいくらいだわ」

「それに、戦隊ヒーローは一人の敵と五人で戦うのがフツーだろ?」

「だな。だから僕らは全然卑怯じゃない」

 笑い声が響き渡った。カチーンときて、僕は更に声を張る。

「うるさい! そんなの言い訳だ!」

「は? だったらお前がこいつを助けてみろ」

 体格のいいヤツが一人、僕に近づいてきた。そいつはファイティングポーズを取りつつ、僕を挑発してきた。僕は拳を強く握って、そいつの顔面目掛けて繰り出す。しかし僕の拳は空を切った。

 かわされたことに気づいた直後、頬にパンチを食らった。倒れそうになるところを何とか踏み止まる。が、続けざまに脚を蹴られ、バランスを崩して尻餅をついてしまった。

 お尻が冷たい。そして殴られたところが酷く痛い。

 笑い声が降ってきた。それを払い除けるように立ち上がろうとした途端、こめかみの辺りに硬くて冷たいものが当たった。雪……いや、もはやこれは氷だ。

「おいおい、もう終わりか?」

「さっきの威勢はどうしたんだよ」

「だっさー。マジウケる!」

「悪の手下もやっつけてやるぜ!」

「やれやれー!」

 痛い。冷たい。怖い。やっぱり、僕みたいな友だちもろくにできないヤツが、人助けだなんて大それたこと、できるわけが――

 刹那、鋭い風が吹き抜けた。同時に笑い声が悲鳴に変わった。

 顔を上げると、五体の雪だるまがいた。よく見ればあいつらが雪まみれになっているではないか。

 いじめられていた子が――その時はじめて女の子だと気がついた――右手を開いてこちらを向けていた。あの子が何かしたのだろうか。わからないけれど、今がチャンスだ。

 僕は急いで女の子に駆け寄ると、女の子を抱きかかえる。

 冷たい。氷に触れているかのようだ。しかし今は、そんなことに驚いている暇はない。僕は女の子を連れてその場から逃げ出した。

 しばらく走ったところで、足を止めた。身体中から汗が吹き出す。腕や背中はグッショリと濡れていた。

「ねぇ」

 か細い声が聞こえた。腕の中の女の子を見て、僕は思わず手を離しそうになってしまった。

 女の子は頭だけになっていた。日が経った雪だるまのような、惨い有様だった。僕の体温で溶けてしまったのだ。

 女の子の眼がゆっくり横に向く。

「熱いから、日陰に行きたいな」

 ブロック塀の物陰、まだ雪がある場所に、女の子を避難させた。雪に触れると、彼女はフーッと息を吐き、そして微笑んだ。

「助けてくれてありがと。君、勇気あるね」

「……ゴメン」

「えー、どうして謝るの?」

「だって、僕のせいで、そんな姿に……」

「あぁ、これは仕方ないよ。もう春なのに、地上に降りて来ちゃったユキのせいだから」

 薄々気づいていたけれど、やはりそうなのか。

「君は……人じゃないんだね」

「うん。ユキはね『冬の子』なの。君、名前は?」

冬馬とうま。冬の馬って書いて冬馬」

「トーマ! カッコいい名前だね!」

 ユキは満面の笑みを見せた。途端、左の頬から耳にかけて、顔が崩れ落ちた。急いで欠片を拾おうとしたが、それは僕の手の中で砂のように消え散った。手に力が入った。

「あれ? トーマは『人の子』だよね? 人の子も、熱いと溶けちゃうの?」

「そんなことはないよ」

「でもほっぺから水が垂れてるよ?」

 僕は水を拭いた。目を開けると、ユキはもうほとんど、姿形を留めていなかった。

「ねぇトーマ、ユキと友だちになってよ」

「えっ?」

「ねぇいいでしょ。友だちになろうよ」

「……僕なんかでいいの?」

「トーマじゃなきゃイヤ」

 屈託のない笑顔と言葉に、困惑しつつも、噴き出してしまった。

 うん、いいよ。友だちになろう。

 そう答えようとした時には、ユキはただの雪になっていた。


 今夜から明日の明け方にかけ、雪になるところが多いでしょう。温かくしておやすみください。

 天気予報のお姉さんの言葉を聞いて、僕はふと窓の方に目をやった。当然ながら閉まっているカーテンを開け、窓も開けてベランダに出た。

 夜の空を身を乗り出して見る。月は出ていない。だが不思議と明るかった。雪雲が、僕の頭上低く覆っている。

 息を吐く。暗闇に、ふあっと白が現れ、消えた。寒いのは嫌いだけど、こうやって息が見えるのは、嫌いじゃない。ずっとこれを繰り返していたいけれども、足の指が、早くも限界を迎えた。

 サンダルを片方脱いた時だった。首の後ろが冷たい何かが触れ、反射で手で押さえ、そして振り返る。しばらく周囲を警戒した末、それに気づく。再度身を乗り出した。

 ひらひらと、空から白いものが舞い降りてくる。雪だ。初雪だ。当然、ユキの姿が思い浮かんだ。

 あまりにも虚しくて哀しい、短すぎる時間だった。おまけにとても醜い姿だった。けれど彼女のあの笑顔と言葉があったお陰で、今日まで落ち込むことはそれほどなかった。

 ただ、もしチャンスがあるなら、面と向かってこう言いたい。

「僕もユキと友だちになりたい」


「やったー!!」


 気づいた時には、上に突き出していた両腕がぶら下がり、そこに女の子がしがみついていた。

 その子は輝くように白かった。肩に掛かるくらいの髪も、痛いくらいに冷たい肌も。そのせいか彼女がほのかに光っているように見えた。

「久しぶり、トーマ! また会えて、嬉しいよ!」

 僕は必死に踏ん張っているというのに、その表情は無駄に明るくて、春のように温かだ。

「あれ? トーマのほっぺ、また溶けてるよ?」

「う、うるさいな! 黙って助けられろ」

「うん! そのあとはいっぱい遊ぼうね!」

「……うん、この間の分まで遊び倒そう」

「やったー! トーマ大好き!!」

 僕もだよ、とは言わないでおこう。きっと別れが辛くなるから。

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