人々は、そろそろこのエッセイがただのしがない一般人の平凡な日記であることを悟ったことだろう。どこが平凡なのか、どこが日記なのか、と疑問を抱いた方は、ぜひとも仲良くなりたい方である。
さて、僕はそろそろ日記に甘んじていないで作品を生み出さなければならない。しかし、作品を生み出す時は、その大抵が、現実にうまくいかないときに多かったりする。感傷的な心が自らを嘲る時、皮肉にも似た表現達が生まれてくる。
もし、誰かが僕の小説や表現を褒めてくれたとする。これが素敵だと、この表現が巧みだと言ってくれている時、現実の自分はどうしようもなく荒んでいる。
この荒んだ心を整えようとする働きが作用して、執筆に打ち込むのだが、疲れ切っている時が多いので捗らない。
逆に、誰も自分の文章を評価しないときは、大抵が、現実がうまくいっているときである。現実がうまくいっているので、執筆もさぞ捗る。
捗るのだが、現実がうまくいっている勢いに乗せすぎて、表現もおざなりになる。そして、執筆活動がうまくいかなくなる。
こうして、妙な反比例が起こっている今、どのようなバランスを保って自分は活動すれば良いのかわからなくなる。
これが、執筆も、現実もうまくいかなくなったとしたら、自分はどうなってしまうのだろう、と考えることもある。
そういうとき、いつもきまってこう言うのだ。
「さて、ラーメンでも食いにいくか」
だいたいのスランプは、ラーメンを食えば抜けられる。
自分の身の回りがうまくいかないのは、自分が人の評価を気にしすぎて、自分がどうしたいのかを全く考えていないからだ。
本当は大したことのない問題でも、ちょっとした疑心が暗闇を濃くしてしまう。
そうなるまえに、心の健康を保とう。
明日できることは今日やらない。
夏休みの宿題は最終日のお楽しみ。
大丈夫、ダイエットは執筆した後でもできるから。
そう言い続けて、既に数年が経過している。
体重計に乗ろうか乗るまいかを考えるため、今日も執筆はすすまない。
✳︎✳︎✳︎あとがき✳︎✳︎✳︎
しばらく旅に出ます。探さないでね☆