非常に面白い。グイグイと引き込まれます。
でも、何が面白いのだろう?
そう自問するに、対照的な酒井七馬と手塚治虫に関する迫真の人間ドラマ。これに尽きる、と思い直しました。
人間ドラマと言っても、作品中、2人が一緒に行動する事は少しの間。考え方の違う2人は袂を別つのですが、それ以降の心理描写が最大の読み処だと思います。
大志と野心、自己正当と虚栄心。誰もが包摂する心の弱さ。
結局の所、時流に乗れた者と、見放された者。私も含め、大半の人々は後者なのですが、だからこそ作品に感情移入できて面白いのです。
また、本作品の中では勝者の手塚治虫でさえ、その後は流行に取り残されました。彼の未来を知るだけに、諸行無常の響きを感じずにはいられません。
それと、戦後マンガ史を勉強できて、お得な作品です。史料調査に苦労されたであろう、作者の努力に頭が下がります。こんな力作を無料で拝読でき、本当に感謝します。ありがとうございました。
駆け出し時代の手塚治虫、というのはとても新鮮に感じられました。
「ブラック・ジャック制作秘話」「チェイサー」の、「時代の流れに取り残されつつある、落ち目の巨匠・手塚治虫」も面白かったですが、新人時代というのは……そういえば、手塚だっていつかは新人だったに決まっているのだ。
そして手塚の師匠・酒井七馬についても、手塚と対照的に落ちぶれていく姿が、泣かせます。
手塚治虫の才能はあまりにも圧倒的であり、たとえ酒井七馬がいなくても、きっと自力で漫画家になったに違いありません。ある意味、酒井は足かせですらあった。その残酷な事実も描かれています。
しかし……では酒井七馬の存在は無意味だったのか……
そんなことはない、誰かの心を、たとえ一時でも動かすことが無意味であるはずがない。
その結論が、痛いほど胸にしみました。
創作者の99パーセントは手塚側ではなく、酒井側の人間でしょうから。