この宇宙に生きる全てが、我々の理解可能なものであるとどうしていえるのか

 我々が地球外知的生命体とのファーストコンタクトについて考えるとき、おおよそ三つのパターンに当てはめて考えてしまう。すなわち、「対等な交渉により平和な関係を築く」か、「戦争となり、それに勝利する」もしくは「敗北する」の三つである。インデペンデンスデイ、宇宙戦争、未知との遭遇など、様々な例を挙げることができるだろう。
 しかしそれは、地球上の国家間の関係を、宇宙規模に拡大しただけである。ここでの宇宙人とは、言語やコミュニケーション手段の違い、文明の優劣差を除いて、人と同様に思考し行動する存在であり、本来の意味でのエイリアン=異邦人に過ぎない。
 しかし、地球外生命体の全てがそうであるという保証はどこにもないのだ。宇宙には、言葉や常識が通用しないどころか、生態も理解できず、存在そのものが理解不能なものが棲息しているかもしれない。
 とすれば当然、その愛の形さえ、理解可能とは限らないのだ。