いやー昨日はさすがに疲れました。なんせ寒い中橋の打設作業(コンクリート流し込むやつ)(実はその前にも違う作業をちょっとやった)の後に高速道路に泊まり込みで除雪作業なんかやってたんですから。
だから今さっきまで寝てました。
て、なんで起きたのかというとです。
ピンポーン、と家のチャイムが鳴りました。
僕は「はーい!」と玄関を開けます。すると……。
——うわ! 来やがった! 最近全然来ないから、完全に油断してた!
そうです、とある宗教の勧誘です。
さてタイトルにもある通り、これから宗教の断り方を書くわけですが、その前に、彼らが悪い人ではない事をお話しておきましょう。
基本的に宗教とは、それを必要としている人には必要です。
たとえば「自分の生き方を自分で決めるのは面倒臭い、疲れる」みたいな人や「生きる事を考えるのはツラい」みたいな人、あとは「良い事言ってくれてるから信じたいのに、なんで皆んな嫌うんだろう?」みたいな人は、そういうモノに入信した方が、個人的には幸せだと思います。
世の中ってけっこう、しんどいですからね。
それに聖書なんかには本当に良い事も書いてありますし、生きる為の教訓も書いてあります。
つまり、生きる糧にするには十分な内容であると言えます(つーか入信しなくても、一部でも生きる為のヒントになるなら、それが宗教の本分じゃねーの?)
おやおや? 心の声が漏れてしまいました。コレは僕の心が汚れているからですね。猛省します。
さて本題。
玄関を開けた先に居たのは、分厚いコートとマフラーを着込んだ年老いた男女。恐らく老夫婦なのでしょう。このような人達を邪険に扱うなど、僕にはとてもできません。
二人のうちの女性が言います。
「こんにちは。おやすみのところ、すみません。〇〇の〇〇です。今日お伺いしたのは、ちょっとだけお話を——」
彼女が言い終わらないうちに、僕は「忙しそうに」言いました。
「あーごめんなさい。実は以前にもお話を聞いた事がありまして。その時はそれで終わりだと思ったんですけど、次の週のお休みにまた、その方と、その方の息子さんがいらっしゃったんです……」
「ああ、そうなんですね……」
彼女は寂しそうに言います。この後の僕の言葉が予測できたのでしょう。
「その時にです……ちょっと失礼なんですけど……『迷惑』に感じちゃったんですね。すいません、寒い中来ていただいたのにこんな事言ってしまって……」
ここでのポイントは、「本気で申し訳ない」と「思いながら」も「ハッキリと『迷惑』だと伝える」という事です。
その女性は続けます。
「いえいえ……ただちょっと役に立つお話をさせて頂こうとしただけなんですけど……」
そう、彼ら彼女らは断られるのなんて日常茶飯事。だからこそ、食い下がります。
次の僕の言葉。
「すいません、ホント。せっかく来ていただいたのに『しつこい』なんて言ってしまって」
ハイ、お分かりでしょうか? 僕は先ほどの会話で「しつこい」などという言葉は使っておりません。でも、こうやって言う事で相手に「自分の素直な本音」を「匂わせる事」ができるんですね。
「……そうですか。すいませんでした……」
僕の心がチクリと痛みます。ので、ここで優しい本音も言います。笑
「こちらこそすいませんでした。全然、嫌いとかじゃないし、『忙しくなければ』お話くらいはいつでも聞くんですが、『忙しくない日がない』んです……」
コレでオッケーです。
無理に強い言葉で追い払ったり、或いはからかったりなんかしちゃうと「相手もムキになって」執着されるパターンもあります。
宗教の勧誘をする方々が「自分と同じ地域に住んでいる事」を忘れてはなりません。
その上でハッキリと「無理である事」を伝えましょう。
この方法なら、しばらくは勧誘は来ないハズです。
んで、もしまた来るような事があってもそれは「今のやり取りを知らない人」であります。
取り敢えず「自分に課された住所をしらみ潰しに回る別な人」です。同じ対応をしましょう。
個人的な肌感覚で申し訳ないですが「勧誘のローテーション」がそんなに細かく代わる事は少ないっぽいです。
皆んなやりたく無いから、特定の人達が、そういう役割りを押し付けられちゃうんでしょうね。
本来は信じたい人だけ信じれば良いのに、「数を増やそう」とか考えるから、せっかく入信した人達が「可哀想な事をしなきゃならない」んでしょう。
あ、たまに居ますけどね?
本気で「コレは親切なんだ」とか思い込んでる人達。
最後に余計な一言を添えて、デワデワ❣️