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「やまと」初期の勢力範囲(「卑弥呼は記紀に登場する人物か?」資料)

 黛弘道氏(『古代学入門』黛弘道 筑摩書房 P87-89)による3世紀頃の大和勢力範囲をグーグルマップで確認してみました。

 邪馬台国大和説の場合、邪馬台国というと漠然と今の奈良県位の範囲に及ぶ地域じゃないかと想像してしまいそうですが、初期のやまとは山邊郡大和郷というそれ程広くない地域から名前が来たものであるとする黛氏によれば、それは大和神社(大和坐大國魂神社)の所在地として知られており、三キロあまり北には物部氏の氏神である石上神宮があり、五キロ南には大神神社があり、有力氏族の勢力であるこれらの地域まで大和の勢力が及んでいた訳がなく、この頃の大和はせいぜい南北四キロ程度であったとのこと。

 又、東は山が続いており、古墳が造られた丘陵地帯であり、残る西の方も唐古遺跡があるように、弥生時代は湖沼地帯でした。

 地図を確認すると、大和神社東部の大和古墳群の最東部(大和神社から約一.五キロ程度)にある二ノ瀬池塚古墳辺りまでが恐らく原初やまとの東端の勢力範囲であり、南は遷移前に大和神社が存在した場所とも言われている長岳寺辺りまでだったのかも知れません。

 だとすれば原初の「やまと」は大して広い範囲(南北四キロ、東西は広く見積もっても五キロぐらい?)ではなく、『魏志倭人伝』の七万戸という戸数に誇張があるとしても、三世紀頃のこの地域に邪馬台国と呼ぶのに相応しい大集落が存在したのか疑問ですね。



・卑弥呼は記紀に登場する人物か?
https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330660819887192

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