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 キャラクターをダシにした、唐突な自分語り。

 前に近況ノートとかで「もうプライベートは書かない」みたいな事を言った気がしますが、忘れました。笑

 ので、キャラクターをダシにして、ちょっとした事を書いてみようと思います。
 陣内隼人、という人物を描いてる内に、自分に重なる部分が多いなぁ、って感じました。

 いや、色んな事が簡単に出来てつまんない、とか、そういう事ではないです。

 僕は何かを始める時にまず「難しい」と感じる人間です。出来なかった事が出来る様になっても新たに「ああ、そういえばコレも出来てなかったんだなぁ」と気づいては「それを出来る様になりたい」と思い、それをモチベーションにして生きてる人間です。
 飢えてるといえば飢えてるのかも知れませんが、それなりにポジティブ思考だと思ってます。
 少なくとも自分を「神通」などと比喩する事は出来ません。

 何が重なるのかというと、劣等感、ですかね?

 というのも僕はどうも他人に「父親」を求めてるみたいです。
 正確には「強い父親」かな?

 何処かで書いたかもしれませんが、父は僕が小学生の頃に脳梗塞になり、退院した後も職場に居場所がなくなって無職になりました。その後も何度か家族の為に働く場所を見つけるのですが、その度に脳梗塞を再発し、後遺症で働けない身体となりました。更に、落ち込んで静かな状態の時もあれば、家族の誰かに八つ当たりをしたり、我儘を言ってみたりと、心も病んでた様に思います。

 そんな父を母は「情けない」と言い、僕もそれに共感してしまいました。

 またある時、ああ、これはもう僕が成人してしばらく経った後のお話です。

 同じく既に成人済みの弟に対して父親が何か文句を言ったそうです。
 イラッとした弟は言い返しました。
 すると父は包丁を持って弟を殺そうとしました。
 弟はそれに逆上して、玄関にあった何かの棒で父をめった打ちにして黙らせたそうです。

 その時僕は実家に住んでおりませんでしたので、このお話は後になって母から聞いた話ですね。

 で、僕にとって弟は弱い存在でした。
 仕事もせず(その時は)(今は頑張ってます)に、携帯の料金だとかカードローンだとかで母を困らせ、僕に殴られて泣かされる、そんな弱い存在です。
 そんな弟に返り討ちに遭った父親を再度僕は「情けない」と思ってしまいました。見下したくありませんでした。でも「もう何も期待出来ない父親」に僕はとても悲しかった事を覚えています。

「子供はいずれ親を超える」とは云いますが、それは親が老いて子供が成熟した後の話だと思ってます。父は僕がまだ子供であった頃に、家族の中で一番弱い存在になってました。

 僕が父を情けないと思ったのは、僕達兄弟を養う為に苦労していた母を間近で見ていた事による不満もあったのかもしれません。
 ですが、その根底には「強い父親ともっと何かをしたかった」という無い物ねだりがあったのだと、今では思います。

 僕の家にはお金がありませんでしたが、それは別にどうでもよくて、周りの人達が「親と何々した」「親と何処何処に行った」と言う度に、強いジェラシーを感じていました。もちろんその時は自覚なんてしてませんでしたが。

 成人してからも、「父に相談した」だとか「成人祝いに飲みに行った」だとか、そういうエピソードを見たり聞いたりした時、物凄く寂しかった記憶があります。

 父は僕がまだ小さい頃、それこそ幼稚園児の頃からスパルタ親父でして、色々な事を教えてくれました。それを「僕が大人になるまで続けて欲しかったなぁ」とか思ってたんでしょうね。

 どうやら隼人にも、そういう部分があったみたいです。描いてから「アレ? 何年か前の俺じゃん!」って思っちゃいました。笑

 後はアレですね。
 弟が自殺未遂した時でしょうか。
 僕の弟は発達障害だとか軽い自閉症だとか医師から云われてましたが、数字だけ見たならギリギリ健常者でした。でも「普通」ではなかったんでしょうね。周囲の人達からしてみれば。弟にも得意な事はあったのですが、それを活かす場所もなく、色々と追い詰められていたのでしょう。

 ある日の夜、母から「弟がおかしい」と電話があり急いで駆けつけてみると、焦点の合わない目を見開いて床に仰向けで壊れた人形の様に手足をバタバタさせながら「うーうー」唸っている弟が居ました。首にはテレビか何かに繋ぐコードが巻きついていたそうで、その跡がついてました。
 どうやら自分で首を絞めたか、ドアノブで首を吊ろうとしたかした様です。
 弟は三日ぐらい目を覚まさず、起きた後も後遺症が遺りました。

 その時の弟を雇っていた社長さんが、アレコレ僕らに言ってくれましたが、定型分の様な言葉の羅列を聞いて、何というか「残念ですね」程度の気持ちしかなかった様に感じました。
 実際の所はわかりません。
 そういう時は「あんまり余計な事を言わない方が良い」という事情もわかりますので、ただ僕がそう感じただけです。

 で、僕が病院に見舞いに行く為に同僚とかに「こーゆー事がありましたので早く上がらせてもらいます」とか言ったりした時も、深刻そうな顔をしてくれはしたんですが、どちらかといえば僕が休むことでスタッフの仕事量が増える事を心配してた様子でした。
 当然といえば当然なんですけど、普段皆んなでワイワイやってた間柄だっただけに「結局そんなもんか」って思っちゃったりしました。

 要するに「自分にとっての悲劇は自分だけのもので、他人にとっては悲劇ではない」という事ですね。自殺、とか未遂、とか、そういう言葉があちこちで観られたりもするので、興味すら感じないのでしょう。
 こういう「よくある話」ってのは多くの人達にとって「聞いた事がある既に飽きた話」なのだと思いました。
 僕自身も、知り合いでもなく顔も見た事がない人がそうなったとか、有名人が死んだ、みたいなニュースを観たり聴いたりしても、心が動く事は少ないです。
 ですが、目の前にそういう人がいると「何とかしたい」と思ってしまいます。出来る事なんて限られてるんですけどね。

 そして、僕と同じ様に思ってそうな人を見ると親近感が湧くのですが、そうじゃない事を知ると「ああ、やっぱり違った」と、勝手に離れて行ったりします。
 ああ、急に話し掛けなくなったりとか、そういう事ではないです。ただ心が離れて何も期待しなくなるだけです。

 隼人にはそういう部分もあるよなぁ、って思いました。

 自分が作り上げたキャラクターにそんな事を感じるのは、かなりおかしな事だとは思うのですが、ちょっとだけ「同情」してる自分がいました。あとは「幸せになれて良かったね」とも思ってます。

 あとは「女は女であればそれ以上は望まない」みたいな時期もありましたねー。笑

 他のキャラクターも、もっと掘り下げて行けば、何か自分に繋がる部分があるかもしれません。

 一応そうならない様に「他人」を色々調べて描いてるんだけどなー。笑

 
 
 

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