第684話「熱き闘魂の少女たち」
二人の子供たちは何が起きているのかわからない。
殺される寸前のところを救われたということはわかる。
事態が打開されたわけではないことも理解できた。
彼女たちを背に庇っているこの救い主の手には拳銃もナイフも握られていない。
唯一わかる背中も頼もしいが逞しいと呼べるほどの大きさはなく、乱闘にでもなればすぐに叩きのめされてしまいそうなぐらいに細い。
なのに、彼は―――震えてさえいない。
この絶体絶命の状況に及んで。
周囲をマッチョの狂人・魔術師・殺人鬼に囲まれていて、どこにも逃げ場がないというのに。
なぜ、この背中は震えないのだろう。
「あ……」
二人の目が一点に集中する。
右手がぎりぎりと血がにじむぐらいに握りしめられていた。
戦いをする高揚感のための行為にしては不自然だった。
だから、二人は察した。
この握りこむ仕草だけが、救いの主の恐怖と勇気の鬩ぎあいの場なのだと。
彼が意志の力で揺らぎまいとしているのは彼女たちを庇っているからだ。
ただでさえ希望を失って怯えている自分たちを気遣って、降りかかる怯懦と戦っているのだと。
怖くないはずはない。
だって、この救い主はただの男の人なのだもの。
登場の仕方は妙に劇的で、天空からゴンドラに乗ってやってくるオペラのヒーローみたいだったのに、実際には普通の一般の人なのだ。
なのに、初対面の人種も違う彼女たちを護ろうとしてくれている。
不思議だった。
神さまがいないと確信してしまった直後に、彼女たちと同じ人が助けの手を差し伸べようとしてくれているのだ。
スーパーマンでもバットマンでも、ジャック・バウアーでもリック・グライムズでもないただの人が―――
(どうして……?)
(どうしてなの……?)
彼女たちにはわかろうはずがない。
それは、この救い主の妹がかつてのっぴきならない窮地に陥ったときに手を差し伸べてくれた、
人の身ではどうにもならぬ闇の中まで手を差し出して、助け出してくれた恩人への感謝を自ら体現することで果たそうとしているのだと。
ゆえに少年は、退かぬ、逃げぬ、迷わない。
或る少女のように。
そして、その握った拳からでさえ震えが消えたのに二人は気がついた。
少年の視線がある一点に注がれた瞬間だった。
「Who fuck’n youuuu!?」
三角コーン頭が誰何した。
彼らの中には万が一でもこの少年が
英語があまり上手でない少年なので、会話をすることはしなかったが、ただ天を指さして、空間の割れ目の奥底に消えたおそらくは黒と虹色の光球に目掛けて、
「なにが〈すべてにして一つのもの〉だ。二か月ぐらい一緒にいて結局、降三世明王と同化していた僕を消化しきれなかったくせに。いいか、〈ヨグ・ソトト〉。いつか、僕はまたおまえのところに行ってやる。それで今度はもっと手痛い目に合わせてやる。それを覚えておけよ!!」
と、罵倒した。
日本語がわからないものたちは彼の言っていることがわからなかったが、罵倒のニュアンスは万国共通なので敬虔なる狂信者たちは自分たちの神に向けて悪口雑言が吐かれていることを悟った。
やはりこの少年は神の御使いなどではない。
圧倒的不敬者だ。
ここで生贄もろともぶち殺さなければならぬ。
そう咄嗟に考えて、三体の死刑執行人が巨大なる鈍器にして刃物を振りかぶった。
しかし、先ほどのように振り下ろされる寸前に止まった。
広場に集ったものたちの視線がすべて一か所に集まる。
「なんだ、貴様らは!!?」
さっきの少年の登場と同等、それ以上に不可解なことだった。
上から降りてきたのでも、地から生えてきたのでもなく、瞬きをする間に突然現れたものたちがいたからである。
白と紅を基調としたいわゆる
ラメ入りの生地で造られて、目と口の部分にメッシュ素材を使用した覆面をつけて、さらに袖と裾にらしいヒラヒラがついた巫女……
肩でばっさりと切断されて袖部と胴に巻かれたタスキ、紫の地下足袋をつけて、ボンタンズボンのようなニッカポッカを履いた愚連隊のような巫女……
上半身はノーマルだが、緋袴は露出の激しいミニスカートになっており、さらに白いニーソックスとスニーカーというきゃぴきゃぴした巫女……
動物の耳のように立った特徴的な髪型をして、両手には10オンスのボクシンググローブをつけた巫女……
二色のメッシュの入ったショートカット、目元に星のシールが貼っているだけでロッカーのようなのに、スタッズや鋲が革ジャンを着こなした、これまた巫女……
いずれも本国で見掛けたのならば正気かコスプレを疑われても仕方のない改造巫女装束をまとった五人は、子供を庇う少年をさらに護るように立ち塞がった。
まるで彼の守護天使であるかのように。
「みんな―――」
少年は感慨深げに話しかけようとしたが、全員に手を上げられて遮られた。
五人とも彼を見ようともしない。
さすがに訝しく思って再度呼びかけようとすると、
ドゴオオオオオオン!!
と、鼓膜をつんざきかねない轟音が天から鳴り響いた。
同時に空を割っていた異様な異次元空間が急激に元の夜空に戻っていく。
星の瞬くアメリカ大陸の真の空に。
音の発した震源と思われる一角に月に照らされる人影があった。
空を飛んでいた訳ではない証拠に徐々に影は大きくなり少年たちと同じサイズになる。
ふっと浮いたように速度が鈍ることであれほどの高さから墜ちてきたとは思えぬほど自然にその影は着地した。
この新たな人物も巫女であった。
他の者たちと同じようにおよそ原型は留めていないがどういう訳か巫女以外にはないと納得してしまう雰囲気を持っているからだ。
両手首に巻いた革のリストバンドと革のリングシューズを履き、ところどころを動きやすいように絞られていた裁縫された改造巫女装束であるというのに。
理由は簡単だった。
彼女の凛々しく美しい美貌と表情は聖なるものでしかありえない高潔さと神秘を醸し出しているからだ。
聖なる大文字の正義という神の神託を告げる巫女。
それ以外に形容のしようがない。
「
子供たちは祈りを唱えた。
神はいた。
苦しむ子供らに救いの手を与える神がいた。
そうと考えなければこの奇跡は説明すらできない!
「―――すまない、逃がしてしまった」
落下してきた巫女が悔しそうに言った。
「いいんじゃねえのか。どうせ閉じかけていたんだし、こっちには触手もでてきていないんだ。どうせ攻撃は当たらねえ」
「ノ. ここは或ッチの失態を追及するべき。失脚させる絶好のチャンス」
「まあ、いいところを見せようとしたのかもしれにゃいので、あとで総括するのはいいかもしれませんけど」
「嫌だなあ、嫉妬に狂った見苦しい争い。ねー、可愛い後輩ちゃん」
「……脇に手を突っ込まないでください。セクシー皐月先輩に揉ませるために開けてあるわけじゃないんですよ」
巫女たちは口々に言うが、この段階になっても少年の方を一瞥さえしない。
「―――えっと、みなさん……?」
手を伸ばそうとすると、手首を掴まれて背中から地面に叩き付けられ、少年は巫女に押し倒された。
「痛いよ……」
とりあえず大して痛くもなかったが言ってみる。
同情を買えないかなという姑息な考えのもとに。
だが、無視された。
あたりまえであった。
かつて二年近くも一緒に死線を潜ってきた相棒にそんな見え見えの寝言が通じるはずもなかった。
首のあたりに拳が叩き付けられる。
「怖い壁ドンだなあ」
冗談が通じる雰囲気ではなかった。
しかし、言わないと死んでしまいたくなるような沈黙ののち、
「たった二か月ぽっちで探し当てただけ、ボクらは相当頑張ったと思うんだけど、オマエはどう考える?」
「……さすがだとしか……」
彼女が人を呼ぶときは「キミ」というのが基本であり、「オマエ」という単語は怒り心頭に達した場合しか口にしないということを知っている少年は震えあがった。
前にしたことで怒髪天に達するがごとく怒らせているということを懐かしさのあまり忘れていたのだ。
「ボクはオマエに〈
「冬のオホーツク海は寒いので止めた方がいいと思うけど」
「ぶっちゃけ、ボクだけでなくてあと何人かは三日三晩リンチしてやりたいぐらいオマエに対して憤っているんだけど……」
「えっと、わかります」
「―――ただね」
巫女は展開についていけず呆けている二人の子供を優しく見つめ、
「……この子たちを護ろうとあんな異次元の隙間から帰還してくるようなキミだから―――升麻京一だから、ボクは大好きなのさ」
少年が思わず顔を赤らめると、話を聞いていた巫女たちの数名が「オレもオレも」とか「あたしもじゃん!」とか「てんちゃんもですよー」などと騒ぎ立てた。
とりあえず抜け駆けは許さん、ということであろう。
「御子内さん……」
押し倒した京一から身を離すと、巫女―――御子内或子は彼女たちを取り囲む、ヨグソトト教団の狂信者どもを睨みつけた。
「音子、藍色。吊るされている遺体を助けてやってくれ。これ以上、晒しものにしておくのは忍びない」
「シィ」
「了解です」
身軽な二人が消えると、刹彌皐月を見て、
「皐月はこの子たちを護ってやってくれ。キミが適任だ。……京一は―――自分で何とかするから放置しておけばいいさ」
「同意。京さまを殺すなんてことがこいつらにできる訳はないからね」
刹彌流柔は護衛のためにこそ力を発揮する殺人鬼のための技であるからこその依頼であった。
それから、明王殿レイと熊埜御堂てんに合図を送り、
「ボクとキミらはこの囲みを叩き潰す。妖魅・魔獣はすべて斃して、魔術師は再起不能にしてやろう。こいつらは絶対に許しちゃいけない悪魔どもだ」
「おう」
「わっかりましたー」
最後に京一を睨みつけるとどんな鬼でも逃げ出すような迫力のある口調で言った。
「キミがどんなに逃げてもボクは地獄の果てまで追っていくから忘れないことだね!!」
「……肝に銘じておきます」
京一の腹をくくっているのかどうかよくわからない答えに対して、御子内或子は不意に微笑んだ。
年頃の少女のものに相応しいあどけない、恋する少女の笑みだった。
これこそ、どんなことにも動じないと言われる升麻京一が記憶に焼き付けて生涯二度と忘れなかった光景であった。
それをすぐに戦う闘士の表情に切り替える。
「さあ、そこで見ているがいい!! こんな悪い奴らはすぐにボクらが退治してやる!! 巫女の熱き闘魂にかけてねっ!」
六人の巫女レスラーたちは飛び出していった。
この世を荒らす邪悪なやつらをこれ以上のさばらせないために!
自分たちが最強であることを、拳と肉体言語で証明するために!!
舞え、戦え、巫女の中の巫女、最強のレスラーたちよ!!!
巫女レスラー 完
巫女レスラー 陸 理明 @kuga-michiaki
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