何事も、初心を忘れてはならない。
そんな小学生でも知っているような教訓が人生では要であると言える。
ものごとはシンプルであり、いわば基礎基本の積み重ねと繰り返しである。
それをどうだろう。
妙に複雑に絡めようとする思想が蔓延るかのように世の中は雁字搦めの蔦が交差している。
その蔦をひとつひとつ紐解くのが良いか、それとも何か法則を見つけて一網打尽にするか。
あるいは、新しい一手を投じることによって根こそぎ掘り返すか。
複雑さが何者かによって仕組まれた布石なのであれば、世の中は思いのほか単純なのだろう。
そのシンプルな何かに目を向けないためのレールを敷くことによってそれを辿らせ、誤った思考回路に沿って行動するように仕向けられている。
そのシンプルさゆえに深く意味を掘り下げようともせず、いつしか骨抜きにされていく。
そうして怠惰に陥った我々を、きっと傍から嗤うのだろう。
男の家の庭には隣の塀からいつの間にか現れた蔦によって侵食されている。
いつしか庭もフェンスも隣の家の植物に侵食され、気付かぬ侵略に苛まれるのだ。
果たしてこれは隣人のものであり、勝手に引っこ抜いて良いものやら。すでに空き家となった主のいない家屋から伸びる魔の手ほど恐ろしいものは無い。
ほどいてもほどいても侵食されていく煩わしさに、男はついに現実逃避をして事なきを得ようとすることに成功……できませんでした。
何事もちいさなうちから摘み取るべきである。
雑草と蔦に絡め取られて今日も執筆は進まなかった。