第7話 その事情2
***
「君のお母さん――
魔女――そう言われて連想するものを挙げてみる
人里離れた森の中に隠れ住み、怪しげな魔術を使う老女。ホウキで空を飛び、毒リンゴを授け、お菓子の家に子供たちを招く――事務所の応接間という場所柄ゆえか、そんなオカルトでメルヘンな発想が浮かぶ自分に諒真が苦笑していると、
「魔性の女……つまり悪女ってことですか? あぁ、だから
レンカが話の腰を折るように下らない事をぶち込んできた。どや、とでも言いたげにツッコミを期待するような顔をするレンカを睨むも、諒真は何も言わずに話の続きを促した。
「一般的に想像される『魔女』とは近いようでだいぶ異なるかもしれないね。本人もその言い方は嫌うけど、兄貴が言うには『魔女』で正しいらしい」
さっきの兄貴の話はこれに繋がるんだけど、と付け加えてから、
「兄貴が世界中を放浪して調べたところによると、『魔女』と呼ばれる存在は、この街のように――怪奇現象が多発するような〝力ある土地〟に、数十年に一人といった感じで生まれる、特異な能力や体質を有する存在のことを指すようだ」
「特異な……能力や体質……?」
「単純に霊が視えるといったことから……星架さんの場合は、自分が必要としているものを引き寄せる体質、という感じかな。たとえば、欲しい商品があるけどお金が足りない時、セールが始まってその商品がちょうど所持金で足りるようになる、とかね」
「それは……、」
単なるラッキーとか、そういう幸運な偶然が起こりやすいだけで、何も〝特異な体質〟というほどではないんじゃないか。
「まあこのたとえのようなことはそうそう起こるわけじゃないらしいから、あまり例としては参考にならないかもしれないけど、日常的な範疇に落とし込むなら、こういう感じといった具合だね」
より正確にいえば、何かを必要としているもの同士を結びつける――その商品を必要としているものと、誰かに使われることを目的として作られた商品とを。
「彼女のそれは、いわば〝縁結び〟。関連性やなんらかの形で共通項を持つもの同士を結び付けて、異なる、新たな
たとえばその霊魂が野球選手なら、本人が生前使用していなくても、バットやグローブといった〝野球という繋がりで縁のある器物〟を、あるいは〝霊魂と同じポジションというだけで面識のない人間〟に憑依させることも出来るという。
「そうした魔法めいたことが出来る、という意味においての『魔女』なんだ」
「…………、」
にわかには信じがたい話――なんていうのは、今更だろう。
隣に座る半透明の幽霊少女やぼんやりしている人形めいた少女の存在も、他人に話せば『魔女』の存在と似たように受け取られるだろう。
肝心なことは、そこじゃない。
「それで、どうして母親もいないんだ」
父親の事情は仕方ないとまだ理解できるが、母親のそれは別に父親ほどではない。
「問題はそこなんだ」
「『魔女』とは、力のある土地の、その力が結実した存在だ。親は普通の人間でも、なんらかの条件が揃うことでその母親に宿り、生まれてくる。生物学上でいえば人間に違いないし、この問題も、他の解釈で捉えることが出来る」
「……もったいぶってないで、」
不穏なワードの選択に不安が募り、つい急かしてしまった。
遊里が難しい顔になって、言う。
「彼女は、歳をとらないんだ」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
その言葉が何を意味するのか、すぐにはピンとこない。
「厳密にいえば、歳をとるスピードが他の人間より遥かに遅い、かな。年齢という意味でなら、当然生きた年数分だけ増えるけど、それに対して容姿が、身体的な変化がまったくないんだ。実際にこの先もあのままなのかは誰にもわからない。本人にさえもね」
「……世に言う美魔女ってやつですか?」
言葉に詰まる諒真に代わって、レンカがズレたことを言う。しかしそれはあながち的外れでもないらしく、
「そういう解釈もできる。実年齢に対して見た目が若いからね。ただ彼女の場合、若すぎるんだ。こういうことは説明しなくちゃ実感がわかないと思うけど……考えてもみてごらん。たとえば学校の授業参観や三者面談、十代の女の子がやってきて、君の母親だと名乗ったら……相手はそれを信じると思うかい?」
「…………、」
息を呑む。たとえ話の中に出てきた表現に、動揺を隠せなかった。
「今の彼女の見た目は、君と同年代の女の子とほとんど変わらない。今の、というより……僕の知る限り、君の生まれる前から」
「…………」
さすがに言葉を失った。
「ま、まあさすがに? 同年代とはいっても、
横からレンカが下らないことを言うと、遊里も同調して、
「それもそうだね、あははは……」
「ははは……はぁ」
空笑いがため息に変わる、空しい瞬間だった。
「……分かってほしいんだ。これから先、十年二十年と時を経れば、彼女はもしかすると、君の妹、あるいは娘といっても差し支えないままかもしれない。そうなれば、周りは当然、君自身だって星架さんを自分の母親だとは信じられないだろう」
「…………」
否定は、出来ない。事情を知らなければなおさら、知っていたとしても、どうだろうか。少なくとも、自信を持っては言えない。
「だから会えないんだ。会うのが怖いのだと思う。君がまだ幼いうちは特に、純粋ゆえの疑問を恐れて、成長した今は理性的な判断に怯えて。……こういうのは、時間が経てば経つほど踏ん切りがつかなくなるものだからね」
そう言って遊里が一息つくと、諒真もつられて嘆息しそうになった。
姿を見せない事情は分かったが、まだ気になる点もある。
「じゃあ……諒真さんのご両親は、二人揃って世界旅行中なんですか?」
なんとなく言い出せないでいた諒真の代弁をするように、諒真が聞きたかったことをレンカが訊ねる。
「うーん……それがねぇ……」
「?」
まだ、この上まだ何か、あるのか。
「ケンカ中なんだ」
諒真は思わず頭を抱えそうになった。というか、拍子抜けだった。
「……どうしてまた」
「そうだねぇ……一言で表すなら、教育方針の相違、かな」
遊里は困ったような顔で微笑みながら、
「君が生まれてしばらくしてから、君をどう育てていくかという点で二人は対立したんだ。兄貴は君に普通の暮らしをさせたいと主張した。〝普通〟の定義は、オカルトとは無縁な、ごくありふれた日常のこと」
先の父親の話が頭をよぎる。普通の暮らしをさせたい、そう考えるのも当然のように思える。
「兄貴自身が普通じゃないから難しい話だし、実際君にも〝視える〟わけだから、なるべくなら普通の暮らしをさせたいってところかな。視えたとしても、関わらなければ普通でいられるわけだから」
「…………」
「……こう言うとあれだけども、兄貴の考えは、視えるからといって他の人たちから、社会から孤立しなくてもいいんだって、少し他人とは違っても何も変わらない、〝普通〟なんだって、なろうと思えばそうなれるんだって、そういうことを君に……それから、星架さんに、教えたかったんじゃないかな」
思うところはあったが、今はまだ口に出すべき時じゃない。遊里の話に黙って耳を傾ける。
「最近よく思うんだけどね、僕には兄貴がいてくれたからだいぶ救われたけど、僕が生まれてくるまで兄貴は〝独り〟だった。兄貴は自分が〝異質〟だって自覚があって、自分から他人を遠ざけてたんだ。おまけに、うちの親も視えなかったようだから……理解してくれる相手もいなくて、相当つらかったんじゃないかな」
だからこそ、諒真には普通になれるよう努力してほしい、それが父親の教育方針。
「一方、星架さんはといえばその逆、彼女自身がオカルトめいた存在ということもあって、積極的にオカルトに関わっていくべきだという意見を持っていた。自分たちは〝異質〟だから、〝普通〟の人間とは相容れない、深く関わっても違いを実感して傷つくだけだと。それならヒトじゃなく、オカルトとの付き合い方を学ぶべきだってね」
その考えも、分からなくはない。ただ、少し極端なような気もする。それもまた、母親のこれまでの人生が影響した価値観なのだろう。
「ただ、まあ、関われば関わるほど、むこうも寄ってくるようになるものでね。そうなるともはや普通とは程遠い。だから兄貴は星架さんの意見には反対だった」
そうして二人はケンカした、と。
結婚し諒真が生まれて数年、表面上は仲が良くても、ことあるごとにその相違でぶつかることがあったようだ。
「兄貴の考えを聞いて、星架さんは〝自分〟を否定されたように感じたのかもしれない。受け入れたからこそ結婚したくせにね。でも、星架さんの考えにも一理ある。兄貴はなるべくなら君には霊の類と関わらないようにさせたかったみたいだけど、嫌でも巻き込まれてしまう場合だってある。そういう時に対処できるよう、ある程度の知識は身に着けておいた方がいいんじゃないかと、僕は思う」
「……父親は、その辺どうするつもりだったんだ」
「自分が一身に背負うつもりだったと思うよ。悪いものが君に憑かないよう、一種の避雷針のようにね。……けれど、君の方が避雷針に、兄貴の巻き添えを喰ってしまった」
父親の話の際に出ていた諒真の生まれて間もない頃に起こった〝トラブル〟というやつだろう。
「まだ五、六歳だった君が高熱を出して死にかけた。それはたぶん、なんてことのない、それこそこの前の明日野さんの件のような、霊的なものとは関係ない病気だったかもしれない。僕も詳しくは知らないけど……その件がきっかけだったんだろうね。それからしばらくして、兄貴は君の元から去った」
自分のせいで、息子が高熱を出したかもしれない。そういう懸念があって、だから自分は離れるべきだと、父親は思ったのか。
「ケンカ中ということもあって、君は僕が預かることになった。僕の立場は中立……まあ、少々星架さん寄りだけどね」
とはいえ、オカルト関係でも〝深いところ〟には関わらせないようにする配慮は見受けられる。
「それから……ほら、諒真くんはあの両親の子供だから。君にも何があるか分からないというのもあって。星架さんの方にいて何か悪い化学反応が起こってもマズいからね」
「…………」
霊的な資質の高い父親と、『魔女』の母親。その子供は、どれだけ〝異質〟なのか。
「まあ、以降は君も知っての通りだけど、星架さんは何かとちょっかいをかけてるみたいでね……」
「あ……?」
そういえば、父親は放浪の身だとしても、母親は現在どこにいるのか。会いたくないからと姿を見せないだけで、もしかして――
「君は自分の両親の顔を覚えていないだろう? 少し前に
「なるほど、言梨さんにはそんな過去が。諒真さんとの馴れ初めも察せられるというものです」
レンカがふむふむ頷いているのに遊里は苦笑しながら、
「あの子が巻き込まれたのはただの偶然だろうけど、あれに君を関わらせたのは星架さんの要請があったからなんだ」
行方不明になった娘を探してほしい。一応探偵事務所というのもあって、そういう人探しの依頼も来る。この前は、娘を案じて警察だけでなくより多くの人手を求めた言梨の両親からの依頼で、諒真は遊里に言われてその捜索に当たったのだ。
そして、記憶の一部を失った。
「間違いなく星架さんの仕業だろうね。おそらく、自分の容姿に関する記憶を消して……それから、君が父親の方だけに懐かないように兄貴に関する記憶も奪ったんだろう」
「……っ、」
今度こそ本気で頭を抱えた。呆れてものも言えない。隣でぼんやりしているアルテルの存在がひどく癪にさわった。
目を開けたまま寝ているとしか思えないほどびくともしなければ話にも入ってこないそんな彼女に目を向けながら、遊里は話を続ける。
「そして――君が話していた転校生、
「は……?」
「両親それぞれが望む方針に君を引っ張っていくために用意した、〝普通〟と〝異質〟のお嫁さんだ。いやぁ、より取り見取りだね」
「……いや、」
突然に、脈絡なく――いや、少しだけ遠い話だったものが不意に身近な出来事とリンクしたことに戸惑いを覚えた。そしてそれが嫌な感じに腑に落ちるものだから、諒真は空回るように口をぱくぱくさせるばかりで、うまく言葉を発せなかった。
「なんで、今頃……、」
これまで音沙汰もなかったくせに、と。なんとかそれだけ口にする。
遊里は微笑しながらおどけたように、
「そりゃぁ、やっぱり、もうすぐ君が十八になるからじゃないかな。ほら、日本の法律ではもう結婚も出来る年齢だから」
「なるほど、そういうことですかー」
レンカが得心いったとばかりに腕を組んでうんうん頷いている。諒真も不本意ながら納得できたが、そこまでポジティブな反応をするのは難しかった。
お嫁さん。緋景やアルテルが口にしていたその言葉が、たしかな重みをもったような気がしたのだ。
「それにしても、良かったですねー、諒真さん。ご両親生きてて。しかもお嫁さん二人もいて!」
別に最後の方が嫌味っぽくなくても、今の諒真は素直に喜べなかっただろう。
いろいろと、混乱している。もう少し時間を置いて、情報を整理したらもっと何か遊里に聞くべきことも浮かんだだろうが、今は――ひとつだけ。これだけは言っておきたかった。
「……身勝手だ、そんなの」
二人は、両親はそれぞれ〝自分の考える幸せ〟を諒真に押し付けようとしているだけだ。身勝手であり、独善的だと思う。諒真のことを考えているように見えて、その実――
「…………、」
続きを言いかけて、諒真は口を閉ざした。
遊里が微笑する。
「その身勝手こそ、君のことを大切に思っている何よりの証なんじゃないかな。だからこそ、自分の思う最高の幸せを、理想の幸せを、君に享受してほしいと思うんだよ」
その言葉に異論は浮かばなかったが、しかし納得もできない。
「なんにせよ、ただ一つ確かなことはね、君は二人から本当に愛されてるってことだよ」
――ならば、自分の思う幸せとはなんだろう。
(決まってる)
だから、それを――
***
諒真の腕を診てもらうだけ――自分はその付き添い。
それだけで、他には何事もなく病院を出るはずだった。
一緒に、病院を出るはずだった。
「これが、お前の本体だ」
診察と治療の会計を終え、あとは帰るだけというところで、レンカは諒真に連れられてある病室に向かった。
そこで、一人の少女と対面した。
死んだように眠る、自分と瓜二つ――いや、今のレンカよりもよほど幽霊めいて生気の枯渇した、
「昨日話した通り、今のお前はこうして、意識不明で寝込んでる」
昨日――そう、昨日。
諒真が赤コートに襲われる数時間前のことだ。
束原緋景の実家を偵察してくるもあまり良い収穫が得られず、なんでもいいから諒真と話したい気分だったレンカに、諒真は夕食の支度をしながら教えてくれた。
諒真はきっとそうやって〝もののついで〟といった状況じゃなければ話せなかったのだろうと思う。
ぶっきらぼうに、不器用に、端的に、必要なことだけを。
諒真は放課後、病院を訪れ、蓮延憐果の様態を確認したきたという。
蓮延憐果は一年前の火災に巻き込まれて重傷を負い、一命こそ取り留めたが意識不明で目覚めない。
……遊里から聞いた話の通りだったそうだ。
そんなことは今更で、少しずつ受け入れつつあった。特に気まずくなるようなものでもなかった。だけどそれ以降諒真とうまく話せなくなり、そうこうしているうちにあの赤コートと出くわして――
今でもまだ、うまく自分の感情が分からない。
ベッドに歩み寄りこうして俯瞰してみても、まるで他人事のようにさえ思える。
だけど、
「そして――、」
諒真の声にレンカは顔を上げる。
昨日は、そうは続かなかった。
「お前が現れたあの日を境に、こっちの
「……!」
つまり、それは、それが意味することは――
「〝ふたり〟でいられる時間には、限りがあるってことだ」
「……あとは、お前がどうするか決めろ」
突き放すように。
「原理は今もって不明だが、お前の正体は判明した。こうして突き止めた。お前の依頼ってのはそれだったよな。なら、もう終わりだ。もともとそういう話だったんだから、お前がうちにいる理由もないよな。家族も見つかってる。記憶がないのもそれで解決するだろ。なんなら今からでも呼び出してやるから、まあ授業中だろうけど来るはずだ。そしたら――好きにしろ」
レンカは思わず諒真の顔を見つめた。ベッドから離れたところに佇み、諒真は顔を背けている。少し後ろに立つアルテルの顔は相変わらずぼんやりしていた。
「お前が元に戻りたいんなら……そうする手段もあるかもしれない。改めてそれを依頼するんなら協力してやってもいい。ただ、とりあえずここでお前との関係は終わりだ」
「…………、」
「――じゃあな」
そう言って、諒真はレンカに背を向ける。病室から出ていこうとする。レンカはその背を見つめるばかりで何も言えない。アルテルはレンカに見向きもせず、去りゆく諒真を追っていく。
引き留められない。
――だって、それこそ、身勝手だと思う。
自分のことを調べてほしい、最初にそう願ったのはレンカ自身。
だけど今やそれは、一緒にいるための口実で。
一緒にいたいのに、いたければ依頼をするしかなく、それはつまり、〝自分〟が消えるための――
消える?
分からない。どうすればいいのか、どうなってしまうのか。いつもみたいに、嫌がられても無理矢理でもつきまとえばいいだけなのに、そうすることさえ、なぜか出来なくて。
ただ、独り残された。
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