今日は何書こうかなと数ある小ネタから選んでたのですけど、いまの気分的にしっくりくるものがない。気分の乗らないものを書いてもと思うので、現在気分的には書くのが楽しくて仕方ない自作について書きますかね。(宣伝というよりは創作に関するメモ的なナニカです)
ほそぼそと書いております拙作『ちょっとウチの家族とかが意味わかんない件について』ですけど、現在じわじわ上がっており、現代ファンタジー週間251位と意外に健闘しております。
まずタイトルが「意味わかんない」ですね。
タイトルについての考え方は他の方の創作論などを読まれたほうが参考になるかと思います。読まれるための戦略的な方向のやつ、まずは読者の興味をひきましょうというアレ。うーん。ちょっと「なろう」系のそれあらすじかってのも考えては見たのですけど恥ずかしくて赤面してしまい、やめました。その反動でこんなタイトルに。まあ、「◯◯の件」っていうのはネット掲示板のスレッド風の昔からあるやつですね。現在の文章系長文タイトルのルーツとも言われています。
小説を書くさいのポイントとして言われるもののひとつで、その作品を一言で現すならどんな話しなの? というのがあります。アニメや映画なんかでも面白いと感じたものって、うまく言えるかどうかは別として何か言葉がでてきますよね。あれが良いタイトルのイメージでしょうか。最近の人気作家さまたちは「息が長い」(息継ぎしないで一言という意味で)のか、いまだに長文タイトルは健在ですね。
読むほうは自分が読みたいものかどうかタイトルで判断できますから、安心安全の方向性でやはり正解なのでしょう。本文を読んでみて判断のような、時間の余裕、心の余裕なんてものは(卯月もそうですけど)多くの現代日本人にはありませんからね。
(卯月のように)読み専も年季がはいってくるとひと目で読んじゃいますし、長文タイトルの言葉の使われ方のセンスで選んだり選ばなかったり。長くて困るなんてことは感じませんし、工夫のあるものはつい覗いてみたくなったりします。まあ、読み始めたら長文タイトルの内容のことなんて忘れてしまってますし(これが真実)。タイトル詐欺だという方たちの読んだその作品への執着(いや愛か)がかえって羨ましく感じます。
カクヨムにはそんな長文タイトルを好ましく思わない「美学の人」たちも多いですけど。卯月は読む分にはどっちでもいいかなって想うのですが、いざ自分の作品にとなるとやはりカッコつけの「美学の人」なのか、抵抗感はありますね。
しかし、読まれなければ始まらないということを思えば、なりふりかまわずの「勇気」というか「思い切り」も必要なのでしょう。一作そういう長文タイトルの作品を持てたらあとはどんどんそれで行けそう。(まあ、これもまだ先になりそう)
長文タイトルでない、短いタイトルにしても作品がどんな内容なのか読者に想像させるものであることは必要。それを卯月のは放棄していますからアレですけど。じっさい、意味わかんないくらい個性的な家族(や周辺人物)が登場しますし、どうして自分の家族がそんな風変わりな連中なのかは主人公には明かされていない。一言でいうなら、というのには合ってます。ですけど、読まなきゃワカラナイし、そもそもファンタジー感がまったくない。
さらに第一話とか読んだ人が読みに来たジャンル間違えたのか? という書き出しにあえてしてますし。
ふふっ。この作品は卯月の最近の実験的な試みであります。実は異世界ファンタジーなんだけども(ジャンル設定は現代ファンタジー)、その異世界感からずいぶん遠いところから徐々に近づけていくってのはどうだろうかって。異世界モノに辿り着くまでに離脱率は高そうだったので、展開をテンポよくしておりますが(第一話さえ乗り越えられればという感じ)ね。
あと、三人称一元視点のつもりで書いております。一人称慣れしている方には抵抗感ありありでしょう。卯月はどっちも読む人なので問題ないんですけど、地の文がずらっと並ぶと辛く感じる人には無理かな。第一話はあえてズラッと字の文で構成。「会話文拾い読みの方お断り」の意思表示です(実験的な作品ですからよいでしょう)。第二話以降、普通のライトノベルっぽく軽い感じにしてます。
まあ、好き勝手やりたい小説になってます。内容も直接関係ないところで卯月の趣味的個人的な面白いを差し込んでます。もともとは児童文学用のプロットをそのまま使用して設定や人物、セリフを上の年齢用に変えております。おそらくレイティングなしの健全な方向でしばらくはいけると思います。プロットに沿っている限り、途中からエログロバッドエンドものとかになることは多分ないでしょう(あっても面白いか?)。
そういうわけで、最近は書くのが楽しい卯月です、という近況ノートでした。
では。