と、言うのを先に伝えたい。
まず、この話はロボットを嫌悪する世界の話だ。余り書くとネタバレになるので書かないが。
シュルツ、マリア、ベイカー、クリス、登場する者は皆何とも生き生きとし、何よりそれぞれが傷と過去や事情を抱えていた。
個人的に好きなのはベイカーとレナーテだ。多分現実では一番合わなそうなのだけれど。
SFに詳しい者が読めばもしかしたらある程度、予想は付くかもしれない。けれどそう言うものは、気にならず次を読みたくなる話なのだ。
それはきっと魅力的な登場人物たちに感情移入するから。
シュルツ、マリアの葛藤。
クリス、ベイカーの悲哀。
トマス博士とヴォルフ局長の暗躍。
彼らの一挙一投足に読者もまた共鳴したように心が動く。
更に取り巻く環境。狩られるロボット、ヒューマノイド、狩ることで腹癒せする人間、etc.
ヒューマノイドに心は在るのか。ロボットは友か敵か。
本当はとても未来的なのだろうが、私には十九世紀のヨーロッパ、あるいはアメリカの町並みで起きているイメージが在った。
映像が浮かぶたび視覚的に観たいと思った。
とは言えすべてはこの小説を読んだからである。
緻密に描写され、人物たちが生き動くこの小説を読んだからこそ、「映画で観たい」と思うのだ。
まだ未読なSF好きに告ぐ。
お願いだから読んでください、頼みますよ←
ちなみに私はほぼ一晩で一気読みした。
検死解剖官の主人公と、ヒューマノイド達のやりとりが王道なSF小説を読んだという満足感を与えてくれます。
SF作家で有名なフィリップ・K・ディック氏が、大学の講義で話したとされる内容の原稿「人間とアンドロイドと機械」というものを以前に読みました。機械と人間の境目にあるアンドロイドの定義とは何かを検証するような内容でしたが、この話で登場するヒューマノイドにも医師の検知でも難しいほどの細かな境目が描かれています。
映画ブレードランナーの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?」では、人と機械の憎愛が見せ場なのですが、映画では綺麗になくなっていました。それを口惜しく感じたディック原典派におすすめです。
アシモフが死んでもう、20年以上が経っていると言うのに、俺たちはいまだにアシモフに(ある意味では)縛られ、その輝きの片鱗をなんとか拾い集めて、そうやって暮らしている。
アシモフの何が凄いか、なんて話はもう、数万人がそれぞれの言葉で述べているし、今更言うことではないけれど、その凄みの一つは新たな学問体系を築き上げたことである。
ロボット心理学者、スーザン・カルヴィン。
心理歴史学者、ハリ・セルダン。
ひとつの新しい学問が切り開かれれば、そこには付随するたくさんの物語が生まれる。
ひとこと紹介に書いたように、「ロボット検死解剖官」という発明は、この学問体系の構築に比類ない大発明だと思う。惜しみない称賛を贈りたい。
もちろんアシモフのロボットシリーズには、ほとんど「ロボット検死」に近い作品群も存在するけれど、それを担う人物は時には航宙士であり、ロボット心理学者であり、メカニックであった。それに専属の職業を作成したこと、確かにその職業が存在してもおかしくないこと、そして、その職業には、ロボットへの愛があること。どれも素晴らしい。
もちろん設定だけが素晴らしい訳ではなく、文章も読みやすく、あとマリアも健気かわいいので、その点も問題ない。
24万字の長さをまったく感じず、日々更新を追いかけてきた俺が言うのだから、間違いない。お疲れ様でした。
ところで、ドクター・シュルツの博士時代とかの、もう少しドライな、SFミステリスピンオフがあったら、俺は宙返りだって決めてみせるというくらい、それも少し、期待している(勝手に)。