食器を片付ける音が聞こえる。
本当は自分が洗わなければならないことを、男は覚えていた。
その音を聞くたびに宿る罪悪感の味わいが口の中で苦く残る。
……いや、口の中、という表現では前置した文章との受けが悪い。
確かに、味わう器官は口であるので何もおかしなことはないのだろうが、問題は「宿る」という言葉をどのように処理をするかである。
この時、修飾語というものは極めて厄介な存在であることに気づく。
修飾する先の言葉を意識した場合、前述の内容に重きをおくのか、後述の受け語に重きを置くのかは作者のセンスが問われるところであろう。
いけない、そんなことを考えている間にも食器は次々に泡の中へと包まれていく。
まぁ、いっそのこと全てが泡に包まれてしまえば水に流されるというもの。
……いや、泡に包まれるという表現はどうだろうか。
泡という字に「包」という漢字が入っている。
この場合、見た目を意識して表現を改めるべきなのだろうか、それとも、言葉の流れを重視して気にしないでおくべきなのだろうか。
敢えて韻を踏むという文学的手法を取るのであればそれも良いが、今書いているのは気軽な娯楽の世界である。
ならば、何も気にせず思うがままに書けば良いではないか。
……いや、そんなわけにはいかないのだ。
もはや趣味であれ、創作とは読み手を意識して書くものなのだ。
例えば、先ほどの表現だったら、皆はどういった言葉を使うのだろうか。
①その音を聞くたびに宿る罪悪感の味わいが(口)の中で苦く残る。
②まるで泡に(包)まれるかのように。
( )内の言葉を変えるとしたらどうするか?
自分なら、①胸 ②飲 に置き換えるのだが、こんなことに正解などあるはずがない。
しかし、執筆とはそんな些細なこだわりとの勝負である。
そんなことを考えているうちに食器洗いは済んでしまったようだ。
罪悪感に苛まれているため、今日も執筆は進まなかった。