第8話 選択死1・午後の一息
***
昼時を過ぎた店内には客がほとんどおらず、揃って右腕を吊るした奇特な二人が人目につくこともなかった。
フライドポテトを左手でつまみながら、
(しかし、あれだな……)
利き腕が使えないため、片手でも食べられそうなハンバーガーを昼食に選んだのだが、包みを剥くのに難儀はするしいざ口に運ぼうとすると〝中身〟がこぼれそうになり想像したより食べづらかった。ドリンクにストローがついていたことが不幸中の幸いか。
一方で、対面の席に座る白髪の少女は手際よく包みを開いてハンバーガーを口にしている。さすが外国人といったところだろうか。それにしても。
「食べすぎだろ……」
彼女は黙々と、まるで作業でもするようにハンバーガーを食していた。表情は変わらずぼんやりとしたまま、しかし既に四つも平らげている。現在五つ目だ。その勢いは留まるところを知らない。
(見た目の割に食欲旺盛ってか……)
顔を上げたアルテルは人形のように整った顔立ちで、無機質な表情。唯一感じられる人間らしさといえば、何も考えていないかのようにぼんやりしているところくらい。
キャスケットを被り、白いブラウス、下は膝丈ほどのパンツという少年にも少女にも見える格好で、衣服はどれも買ったばかりの新品のようだ。彼女を送り込んできた父親――
(適当に選んだんだろうな、服……)
事務所に届いていた荷物の中身もほとんど最近調達されたもので、アルテル個人の私物と思しきものは見当たらなかった。彼女がどういう人物か、パーソナリティは相変わらず読めない。
ただ、今朝など自主的にシャワーを浴びていたり、今もこうして昼食をとっているのも彼女が自分から『空腹になりました』と言ってきたためだ。そんな初めての自己主張を無視するのも躊躇われ店に入ったはいいが、まさかこんなに食べるなんて思いもしなかった。財布が心配である。
(こいつのぶんの生活費ももらったらしいけど……)
はあ、とため息を吐く。
本当に、自分の父親は何を考えているのだろう。
(こいつがほんとに許嫁ってやつで……両親それぞれが望む方針に俺を引っ張るために用意したっていうなら――)
アルテルは〝普通〟サイドになるはずだが、どこをどうとればこの少女が〝普通〟に見えるのだろう。
(髪白いし、銃とか持ってるしな……)
それでいて一般常識の持ち合わせは少ない様子である。
とはいえ――敵か味方かでいえば、味方ではあるのだろう。
(……味方、な)
我ながら現実離れした判断基準のように思えて苦笑してしまうが、昨夜、アルテルに助けられたことは事実だ。少なくとも敵意はないだろうし、本人の意思かどうかはともかく、呼んでもないのにこうしてついてきているのは諒真を守ることが目的らしい。
(お嫁さんっていうよりボディガードだが)
しかし正直なところ、自分が肉弾戦において如何に無力かを自覚してしまった今、彼女ほど頼もしい存在もいないと思う。利き腕も使えないのだ。またあの赤コートと出くわせば、今度こそ殺されてしまうかもしれない。
「…………」
ポテトを摘まむ手が止まる。
ふと思い出してしまった。
自分を見下ろす、強い怒りの宿ったあの目が忘れられない。
そして、その時垣間見えた彼女の顔も。
「眼鏡……」
「…………」
呟きに、諒真の手元に視線を注いでいたアルテルが顔を上げる。ハンバーガーは既にない。諒真は黙って自分のポテトを彼女のところに押しやった。
「どんだけ食うんだよ」
礼も何もなく無言でポテトに手を付け始めるアルテルを見ていると少しだけ気も紛れたが、あのとき目にしてしまったことが変わる訳ではない。気分は沈む一方だ。
アルテルが現れる直前、諒真は赤コートのフードに隠れたその顔を目撃した。
(なんで……)
眼鏡をかけた、よく見知った顔――
(……お前が出てくるんだよ)
――
それは一応、予想の範囲内ではあった。しかし覚悟を決めるには不十分な推測だった。
何より――信じがたいのだ。
『そんなコワい顔してたら人が離れていきますよ?』
浮かぶ表情は笑みばかり。誰もが懐柔されるような、明るい性格の女の子。
そんなやつがどうして……なぜ? そんな理由はないはずなのに。
……なんでもいい。
(死んで、悪霊なって……通り魔やってたんなら、そりゃ化けても出てこないよな)
ジュースに口を付けても、苦い想いはうまく呑み込めない。
何か、自分に出来ることはなかったのか、と。
(……つっても、あいつが死んだのは、俺が寝込んでる間で……)
結局何も出来なかったのだろう。
……無力だ。
自己嫌悪に囚われそうになる、その直前だった。
ポテトが一本、眼前に差し出される。
視線を上げれば、アルテルが相変わらずの表情でこちらを見ていた。
「……別に、いらねえよ」
そう応えると、アルテルは無言でそのポテトを自身の口に運んだ。厚意のような何かを無下にされても表情一つ変えはしない。
「…………」
やっぱり何を考えているのか分からなかったものの――
(まあ……)
少しだけ、顔を上げることが出来た。
***
見下ろす先には、ベッドの上に横たわる生気のない女の子の姿がある。
(もう一人の、私……)
――レンカの本体だ。
病室に一人残されてからもうどれくらい経つだろう。ずっとこの少女を見つめ続けているけれど、蓮延憐果はぴくりとも動かず死んだように眠っている。
いや、もしかすると本当に死んでいるのかもしれない。
その魂というものが、自分だとしたら。
目の前にある〝それ〟は魂のない抜け殻だ。
(まあ呼吸はしてるけど……)
人工呼吸器に繋がれて。
「……はあ~……」
吐き出したため息は空気さえ揺るがさない。
このままじゃいけないってことくらい、レンカも分かっているのだ。
諒真に言われなくても、ベッドに横たわる彼女は死人と見紛うほどに儚く、このままだと本当に死んでしまうということはなんとなく察することが出来る。
戻るべき、なんだろう。
きっと〝それ〟が自分の――蓮延憐果の本来在るべき姿だ。
そんなことくらい、頭では分かってる。
だけど、割り切れない。
目の前の彼女は、もしかしたら自分とよく似ているだけの他人なんじゃないか――
……この子のために、どうして自分が今の幸せを手放さなくちゃいけないのか。
「私の、幸せ……」
それは、束原諒真といることだと思う。
彼は自分と同じ痛みを抱えている――同じ火災に巻き込まれ、意識不明に陥ったという同じ境遇にいる、自分にとって唯一の理解者だ。
そして自分もまた、彼の理解者であれるだろう。
レンカは昨夜、諒真の両親に関する話を聞いた。彼が異質な両親の間に生まれた子供であると知った。だけどそんなもの、今のレンカ自身の異質さに比べたらどうってことない。少なくとも自分ではそう思う。だから受け入れることが出来る。
「……でも」
彼は、望まないだろう。自分と一緒にいることを。
それはまるでお互いの傷を舐めあうような、留まるばかりでどこにも行けない、何も生まない関係だから。
それでも一緒にいようとするのは――自分の望む幸せを押し付けるようなものだ。
だから、去っていく諒真を引き留めることが出来なかった。
追いかけるなんて、なおさら。
……たぶん、これは弱さなんだろう。
自分が消えて、元の身体に戻り、目が覚めた先――それからのこと。
その時、〝自分〟は〝自分〟でいられるのか。
そして意識を取り戻してからも、彼が一緒にいてくれるのか分からないから。
(……そもそも、私が消えたからってこの子が目覚めるとも限らないわけで……)
そういうわけで、踏ん切りがつかない。
「……はあ」
とりあえず帰ろうか、そう思って振り返った時だった。
すうっと音もなく、病室の扉が開く。
「憐果!?」
現れたのは、知らない少年だった。
***
「さて――どうするかな」
腹ごしらえを済ませて店を出た諒真は、黙って後ろをついてくるアルテルをちらりと確認してからひとり呟いた
今から登校すれば午後の授業を受けられるだろうが、たった一時間かそこらの授業のためだけに登校する気は起きなかった。骨折もしていることだし間違いなく悪目立ちもする。真っ先につっかかってきそうな人物の顔が浮かぶ。それから彼女は心配することだろう。まさかこのまえ私がボコったから……束原くんってひ弱なのね。……とても不愉快な想いをする未来が想像できた。進む足が重くなる。
(というか、欠席すると連絡はしてあるから、わざわざ登校する必要はない)
ただ、一つ気になることがある。
(あの時――)
昨夜、赤コートの不意を突こうとしていた時だ。
――束原くんなのっ!?
どこからか突然飛んできた、言梨の声。
(あいつのせいで逆に不意をつかれて、このザマだ。……文句の一つでも言ってやりたい)
そして、どうしてあの場にいたのかと問い詰める必要がある。
一応あの時はレンカに確認させて、言梨を家まで送らせたものの、その後いろいろあったために結局レンカからも話を聞けていない。
場合によっては言莉に改めて釘を刺すか、もういっそ変な動きをしないように
そのためには学校に行かなければならないが――
振り返ると、白髪の少女が足を止めた。
(こいつな……)
何も言わずについてくるアルテルの存在が気にかかる。学校までついてきそうな気がしてならない。
それからもう一つ、ネックとなるのが――教室にいるであろう、束原
今までもそうだったが、これからはより顔を合わせづらい相手だ。
別に彼女との間に何かあった訳ではないし、こちらが普段通りを心がければ――
「…………」
そこでふと、諒真は足を止めた。
(……あいつは今、学校だ)
確証はないものの、恐らくはそうだろう。そうであってほしい。
となれば――歩き出しながら考える。
(あいつの実家はがら空き……)
あるいは――立ち止まった。
「っ」
つんのめりそうになりながら再び足を前に。歩調が上がる。心音が耳の奥で響く。
「……どうしましたか」
アルテルが思わず声をかけてくるくらいの何かがあっただろう。それくらい挙動不審だったのかもしれない。
「いや……べつに……」
応える声にも力がこもらない。
今更だが、気付いてしまったのだ。
昨日、実咲と共に蓮延憐果の病室を訪れた、その帰り道。
緋景の前に現れ、彼女と連れだって去っていった高校生くらいの少女。
――十代の女の子がやってきて、君の母親だと名乗ったら……相手はそれを信じると思うかい?
……信じられない。
(……まさか……いや、でも……)
――彼女は、歳をとらないんだ。
あるいは、そこにいるかもしれないと。
もしかしたら、会えるかもしれないと。
全ての元凶――、
そして。
(魔女)
――母親に。
ファンタズマゴリア -幻燈奇譚- 人生 @hitoiki
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