これは昔から気になっていることなのですけど……。
「怒る」と「叱る」は違うよねっていうの。
教育方面にいたので特にそう思うのですが、同僚でもこの区別のないひとがいたり。学校の先生でもね。(まあ、このテーマはネットでも似たこと書いているひとがたくさんいるのでそっちを読まれたほうがためになるかもですが)
モノ書きのみなさんは言葉の使用には敏感でしょうから、とりたてて説明の必要はないのでしょうけど。
「怒る」(自五)①腹をたてる。いかる。②しかる。
「叱る」(他五)強く注意する。叱責する。
うん。(辞書でも)「怒る」に「叱る」がふくまれちゃってますけど、そもそも本来、自動詞なのでこれはどうかとも思う。同じ意味で使うひとが多いということなのでしょう。
両方とも他者のナニカにたいして発生します。卯月的には感情が自分のトコで湧き上がっているのと、他者に(感情は別にあろうとなかろうと)向けられている行動との違いでしょうかね。
身近でもよく「怒って」いるひとがいたりする。あれってまわりの空気も悪くなるから、どっか個室やトイレの中とかでひとりでやってて欲しい。でも、そんな自分の感情をみんなにも知ってほしいという「甘えたさん」なんだろうと、卯月は思うことにしている(いい年したひとだけども。いや年取るとああなりやすいのか……)。
個人にたいして「怒っている」のをみるとうんざりする。その相手がそこにいるならまだいいのだけど、いないところでやられてもね。
この「怒る」。例えば、国の政治や他国の戦争、世の中のありようなどちいさな個の力ではどうしようもないことに対して向けられている場合は、まったく印象が変わってくる。このひとそこまで本気で……。って思ったり(でも、そういうひとは苦手)。
「叱る」との違いでよく説明されるのは、やさしく「叱る」はできるけど、やさしく「怒る」ことはできない。これはよく聞く。
でもカップルなんかで、彼女を怒らせちゃったはよくあるシチュ。だから、彼女に(嫁に)怒られてさ、は「怒る」を使ったほうがしっくりくることも(彼女や嫁に日頃から「指導」的に「叱られて」いる男子諸君もいるかもですが)。
で、教育関係時代のハナシにもどすと、子どもって自分が(この意味での)「怒られている」のか「叱られている」のかの区別は敏感というか、はっきり見えている。親が会社かなにかで嫌なことがあって当たり散らしているのか、(例えば以前約束したことが守れてなくて)その自分の良くないところを変えようと大きなエネルギーを向けてくれているのか。ですから、塾なんかで生徒を強く指導しなきゃいけない場面だと、自分の感情が平常のそれよりも冷めた状態にしてから「迫真の演技力で」叱るってのをやってました。このご時世、「叱る」とか(この数年単位で塾も学校も)できなさそう(気になるから今度聞いてみよう)。
「叱る」のが上手いひとってたぶんみなさんのまわりでもいたかも。昭和のイメージだと生活指導の強面の体育教師が、なんかそのひとの前にいくと自然に背筋が伸びてしまうというか、一言の重みがヘビー級のツエー奴。きっと絶滅危惧種。
昔、預かって指導していた中学生女子の父親が、とある公立高校で有名なコエー先生(日本史だったはず、んで野球部監督)で、サシで保護者面談をしなきゃならなくなった。いつもは朗らかなお母さんが出てくる(彼女も教員)のだけど、そのときは都合が悪くて急遽チェンジ。校舎には当然そこの高校生もけっこういて彼の登場にざわつく。ほんと時代劇に登場しそうなよいお顔の方。塾嫌いだという情報は事前に母と娘からもらっていたので、死刑を宣告された囚人のように面談室へ……。結果、盛り上がりましたw なーんだ似た者同士じゃん! みたいな。
すいません。気づけば昔話に脱線しておりました。
えっと何だっけ。
ああ、「怒る」と「叱る」は違うよねってハナシでした。
まあ、どちらであっても心のエネルギーを大きく消費するので卯月はどちらも避けたいなと思うのであります。
もしいまイラついて、オラつきたい衝動にかられている方がいらっしゃったら(いねーよ!)こちらを。どんなことも小さいちいさいってなるかも。
宇宙の大きさを体感できる動画
https://www.youtube.com/watch?v=jM02C3uSBXYたまに散歩にでかけると、こんなことを想像して足の下の大地(地球)も自分もちっちゃいななんて。
では。