今日、メチャクチャ嬉しい事がありました。
それは——弟が自分でバイトを見つける事ができた!
という事です。
え? 大した事ない?
いえいえ、これから書く「前提」を見たなら、その感想は変わるはずです。
実は僕の弟、ボーダー「でした」。
軽い自閉症、軽い発達障害。
平均から離れてはいるものの、そこまで極端には離れていない、そんな感じの子供で、大人になってからその「平均的な社会」に呑まれて、自殺未遂の末、後遺症で「本当の障害者」になってしまった。
そういう弟です。
紆余曲折あって「俺みたいな働く能力のない奴は生活保護とか貰って生きてれば良いんだ」みたいになり、コロナ禍で「障害者用のお仕事」をする事すら困難になって、ここ数年、引きこもってこそいないものの、ストレスで母親に愚痴ばかり言うようになってました。
そんな弟がバイトを見つけたのです!
「ふーん? 偉いじゃん」
そんな感想を持ったソコのアナタ!
まだ聞いてください。
弟がバイトを探そうとした「その理由」こそが、僕はメチャクチャ嬉しいのです!
先月の事——。
僕は母から弟がバイトを始めた、と聞きました。
その時の僕は「まぁ一時的な気まぐれだろう。でもそれで前向きになってくれるなら嬉しいな」程度にしか思っていませんでした。
しかし不運な事に、弟はバイト三日目にしてコロナに罹ってしまい、そこでのお話がパーになっちゃったんですね。
バイト先が悪いわけじゃなくて「そういうシステム」を使ってアルバイトを探したから、です。そのシステムも悪いものじゃなくて本当に「残念だった」としか言えない出来事でした。
僕は思いました。
「ああ、きっとコレで心が折れちゃうんだろうな」
と。
しかし、弟がどうにかこうにかして、これから働く予定のアルバイト先を探し出したという事を今日、母親から電話で教えて貰いました。
諦めなかった僕の弟。
なんで?
弟は野心を持っていたのです。
一度障害者として認定されてしまうと、働き口はかなり狭いです。本当に。
しかもそういう人達に斡旋されるお仕事は日給にして「たった数百円ぽっち」である事も多い。一日中働いたとしても。
弟は考えました。
「俺障害者だけど、自分でメシ作れるし、掃除もできるし、買い物もできるし、そういう普通の事は普通にできるんだよなぁ」
「ならそういう括りに捉われないで、やっぱり健常者の人達がやってるような仕事をしよう」
「もしそのお仕事が自分に難しい仕事だったとしても、やればやっただけ、できる事が増える」
「そしたら選択肢を増やす事が出来るかもしれない」
「ゆくゆくは、俺みたいな人達の選択肢を、増やせるかもしれない」
無理だと思いますか?
一度社会に、他人に打ちのめされ、心の折れた弟が。
絶望して後ろ向きな事しかいえなかった弟が。
しばらく「働くという行為」をしていなかった弟が。
そんな弟が、そんな事を言うのが。
前提を、変えましょう。
例えば弟が「やっぱり今見つけたバイトが上手くいかず『一ヶ月くらい』で辞めた」とします。
非常に残念ですが、それでも「一ヶ月働いた実績」と「出来る事ちょびっと増えた」という、事実、が生まれます。
だから「次のバイト先では二ヶ月くらい働けそう!」となりませんか?
既に一度、一ヶ月働いたのです。もう一ヶ月くらい、イケそうな気がしません?
更に二ヶ月でダメだった場合。
別の場所で四ヶ月ぐらいなら出来そうな気がします。
それを繰り返せば「むしろダメになる事の方が考えにくい」と、なりません?
平均、というモノは、色んな数字によって作られます。弟は別に「その端っこ」にいるわけではないですが、たとえ端っこにいる人であったとしてもそれは「平均の範囲内」なのですよ。
平均を作り出してる人達の中の、たった一人に過ぎません。ふふふ。
それを僕はどうにかして弟に伝えたいとか考えてたんですけど、まさか自分で思いつくとは思いませんでした。
まだまだ僕の中の平均も、狭いようです。
つまり、ちょー嬉しい❣️
以上であります!