20代から30代にかけて、彼らの著作は相当読んだ。
特に本多勝一にはわざわざ会いに行くくらい、ファンだった。
いや、いまでも部分的には賛同することが多い。
本多勝一といえば、中国バンザイの筆頭、とかつては思われ、かの「南京大虐殺」の件で最高裁まで争われ、(結局どうなったのかは知らんが)、右派から目の敵にされていた人物である。
もと朝日新聞の記者で、筑紫哲也の盟友であった。
彼が創設した、週刊金曜日も創刊以来、10年近くとっていた。
が、
かのオウム関連、弁護士一家殺害事件で、今でもはっきり覚えているが週刊金曜日はオウムを補助するような記事を載せていた。
事件が明らかになっても何の弁解記事も載せなかった。
アメリカによる「テロとの戦い」で、アフガニスタンの戦争を批判し、「北部同盟」なる組織があたかも「善人」のような記事を載せていた。
本当にそうだろうか?
彼等のスタンスはとりあえず、反米、反日の記事を載せ、検証はゼロであった。
これはジャーナリズムではない。ほとんど共産党応援雑誌である。
文書や電話で抗議したこともあったが、もちろん、無視された。
その割に雑誌継続の勧誘は数年続いた。
いまでは早くつぶれろと思っている。
とはいえ、日本が満州国として中国を占領したのは事実だし、戦争でたくさんの現地の人を殺戮したのは大なり小なりあったろう。売春なぞ、当然だ。それしか生きていく道がないならどんな高貴な人間だって、身体を売る。戦後すぐの日本をみればわかることだ。
右派の顔をして歴史を知らないのはただのバカだ。
そして、
「日本共産党研究」を書いた立花隆。
数十年前の刊行だが、共産党の歴史を知るには格好の著作だ。
ソ連の下部組織としてスタート、当時はインテリの象徴だった共産主義。
第一次世界大戦が終わり、大正デモクラシーに花咲いた戦前の左翼思想。それは北一輝の、「天皇社会主義?」にも影響を与えたろう。
戦後すぐには、徳田球一の暴力革命論vsみやけん一派で内ゲバがはじまり、前者は中国に「亡命」し消えた。みやけんは巣鴨拘置所からアメリカによって釈放されたことで、裏では繋がっていたと噂される…
この二人の対談をみたかったが、結局、若い方の立花が逝去し、登山家としての顔をもつ本多勝一は未だ、元気?らしい。
もはや時代は変わってしまったが、陳腐に思われるかもしれないが、改めて、彼らの著作を読みなおそうと、ふと感じだ次第である。