第八話 十月十九日午後十時 笠井家の非日常
話の途中で、玄関の呼鈴が鳴った。
いつもなら瞳子が出るところだったが、夜遅い時間だったので洋が出る。瞳子はその後を追いかけて、玄関では洋の背中に隠れるように立った。
洋が扉を開けてみると、向こう側にとても大きな双子が立っていた。
――あっ、違うか!
瞳子は鞠子から聞いたことがある。双子のような二人が立っていた。
一人は背中に何かを背負っているらしく、腰を少し屈めていた。
「こんばんは、夜分遅くに申し訳ございません」
真っ直ぐ立っているほうの男性が丁寧に言った。
「やあ、馬垣さんこんばんは。妻がご迷惑をおかけしたようですね。中にお入り下さい」
洋が答えた。
「あ、お邪魔致します」
「どうぞどうぞ」
馬垣に続いて、榊が見事なまでに酔いつぶれた鞠子を背負って入ってくる。洋も決して小さいほうではないのに、二人に比べると小柄に見えた。
圧倒的な肉の存在感。しかも中身が詰まって、重そうに見える。
「こんばんは、瞳子さん」
鞠子を背負っているために立ったまま靴を飛ばすように脱いだ榊が、にっこりと笑いながら言った。
「こんばんは。榊さん、有難う。ママ、重かったでしょう」
「いや、全然」
と言った後、小声で、
「と言わないと、後が怖い」
と追加する。瞳子は笑ってしまった。
榊は鞠子を揺すりあげると、
「さて、ママをどこに運んだらよいかな」
と瞳子に尋ねた。
さすがに寝室まで運んでもらうのは避けたかったので、瞳子はリビングのソファに案内する。
榊が鞠子をソファに降ろしていると、
「私たちが一緒にいるのに、申し訳ございませんでした」
と馬垣さんが立ったまま改めて頭を下げた。洋はにこにこと笑いながら、
「いえいえ、こちらこそ申し訳ございません。電話して頂ければ迎えに行きましたのに」
と、立ったまま頭を下げる。
「いや、夜も遅い時間でしたから」
馬垣が頭をまた下げる。
「今日は娘と話をしていたので、すっかり遅くなりました。お恥ずかしい限りです」
洋がまた頭を下げる。
切りがないので、瞳子は口を挟むことにした。
「パパ、馬垣さんと榊さんに座ってもらうのが先よ」
瞳子は鞠子の頭の下にクッションを重ねながら言った。二人が腰をおろしたところで、
「コーヒーでもいかがですか」
と聞いてみる。
「あ、すぐに退散しますから、お構い無く」
馬垣が言った。
鞠子が倒れているソファの横で、瞳子と榊が向かい合わせに、洋と馬垣が向かい合わせに座っている。
二人並ぶと本当によく似ていた。
しかも似たようなスーツ姿である。榊のほうが鞠子を背負っていた分、皺が多いのでかろうじて区別できた。
――と、そう言えば。
「パパ、馬垣さんと会ったことがあるの?」
「ないですよ」
「えー、だって扉を開けてすぐに馬垣さんの名前を呼んだじゃない」
「ああ」
「ああ」
なぜか洋と馬垣が同時に声をあげた。
顔を見合せてお互いに笑いながら、交互に手を差し出す。発言権を譲り合っているらしい。結局、馬垣が押し切られた。
彼は瞳子のほうを向いて咳払いをひとつする。
「警部から、私が怪我をした件を聞いておられたからでしょう。病み上がりのほうが背負っている訳がありませんから、すぐに判断することができた」
「なるほど」
「なるほど」
今度は瞳子と榊が重なる。
「榊も気がついていなかったのか」
馬垣が呆れたように言ったので、榊が切り返す。
「あんな短時間で、そこまで断定できるほうが、どうかしているんだよ」
瞳子もそう考えていた。まるで洋が二人いるような感じがする。
そこで瞳子は思い付いた。
「ねぇ、パパ。お二人にも謎解きに参加してもらうのはどうかしら」
「謎ですか?」
「謎だって?」
「ぬあっぞぅ?」
最後の声は鞠子だ。まだ酔っているのだろう。身体がゆらりゆらりと前後左右にゆっくり傾いては倒れそうになる前に勢いよく戻る。
「はあやあくぅ、はなぁしなさぁいよぅ」
何だか呪いをかけられそうで怖い。
「はぁやぁくぅ」
「分かったから」
瞳子が澄江から聞いた話を最初から始めようとした時、洋が急に立ち上がって台所に行った。
その後ろ姿を見送りながら、馬垣がぼそりと言った。
「一回だけ聞くことで、私たちと条件を少しでも同じに揃えるつもりですね。しかも、自分の反応がヒントになるかもしれないと判断したらしい」
やはり洋と馬垣の思考回路はおかしい、と瞳子と榊は思った。
*
瞳子は二回目の話を終えると、全員の顔を見回した。
鞠子と馬垣は無表情だった。しかし頭は高速回転しているのだろう。
間に座った榊も真面目な顔をしていたが、しかし深くは考えていないように見える。
「えーと、これでおしまいなのかな」
と、鞠子が言った。
瞳子は鞠子がこの問題にすっかり困惑しているのを見て、ちょっといい気分になって言った。
「これでサトちゃんママから聞いたお話はすべてだよ。結局、神原美紗さんは誰を選んだのでしょうか、というのが問題だった」
落ちる当惑の緞帳。
その時、洋がコーヒーとケーキを持ってきた。
「頭の体操には糖分が不可欠ですよ」
と言いながら、みんなの分を手早く配る。
家の近くにある『一期一会』のガトーショコラである。
「わーい、ガトーショコラだ。まだあるの。明日の分は」
「これだけだよ」
――それは残念。しかも、私だけオレンジジュースなのはちょっと不満。
瞳子がふと馬垣のほうを見ると、馬垣はガトーショコラを見つめていた。
そして、何かに気がついた様子で、急に洋の顔を見た。
洋は馬垣を見て笑っている。
馬垣は視線をガトーショコラに戻すと、微かに笑った。
瞳子は馬垣が苦笑したのだと思った。
コーヒーとケーキがいきわたって、場が落ち着いたところで鞠子が言った。
「さて、澄江さんが公正な人であることは私が保証する。今までの話の中に解答を導きだすために必要な情報はすべて含まれている。これは間違いない」
馬垣が続ける。
「しかも小学生でも理解できるような形で」
「それでは、いつもの通りでいきますか」
榊がカバンからレポート用紙を取り出した。
「まずは被害者から」
「ちょっと違うが、神原ということになるな」
「はい、続いて容疑者ですが、これは登場人物をすべて書き出した後で、消去法でいきますか」
「妥当ですね」
「では、まず劇作家の柴尾」
「それから、劇場主の朝宮」
「続いて、劇団同期の空山」
「コンビニのセクハラ店長」
「榊、個人の属性は後だ」
「失礼しました。ではコンビニのバイト仲間」
「これだけか。私は思い付かない」
「俺も」
「私もです」
「では、この中から吟味していこう」
瞳子と洋は目を丸くしながら展開を見つめていた。
鞠子の仕事については、話に聞くだけで実際に見たことはない。いつも、こんな風に進めているのかと、家にいるときの鞠子の落差に瞳子は驚く。
「まずはコンビニのバイト仲間からいこうか」
「はい。神原がバイトしているコンビニで、同じシフトに入っている大学生。女性でしょう」
「どうしてそう思う、馬垣」
「神原を擁護する口調から女性、バイトの時間帯は神原が劇場にやってきた時間から逆算して午後です。その時間にバイトできるのは大学生かフリーターの可能性が高い。神原の擁護をしたということは、親しくなる程度の時間は一緒に過ごしたものと推測します」
「推測が多いな」
「バイト仲間が実際は男性である可能性の吟味は必要でしょうか」
「榊、前提を思い出せ。小学生でも理解できることが条件だ。馬垣は推測を一般レベルまで落とせ。可能性が低い個人属性は、今回は必要ない」
「了解。ではバイト仲間は女性であり、目的である神原の恋愛対象にはなりえない」
「バイト仲間は除外してよいか」
鞠子、馬垣、榊が目を閉じて一分間程黙りこむ。
「異議なしと判断して次に移る」
「続いては、バイト先のコンビニの店長ですが、セクハラ寸前の発言が、実は神原への積極的なアプローチであるというのは」
「榊、それも前提条件の外だ。言葉の裏を読んだり、大人の事情を慮ったりする必要はない」
「私も同意します」
「俺も同意します」
「では、バイト先の店長は除外してよいか」
また、一分間の検討。
「異議なしと判断して次に移る」
「次は空山ですね」
「神原との関係を中心に個人属性を整理するとどうなる」
「昔からの友人で、気心が知れているために何でも話せる相手というところでしょうか」
「馬垣、追加は」
「神原からみれば都合がいい話し相手という位置付けでしょう。空山がどう考えているのか、それが話の中に現れていない以上、すべては可能性の域を出ません。残る二人ははっきり神原への愛情を告白している訳ですから、そちらを検討するのが妥当です」
「それでは、空山は除外してよいか」
三人が目を閉じる。
しかし、今回は三十秒経過していないうちに榊が目を開けて言った。
「異議あり。確かに自供の有無から残る二人を容疑者として絞りこむのは妥当に思いますが、状況証拠は空山に対しても有利ではないかと思います」
「論理的に説明可能か」
「いえ、現時点ではただの勘に過ぎません」
「分かった。私は榊の勘が考慮に値するものと思う。馬垣は」
「同意します」
「では検討に移る――と言いたいところだが、ここで確認したいことがある」
鞠子は洋に向き直ると、言った。
「パパ、もう答は出ているんでしょう?」
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