現在書いている切支丹殉教者の話「彼方の光」にはこれから切支丹(隠れではない)の音楽を伴う典礼が登場することになると思う。ここで大事なのは司祭が滅多に到来しない東北の地であるから、典礼音楽もセミナリヨなどがしっかりあってイエズス会やフランシスコ会の生の典礼音楽に触れることができた西国の切支丹とは全く違うのではないかという事。
長い時を経て変容した隠れキリシタンの音楽はの理解のためには皆川達夫立教大学名誉教授の「洋楽渡来孝」という名著があり、氏の指導する中世音楽団(略して中音)による演奏のCDもある。だがその音楽は江戸時代の長い年月を経て、長崎の信徒発見まで数百年を経ている。当時、雪深い東北でナターレやパスクワ、諸聖人、死者の日。ご公現。そして神を讃えるテ・デウム。その他もろもろの音楽はどういったものだったのだろうか。
ドン・ボスコ社の「サムライたちの殉教」には巻末の資料にグレゴリオ聖歌の第三旋法のテ・デウムが載っていたが、これは推測の域を出ない。キリシタン大名高山右近が登場した大河ドラマ「黄金の日々」ではミサ・クム・ユビロの(現行のカトリック聖歌では「あわれみの讃歌」)キリエが印象的に使われていた。
かのドラマではパイプオルガンまで登場し、何よりルイス・フロイス役でイエズス会のアロイジオ・カンガス神父が登場していたのが衝撃だった。