エピローグ

二十一 情報屋

「あんたから私を呼ぶのは、どういった了見かしらね」


「一つしかないだろうが……ったく。今更だが、お前は全く高校生らしくねぇな」


 金曜日の昼のこと。

 水町薫宅にて、水町薫本人と近魅夢が対談する形となっていた。テーブルを挟んで二人が座り、翼は部屋の端に立って壁に寄り掛かっている。


 席に座らないのは翼なりの配慮だった。


 夢は。それは水町薫が翼に説明したことだ。


 情報屋が彼に会いたいと言ったその後、夢との以前の会話については説明されていた。そのところによると、その情報屋から狂人や化身の情報を貰っていたそうで。

 そこまで言われて言葉を切った。翼もその説明で充分だったため、それ以上発言することはなかった。


 夢はこちらの全てを知っていた――。

 つまり翼は何も取り繕う必要もなく、友達知り合い程度の関係を演じて席に着いてやる必要はないわけだ。

 話が終わるか興味が失せれば部屋に帰ればいい、ただそれだけのことである。


「それを高校生のあんたに言われるのは、どうなのかしらね」


「俺は肩書が高校生なだけだ。お前とは違ってな」


「それ私にも当て嵌まると思うんだけど……あ、そう、まあいいわ。で、用件は何かしら」


 言いながらも、夢は自分の懐からそれを取り出した。タッチパネル式の携帯――それを短い間操作し、テーブルに滑らせ水町薫へと寄越す。


「“情報屋”古條里咲からメールが届いているわ。水町薫から私宛に連絡が来た場合、このメールを見せろとね」


「……先に行動を読まれていた、ってか」


 引ったくるようにして携帯を手に取り、液晶を眺めて溜め息を吐く。水町薫にしてはらしからぬ感情の洩れだった。自分の流れに持っていけないというのは彼にとってそれだけの事象らしい。


「なんだ。つまりお前を介して行う情報伝達は許されない、そういうことか」


「ええ、元は貴方から介入したことよ。これまで通り貴方が直接“情報屋”と連絡を取り合うことね――里咲が誰かに会いたいと言うのは、珍しいを通り越して異質。この意味をしっかり考えておくといいわ」

「そこまで考えてお前を呼んだんだが……駄目なら仕方ない。俺に強制力はないからな。話は終わりだ、帰っていいぞ」


 交渉は決裂か? さてどうなのだろう。

 ただ話が終わりならば自分がここに居る必要も最早ない。翼は壁から背を離し、自室へ戻ろうと足を運ぶ。


「村雲さん――気を付けて。それじゃあ、また次の勉強会にでも」


 部屋に戻る直前、そんな言葉が聞こえてきた。


「気を付けろ……ね。一体何にと訊くのは、どうなんだろうね」


 返事はなし。

 そのまま夢は家から出ていった。


「少なくとも僕には分からないな」


 ならば考えるだけ無駄だ。そう結論付け、翼は思考を切った。






「村雲、今日はお前の身体検査だ。もう少ししたら研究所に行く、いつでも外出できるよう準備を整えておいてくれ」


 土曜日、早朝にて。翼の部屋のドア前で水町薫はそう言った。適当に返事を告げると彼の気配は扉から離れていく。


「ふむ」


 相も変わらず突然だった。部屋の中で寝ていた場合はどうするのかと疑問に思ったが、急ぎの用事だった場合は入ってくるのだろうか。

 その場合、下着のみを着用していて寝ていれば面白そうだ――いや、あれだけ言うのだから水町薫は入っては来なさそうだ。

 それに、よくよく考え直してみればそんな痴女のような直接的なからかい方は趣向的にはつまらない。


「そもそも僕があまり寝ないことを知っていそうなものだ」


 翼の睡眠時間は一日大体長くて四時間、短いと二時間しか睡眠を取らないこともある。


「ま、気が向いたら色々とからかってみることにしよう」


 そんなことを考えて、翼は布団からもぞもぞと出て伸びをする。流石に下着(この)ままでは外には出られないので、外着に着替えることにした。

 リビングへ出ると、水町薫は気だるそうにテレビ番組を見ている。というかこの家でニュース以外の番組を見た思い出がない。

 実に年齢不相応な家庭である。


「朧榮君、情報屋の件は結局どうするつもりなんだい」


 古條里咲が水町薫に会いたいと言ってからもう数日。夢を介して何らかの交渉をしようとしたがそれは失敗に終わってしまったらしく、結局それからのことは聞いていない。


「今日奴がこの町に来るそうだ。時間と場所はこちらが指定し、俺と直接会って話をする。俺は古條里咲なんぞ知らないが――引っ掛かることがあるんでな。それで話をすることになった」


「ふむ。では僕はどうすればいいのかな」


「お前は研究所で身体検査を受けた後、そこで待機だ。俺がいない間に万が一、ということもあるからな。研究所に居りゃそれなりの安全はあるだろう」


「なるほど。了解した」


 つまり水町薫と古條里咲なる人物が二人で会うそうで――何か一悶着でも起こりそうなものだが、翼が口を出すような案件ではない。何かが起こった時、初めて自分が動いてやろうと思い、翼は静かに頷いた。






 研究所に足を運んだのはそれから一時間が経過した後であった。研究所の中はやや閑散としているものの、白衣姿の人間がそれなりに廊下を歩いているのが見受けられた。


「こう、研究所へ頻繁に出入りする狂人は僕らだけなのだろうね」


「そうだろうな。狂人と研究員の関係は基本的には悪い。奴らの認識では、あくまでも狂人は実験道具だ。研究員に取り入っとけばそれなりの生活は保障できるが、それだけだからな。自ら進んで来る馬鹿もいまい」


 これは余談だが、化身を倒した際の報酬金は後日それぞれの口座に振り込まれているそうだ。ならば翼が今まで戦って来た化身についてはどうなっているのか……翼自身そこまで金に欲などないが、貰えるものなら貰っておいた方がいい。それについては後で研究員にでも聞いてみるとしよう。

 どうせ翼を担当する研究員は例の奴に決まっている。


「よぉ、今日はほぼほぼ時間通りだな」


 研究器具の散らばる部屋に通されると、そこにいつもの研究員はいた。例の如く堂々と煙草を吸いながら待っていた彼は、扉を閉める翼へ粗雑な挨拶を交わす。


「君がうるさいからではないのかな。それで、今日は何をするんだい?」


「いや、いつもと変わらねぇよ。定期の診断と、それとお前に渡したい物があってな」


「渡したい物?」


 別にそれについては何も隠す様子もなく、研究員はああと相槌を打った。渡したいと言っておきながら「どこだったかな」と呟きながら整理のなっていない室内を漁り始める。ほどなくして棚から目当ての品を発見したのか、研究員はそれを手に取って翼へ投げてきた。


「……これは」


 それは何やら透明な液体の入った。注射器であった。とはいってもいつも血液を採取するものとは違い、密閉された袋に入っている。


「それは薬だ。その液体を体内に入れることによって、死に掛けの人間が“狂人”となるか“化身”となるか、死ぬかが決まる。無論、お前の場合は例外だったためそんな薬は使用されていないがな」


「どうしてこれを僕に渡すんだい」


「ん、いやなに、上からの命令だよ。例えばお前が万が一死の直前まで追いやられた時、気分が乗ったら使えばいい」


「随分と適当だね。気分が乗らなかったら使わなくてもいいのかい?」


 聞き返すと、研究員はくわえた煙草を携帯灰皿に押し込み、どうでもよさげに返答した。


「別にいいんじゃねぇの。それを飲んだからってお前が狂人になれるか保証はされてないし、そもそも今回は俺の行動じゃないからな。お前がそうしたくなければそれでもいいだろう」


「ふむ。ではそうしよう」


 だから扱いも所在も乱暴だったのか、と納得した。自分の範囲外で行われるものについてはとことん感心の無い奴だ。


 身体検査は滞りなく行われた。一つの懸念であった【白銀世界】についてはどうなることやらと危惧したものだが、検査の途中で引っ掛かることもなく前回と変化なしという結果を持って終了した。

 何かしらの情報から露見してしまった場合、色々と取り計らって貰うように願い出ようとは考えたのだが、それも杞憂に終わってくれたらしい。


「あ、そうだ。研究員」


「なんだ? お前から何かを吹っ掛けてくるとは珍しいな」


「その言い方だと僕がチンピラみたいだけど。いや別に大したことではないよ、僕が身体検査をしている間に朧榮君に用事が入ったみたいで、ここに居ないんだ。それで念のためということで、彼の迎えが来るまでここにいてもいいかい? ということだよ」


 その言葉に少々頭を捻らせた研究員だったが、ああとすぐに首を縦に振る。


「別にそりゃいいんだが、その“朧榮君”って呼び方はどうなってんだ? 奴のことだってのは分かってんだが、ちょっと迷うんだよな」


「ああこれかい……彼が僕と会話を交わした時に最初に名乗った偽名なんだよ、それ。僕からすればそちらの方が慣れ親しんでいるものでね、そう呼ばせて貰うことにしているんだ」


「へぇ、んなことがなぁ。まあいいぜ、だが研究所内を自由にうろつかれても困るんで、それまで――」


 研究員が、指を弾く。

 それと同時、翼の背後に“何者”かが現れた。完全に油断していた翼は咄嗟に能力を行使しようとするが、一歩遅く――。


「いやいや、そう警戒しないでって。村雲翼、さんだよね? 別にあたしから何かするわけじゃないから安心してよ。しばらくお話でもと思ってね、駄目かな?」


「――」


「んじゃ、後は頼んだ。リエ」


「はいはーい」


 研究員が悠々と扉から出て行く。

 ばたりと扉が閉じられた瞬間、“部屋が凍結された”。

 そのことに一手遅れて気付いた翼だったが、その時にはもう遅い。瞬間移動で水町薫の元へ逃走することすら不可能になったことに歯噛みし、大人しく“彼女”へ視線を預ける。


 この空間凍結は水子の能力のように思われるが、ここに水子が居た気配などは一片もなかったのだが。

 ならば、目の前のこの人物がやったのか。それとも、研究員の仕業か。


 研究員の寄越した者――ではあるが、異質な雰囲気を纏わせた彼女からはどこか恐ろしい気配を感じる。


「君は何者だい」


「突然だね。別にあたしは何者でもないし、“狂人”や“化身”のどちらでもないよ。かといって村雲さんと同じでもないけれど――でも一般人というわけじゃない。そういう認識で理解してくれると、非常に助かるかな」


 口調とは正反対に希薄な存在感を持ったリエとだけ呼ばれた彼女。そんな彼女は、次いで事前に用意していたかのような台詞を放った。


「しばらくあたしと一緒にいない? きっと、村雲さんにとってもいい経験になると思うんだけど――どうかな」


 どうやらまた面倒な事に巻き込まれてしまったようだ。

 さてこの先に何が待ち受けているのか。


 果たしてこれを水町薫は知っているのか。


「ふむ……そうだね。結論を急ぐ前に、少し状況を説明してくれないかな。場合によっては、僕も協力的に行動するのは吝かではないよ」


「そう来たか。の中の村雲さんと一緒だね。実に面白いよ。いいでしょう、それじゃあ時間は無限じゃないけどたっぷりあるのだし、お話しましょうか」


 そう言って、彼女は薄く笑みを引く。


 翼は注射器を懐に仕舞い込み、と対面するのだった――。

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偽りの狂人と怪奇の変人 くるい @kry

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