二十 真情把握(仮)

「どうして今までそれを隠していたんだい?」


 リーフェ・エリルガンド、北条唯華、牛嶋水子の三人を拠点に送り届けた後、若干寂しくなった車内で一人後部座席に座る翼がそう問い掛けた。


「不都合があるからに決まってんだろ」


 問われた研究員は、眠そうにしながらハンドルを握りつつ答える。


 結論から言わせて貰えば研究員は“狂人”だった、ということである。現在は何らかの手段を用いて狂人の存在そのものの気配を隠しているそうだが……。


「研究員の中に狂人がいるというのは、そんなに不都合なことなのかい? 自分達で化身を処理できるのであれば、それが一番だとは思うのだけど」


 実際、研究員は外で待機している際に再び襲ってきた【罠】をたった一人で捕らえたらしい。

 かなりの実力を隠しているのは明らかだだった。


「研究員はあくまでも“研究員”なのであって、実験体は自分達であってはいけないんだよ。それもあって、俺は自分が狂人であることを隠しているんだがな」


 なるほどと納得すれば、今度は研究員が質問を投げて来る。


「村雲。お前、【白銀世界】はどうした」


「――ああ」


 翼が戦った【白銀世界】のジンは、跡形もなく消滅してしまったとだけ伝えてある。

 二階で戦っていたために誰も現場を目視した者が存在せず、また翼も【血】との戦闘で【白銀世界】を使っていないことから同化の件は誰にも知られていない。

 これを好都合と見た翼は適当にはぐらかす腹積もりだったのだが、やはり研究員は一筋縄ではいかないようだ。水町薫も不可解そうに首を捻った後に「逃げられたか」と結論を付けたみたいだが、研究員はそうならなかった。


「俺も見張っていたが、奴が建物外に逃げた気配はどこにもなかった。何か隠していることでもあるんじゃないか?」


「いいや、僕は知らないよ。【白銀世界】の方が唐突に消滅してしまったのは確かだ。そういう能力だという可能性も十二分にあるだろう」


 嘘は吐いていない。彼は白銀へ姿を変え、翼の中に入って消滅した。連絡手段もありはせず【白銀世界】だけが行使可能な状況下、そう捉えても構いはしないだろう。


 研究員も言っていた通り、知られては不都合なこともある。単純に翼が手にした能力は知られなければ知られないほどに好都合だったという話だ。

 逆にこのことを公にした場合、何が起こるかも予測できない上にメリットも存在しない。


 ならばこそ、出来うる限り隠しておきたいのは当然だった。


「まあ、済まなかったよ。逃げられた件については、今後自分で決着を付けるつもりだ」


「いいや、構わねぇさ。元々お前は狂人の区分ではなく保護観察対象だ。【血】を捕らえた以上、しばらく大事は起きんだろう。お前の出る幕はないし――あ、こいつをもう一回入れとけ。今すぐにだ」


 片手でハンドルを回し、もう片方の手に取った注射器を後部座席へ投げて寄越す。翼はそれを危なげなく受け取り、血液が注射器一杯に入っていることを確認した。


「ふむ……そうかい。ところで、僕の記憶は操作しなくても?」


「お前に関しては他言しないだろうし、水町薫が傍に付いている以上信用はある。信頼はしていないがな。それに、お前の記憶を消す必要が今のところ――ない」


「研究員が狂人に対して信頼をしていたのならば、それはそれで研究員失格だよ。まあ、そうしない理由があるのなら別に問題ないさ。納得したよ」


 言って、注射針を腕に刺した。別に首でもよかったのが、車の振動で位置がずれても困る。

 今まで何度も血液を入れてはきたが、やはり、この感覚に慣れることはないのだろう。


「ところで僕はいつまで保護されるんだ。まだ僕の状態について何一つ解明されていない様子ではあるが」


「そうだな。お前には直に新しい段階に入って貰う……が、まだ保留だ。その時になりゃ伝えるし、何も焦る必要はないな」


「そうか、分かったよ」


 自身自身の“能力”が戻る感覚を覚え、ひとまず安堵した。ジンの存在によって更なるイレギュラーが起きてしまうと面倒だったが、無事二つの能力を使えそうだ。

 これで一安心。


「まだしばらく俺の監視下に置かれることになるな。悪いが我慢してくれ」


「別に構わないよ。僕は女だが、君と一つ屋根の下で生活する上で何ら不都合はない。君にモラルやデリカシーが無かった場合は話は変わるが、そうじゃないだろう」


「当たり前だ」


 さて水町薫という人物は、こうしたことを平然としたまま返してくるからつまらない。もう少し年齢相応の反応をしてくれるとからかいがいがあるのだけど。


「君ならいいんだよ。僕の入浴中を覗こうが着替えを覗こうが、ね。されたからって何もしやしないさ」


「……今まで通りだ。とりあえずお前はリビングでの露出した格好を控えてくれ。自室では好きなようにしろ」


「目のやり場に困るから……かい?」


「そうだ」


 翼は自身の身体を見やる。ふむと呟き、窓から見える景色へ視線を映した。


「僕の身体は、君にとっては目のやり場に困るほど魅力的なのかな」


「……いいから守れ。分かったな」


「返答無しか。そのようにしよう」


 とても自身の肉体に魅力があるとは思わないのだが、異性から見ればまた話が変わったりするのかもしれないな。

 と、勝手に思うこととした。


 研究員が一人でくすくすと笑っていたが、特に突っ込みも求めていなさそうなので無視を決め込むとそこから会話という会話はなくなり。

 無事雪浜町から霞町の水町薫宅に到着し、そこで研究員とは別れることとなった。








「……あぁ、そういやそうだったな」


 現在時刻は午後の二時。朝っぱらから狂人と対峙しそれから帰宅したので順当な時刻である。

 水町薫はテーブルに置かれた携帯が光っていることに気付き、嘆息した。


 勿論通達は麻衣からであり、今日も勉強会をしたいとの旨がメールに記され、ついでに電話まで来ていた。


「すっかり忘れていたよ。山のような課題を消化する用事を」


「やりたくはねぇがな、仕方ない」


 面倒そうな顔をし、彼は麻衣へ通話を掛ける。すっかり普通に連絡するようになったなと感想を述べつつ翼は自分の課題をテーブルへ置いた。


 その途中に麻衣の置いていった課題が目に入り、苦笑する。


「朧榮君が断った場合、麻衣は勉強ができないわけだ」


 或いはそうさせないために放置したのかもしれないが、だとすればいい迷惑だ。

 しかし麻衣のことだ、きっと何も考えていないに違いない。自宅で課題に追われたくないだけなのだ。


「麻衣、このままでは終わらないのだろうな」


 だが、夢と同じく課題を見せてやるつもりはない。そんなことを心の中で呟き、さっさと自分の課題を開いた。

 流石にこの量はやる気が削がれる。地道に消化するのがベストだ。








「やっほー今日も参上しました! お邪魔しまーす! 翼は早いねー」


 電話をしてから、麻衣はすぐにやってきた。


 まぁここに住んでいるから、とは口が裂けても言えない。


 それにしても彼女は相当な暇人らしい。一体どこをほっつき歩いていれば電話から数分で家まで辿り着けるのか。少なくとも麻衣の家からでは無理な距離だろう。


「後で夢も来ますんでよろしくです朧榮さん!」


「ああ……」


 そういえば設定上は歳上だったな。


 最早麻衣の行動に突っ込むことなく、彼は疲れた風に頷くばかりだ。

 そうして勝手に夢を呼ぶのも――おや。


 忘れていたことがあった。

 水町薫は夢と何を話していたのかと聞こうと思ってはいたのだが、騒ぎのお陰で失念していた。麻衣が来てしまった現状、ここで会話を始めるわけにもいかないが……。

 この勉強会が終わった後、また聞こう。それからでも遅くはない。


 その後。

 麻衣が来てから二時間後に夢が到着し、麻衣がなんだかんだと愚痴をこぼしつつも、午後八時まで勉強会は続いた。

 水町薫が今日はおしまいだとの宣言をしてようやく解散。また明日も来るらしく、麻衣は当然の振る舞いかの如く課題を置いていった。


「僕は後少しだな。朧榮君はどうだい」


「……ああ、ギリギリ間に合えばいいが。厳しいな」


「解答が見たければ僕のを見るといい。ケアレスミスがないとは言い切れないから丸写しは勘弁願いたいが、大方合っているはずだよ」


「いや、いい。終わらなければそこが俺の実力だ。如月のように誰かを宛てにはしない」


 さりげなく麻衣を馬鹿にし、水町薫は自分の課題を整理した。彼も半分は終わっているな。この調子なら最終日手前には終わりそうだ。


 夢に関しては今日で課題の全てを片付けていたが、麻衣は絶望に直面したような顔付きで紙面を睨んでいたので大して進んではいまい。

 そろそろ自宅でもやらせなければ終わらない気がする。明日にでもそう助言してやるのもいいが、本人が何と言うのだろう。

 断るなら断るで自業自得なだけだが。


 それでは本題に入ろう。


「朧榮君、一つ聞きたいことがあるんだが……近魅さんはあの時どんな話を?」


「お前にはあまり関係のない話だ。聞きたいか?」


「わざわざ尋ねるということは、聞いてもいいということかな。聞きたいさ、そうでなければ話を振らない」


「ふん、まあいいだろう。近魅夢にはとある“情報屋”が背後に付いている。そしてどういうわけか、俺やお前の情報を全て知っていた」


 彼は思案するように額へ人差し指を当て、目を閉じる。そうしてから、自身の額を二度指先で小突いた。


「ソイツはどうやら――俺に、会いたいらしい」


 さぞ不可解そうに、告げたのだった。

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